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アフターアフター!

「――ふ、ふふ、し、失礼、ぷっくく」
「笑いたいのなら腹を抱えて笑えばいいだろう、このまぬけ!さあこのディオの情けなき姿を指差して笑うがいい!!」
「ご、ごめっ、ふふ、それじゃあ、ふは、はははっ!」
「~~!!本当に笑うなよ、ジョジョのアホ!」
「ははっ、は、い、痛いってば、ディオ!」
両手持ちで振りかぶった枕の一撃を、今にも泣きださんばかりに大笑いをするジョジョの顔面に叩き込む。それでも奴の不愉快な笑みは引くことなく、ぼくの苛立ちをますます加速させてゆくのだった。
「ふふ」
「いつまで笑ってるんだ、ばか、ジョジョのアホ、ばか、まぬけ」
「ふふ、ごめんよ。けれどあの本、ぼくも読んだことがあるけれど、そんなに怖かったかな?作り話じゃあないか。どちらかといえばぼくは、編年史なんかを読んだ時の方がこう、ぞわっとするものだけれどなぁ」
「作り話だからこそ気味が悪いんだ。例えば君の上げた編年史なんかは事実を克明に記したものだろう。まあ残酷なこともさらりと書かれているものだし、君がびびってしまう気持ちも分からなくはないさ。けれど事実は事実でしかない。そこから何かを学ぶことはあれど、精神を揺さぶられることなどはないのだ。少なくともぼくにとってはね。君が「家の前の地面が凍ってたみたいで転んじゃったよ」とか言ってくれば、ぼくは「ふぅん、ならぼくはジョジョのような無様を晒さぬように気を付けよう」と学習をし、慎重に歩くよう努めるのだろう。そこには何某かの感情を挟む余地などはない。それと同じことだ。いや、君がすっ転ぶところを見てやりたかった、くらいのことは思うかもしれないけれど。
しかしぼくが今日読んだ小説というものは違う。文章力に優れた一個人が荒唐無稽な妄想を、「まったく現実的ではない話」から「現実にありうることかもしれない話」として現実世界に昇華させたものなのだ。優れた文筆家のペンで綴られた物語は、読者の想像力を爆発的に成長させる魔力を持っている。こんなことがあるわけがない、いいやしかし、ぼくの知覚できる範囲の外でオカルトの世界は繰り広げられているのかもしれないとね。そしてそれは可視できないものへの恐怖となり、人々に真っ暗な夜という時間への恐れを抱かせるのだ」
「うぅん、まあいまいち分からない理屈だけれど、君が物凄く怖がっていることだけはよく分かったよ。ていうか君、案外分かりやすいよね。言い訳をしたがっている時は、目に見えて口数が多くなる」
「うるさいな、まったく感受性に乏しい男め」
枕を抱えてジョジョのベッドに飛び込めば、心地の良いスプリングが優しくぼくを出迎えた。忌々しいジョジョの匂いと共に。慌てて仰向けになって鼻をシーツから引き剥がすも、なんだか全身をジョジョに抱き込まれているようで落ち着かない。
不意に、スプリングが跳ねた。衝撃の発生方向には、ベッドに腰掛けるジョジョがいる。片手には学術書を携えていた。まだ眠る気はないらしい。
「ぼくはあの小説、素敵なお話だったと思うんだけどなぁ」
「得体の知れない化け物に付きまとわれる話がか?」
「なんて身もふたもないことを」
「だってそうだろう。男はたった一言の「愛している」が言い出せなかったばっかりに、死して尚主人公の女に付きまとい続けるんだぜ。未練がましい話だとは思わないか。女には死んでしまった男の姿なんて、まったく見えやしないのに。もうあの、己の存在を知らしめるべく毎晩女の頬を撫でるくだりの嫌悪感!気味が悪いどころか恐ろしい話じゃあないか!見えないことをいいことに、あの男ときたら!」
「……そりゃあ、主人公の女の子は終盤までは怖がる一方だったけれどさ」
「……ジョジョ?」
一段トーンの低くなったジョジョの声は、あまり耳に馴染まないものだった。思わず奴の顔を注視した。目が合った途端にジョジョの顔は苦笑に崩れ、そのまま居心地が悪そうにあさっての方向へ逸れてしまう。
「受け取り方の違いというものは、多分どちらに感情移入をしてしまったのか、ってことなんだろうね。ぼくはあの男の気持ちが分からないでもなかったんだ。だから全編に渡って切なかったし、最後に一瞬だけ、抱き合うことができたシーンなんかでは、うっかり泣きそうになってしまって」
「うわぁ、なんだそれ、引く」
「あんな作り話にすっかりびびってしまって、ぼくの部屋まで駆けこんできた君にだけは言われたくないぞ」
「……誰にも言うなよ。ぼくとジョジョだけの、秘密だからな」
「ふふ、ぼくは告げ口なんてしたことないよ。安心して」
ぺら、と本を捲る音がする。こちらへ向けっぱなしのジョジョの背中は、この話題はこれで終わりだ、と言っているようだった。
――ジョジョがあの小説の男に感情移入をしたということは、つまりジョジョにも男にとっての女のような、愛を伝えたくても伝えることの出来ない相手がいるのだろうか。その相手とは――ああくそ、面白くもない話だ。
「……ぼくは寝るぞ」
「ああ。おやすみ、ディオ」
ひらひらと片手を振ってみせるジョジョは、やはりぼくから顔を背けたままであった。

ジョジョの、阿呆。まぬけ。……いくじなし。

「……――、」

眠ろうにも眠れないぼくの頬を、お前がこっそり撫でたことなんて。ぼくはちゃあんと、知っているんだからな。
ぱくぱくと開閉する唇から、結局零れ落ちることのなかった一言も。






ヴァニラ・アイスとペットショップが異変を見せ始めたのは、ほぼ同時期の事だった。
差向いになっている間はずっと、わたしの姿を網膜に焼き付けんとばかりに熱烈な視線を寄越すヴァニラ・アイスは、いつからかちらちらと部屋の隅へ視線をやるようになった。ペットショップに現れた異変も同様で、おまけに彼は喧々と激しい鳴き声を上げる時もある。尋ねてみてもヴァニラ・アイスは口を噤むばかり、ペットショップとは意思の疎通が図れない。ヌケサク辺りも何やら落ち着きなく部屋を見回すものではあるが、まああれは元から小心な男であるのでどうでもいい。

そして問題なのがテレンスである。
かの執事は別段、不躾にわたしの部屋を見渡すわけでもなければ、おかしな挙動を見せるわけではない――いいや、おかしいといえば誰よりもおかしなことをしているのはテレンスであるのだが、普段の行動から見て逸脱したことをしているわけではないという意味では、あの男は正常であるように見える。
しかし年若い執事はいつからか、わたしの酒や紅茶を用意する際に、あまりに自然に2人分をテーブルに並べるようになったのだ。まるで客人が、この部屋にいるかのように。どういうことなのだ、と尋ねてみれば、執事はやはり顔色を変えず

「以前、そちらの方が、お酒はDIO様と同じものでよいと、コーヒーよりも紅茶が好きだ、と仰られましたので」

と、わたしからしてみれば見当違いの弁明をしたのだった。

そちらの方。そちらの方とは。

テレンスの視線を追った先にはただ本棚があるだけだった。向き直って再び執事を見てみれば、奴は「この人は何を言っているのだ」と言わんばかりの不遜な面構えでわたしの様子を伺っていた。それに関してはちょっとした制裁を加えてやること一先ず溜飲を下ろすことはできたのだが、その最中もやはり「そちらの方」なる存在が気にかかり、気付くとそこばかりを見てしまう始末であった。

そんなことが、かれこれ1ヶ月弱は続いていた。
相変わらずアイスとペットショップはわたしには見えない何かを睨みつけ、ヌケサク挙動不審で、テレンスは2人分の飲み物を用意し続ける。唯一エンヤ婆だけが普段と変わらぬ振る舞いでわたしに接するものだったが、なんというか、あの女も取り立てて話題にはしないだけで普通に見えているのではなかろうか、と思わないでもない。

そうした中でプッチが訪ねてきたのは、いい加減わたしの睡眠時間も普段の半分程度になろうかという頃合いである。

「この前送った画集はちゃんと届いたかい?」
「ああ、あれだな。つい3日前に受け取ったばかりだよ。ええと――ああ、あったあった。こっちに来いよ、プッチ。一緒に見よう」
「そんなに急かさなくても、時間は沢山あるじゃあないか」
そう言いながらも、こちらへやってくるプッチの足取りは明らかに弾んでいた。可愛らしいことである。そんな友人と共に寝台の上へ乗り上げて、彼が苦心して手に入れてくれたのだという画集を眺める時間は大いにわたしを和ませてくれたのだった。
だってプッチは、あらぬ場所に意味ありげな視線をやることもない。本棚へ向かった時も不自然な素振りは見せず、さっさとわたしの元へと戻ってくる。そしてだらだらと、普段通りにとりとめのない会話を続けるのだ。
「……おいDIO、君大丈夫か?」
「何の話だ?」
「いや、ぼうっとしていたようだったから。それによく見ると、酷い隈もできてる。寝不足かい?」
「そんなに酷いかな」
「とても。心配だなぁ。ひと眠りした方がいいんじゃないのかい」
「せっかく君が来てくれているのに。わたしは、今日という日をとても楽しみにしていたんだぞ。寝るなんてそんな、もったいない」
「他でもない君にそう言って貰えるのは、この世で何よりも嬉しいことだけれど……そうだ、なにか温かいものでも飲んだ方がいいかもしれないな。すまない、そこの方。ぼくはDIOを見ているから、執事の彼に頼んで飲み物を用意してきてもらえないでしょうか?え?いやだから、彼はぼくが見ているから……動けない?一体どういうことだ?」

とりとめのない会話を……普段通りに……

「……ま、待て、プッチ」
「ああ、どうした。やっぱり辛いのかい」
「そうではなく、その、君は……」
「?君が言いよどむなんて珍しいね。なんだい、ゆっくりでいいよ」
以前に会った時より少しだけ大きくなった掌が、愛おしむようにわたしの背を擦っている。心地の良い感触だ。しかし残念ながら、彼の掌がわたしの背筋から底冷えするような感触を引き剥がしてくれることはなかった。
それどころかこうしている間にも、彼は目配せをするようにちらちらと本棚の辺りを見やっている――いや、最早本棚の辺り、というか、彼が見ているのはこのベッドのすぐ傍ではないのだろうか。
思わず、プッチの服を掴んでいた。皺の寄った胸元を見下ろして、ついで彼は真ん丸になった目でわたしの顔を覗きこんだ。
「DIO?どうしたんだい?」
「き、君は、プッチ、一体君は、先程から誰と話しているっていうんだ?」
「……へ?」
彼の瞳に映った私の顔は、恥じ入るばかりのみっともないものに歪んでしまっている。しかしここまできて、自らを取り繕う余裕などがあるものか。

とにかく、その――怖い。
ああくそこの際正直に言うぞ、わたしは見えないその存在がものすごーく怖いのだ!

恐怖など一度発露してしまえば転がり落ちる一方で、わたしはただただ一心にプッチの服を握りしめた。穏やかに笑う神学生は慈しむように背を擦ってくれている。そして何者からわたしを庇うように抱き締めて、飛び切りに優しい微笑をくれた。
しかし次の瞬間には敵意すらも滲ませた双眸で以て、「何者か」がいるのであろうベッドサイドを睨みつけるのだった。
「あなたはもしかすると、あれですか。――ああ、うん、うん、いいや、分かります。あなたが邪悪なものではないことは、見ていれば分かる。ただDIOがとても怖がっているんだ。見えるかい、この隈。せっかくの美貌が翳ってしまって――え?ああ……いや、まあ、うん。そりゃあ、ちょっとぐったりとした彼も最高に美しいけれど」
「おいプッチ」
「おっと、ごめんごめん」
プッチの咳払いはあまりにも白々しい。
「とにかく彼が落ち着くまで一旦、ぼくに任せてくれますか。あなたが彼の身を案じているのは分かるけれど――ああ、ありがとうございます。DIO、もう大丈夫だよ」
「……単刀直入に聞く。そこにいたのは、ゴーストか」
「ああ、まさしく」
「オカルトの世界じゃあないか……」
「君が言う?」
プッチから離れて部屋中を見渡してみるも、やはり変わった様子などはない。読み散らかした本も脱ぎ散らかした服もそのままである。しかし全くの「普段通り」である情景が、かえって心中の底冷えを促してならなかった。
「……正直、そんな気はしていたんだ。部下たちの様子は明らかにおかしかったし、それに、テレンスの言動から考えてみれば、なんというかもう、そうだろうとしか思えなかった。ただ見えもしない奴に振り回されるのなんて、腹の立つ話じゃあないか。だから知らないふりを決め込んでいたんだが……
……まあいい加減、そろそろ限界だったんだろうなぁ。睡眠は全く足りていないし、どこかにいるのだろうそいつが気になって、何をしていても気も漫ろだし。……認めたくはなかったが、恐怖も抱いていたのだろう。一度はっきり「怖い」と思ってしまえば、なんだこんなものか、という感じになってはいるが」
「もう平気?」
「ああ」
シーツの上に転がると、不思議な安堵に包まれた。問題は何も解決していないが、ゆうれい、などと言葉にしてみるとどうにも馬鹿馬鹿しくて、怖がっていたのが情けなくもなってくる。
目を閉じたらそのまま眠ってしまいそうだったので、少しばかり瞼へと力を入れた。せっかくプッチが来てくれているのだ。眠るにはまだ早い。
「しかし、君にだけ見えなかったというのもおかしな話だね。ぼくだって本人に確かめるまでは、彼は生きた人間なんだと疑っていなかったよ」
「わたしが君と過ごす時間に、他人を置いておくものか」
「そんなことを言われちゃあ、ぼくだって自惚れる」
「大いに自惚れればいいさ」
「DIO、眠いのかい?」
「まだ、平気だ」
「ぼくに気を遣っているつもりなら、必要ない、君は今すぐに寝るべきだ。実は今回は、いつもより長くこっちにいられるんだ」
「……じゃあ少しだけ」
「そうするといい」
プッチが私の頭を撫でた拍子に、すとんと瞼が落ちてくる。
「あの彼はきっと、君のことをとても想っているのだろうね。とても優しい目で、君を見ている。そんなに怖がることはないよ。君に酷いことはしないだろうし――まあ、もしものことがあれば、ぼくが君を守るから」
それは安心だが、あまり気負うなよ、プッチ。
そう笑いかけてやろうと思ったところで、意識はばっさりと途切れている。



「ディオ、ディオ」

誰かがわたしの名前を呼んでいる。

「ディオ、」

ふっと思い浮かんだのはプッチであった。しかし記憶にある彼の声は、こんなに柔らかくはなかったような気がする。だとしたらこれは誰だ、誰なのだ。わたしの睡眠を妨げる無礼者は。
「……うるさい……」
「あ、あれ?起きてたのかい?」
「起こしたのは貴様だろうに」
「……え?」
目を開いてみると少量の涙が溢れたので、面倒ながらも目元を拭った。そうして明瞭になった視界には、開けっ放しの窓と夜風に揺れるカーテンの情景が収まっている。夜にしかこの部屋の窓は開けることができないので、テレンスが換気に訪れたのだろう。なんとうことはない、単なる日常風景だ。
「……もしかして、聞こえてる?」
「……ん?……んん?貴様、一体どこに……」
「わ……わあああ、うわああ、本当に聞こえているんだね、ディオ!?」
「!!?」
野太い歓声が部屋中に轟いて、思わず両手で耳を塞ぐ。反射的に周囲を見回してみるも――わたし以外の生き物などは全くなく、静謐な夜の空気がそこかしこに漂っているのみである。
「あ……ああ、聞こえてはいるけれど、見えてはいない、みたいな感じなんだね。なんだ、残念だなぁ」
「……」
「あれ、ディオ?どうして布団に潜るんだい?おーい、ディオ?」
「…………」
「おぉーい」
「………………」
「あ、あれ、気のせい?おい、ディオ?君もしかして聞こえない振りとかしてないか?おおいディオ、ディオってばー」
「……ええいうっとおしいな貴様という奴はー!」
「やっぱり聞こえているんじゃあないか!」
跳ね除けた羽毛布団が勢い余ってベッドの下まで落ちてゆく。そのままシーツの上に膝立ちになって周囲を伺ってみるも、やはりそこには誰もいないし気配の一つも感じない。ただ声だけが確かにわたしの鼓膜を打って、何者かの存在を強烈に訴えてくるのみだ。
何者か。何者もくそも、そんなのは1つしか思い当たるものがない。
「貴様、最近わたしの部屋に居座っているゴーストだろう!主たるわたしにだけ姿を見せぬとは、無礼にもほどがあるのではないか!」
「そ、そんなことを言われても、ぼくにだってよく分からないんだ。くっきりぼくのことが見える人がいれば、半透明に見える人もいるみたいだし。声だって聞こえる人とそうでない人がいるみたいで。まあどちらもからっきしなのは君だけだったけれど……」
「わたしを馬鹿にしているのか」
「なんでそう、悪い方に取るんだい」
「そういう言い方だった!」
相変わらず声の主の姿は見えないので、見えた者たちがしきりに気にしていた本棚の近辺へ指を突きつける。

「――そりゃあ、鈍感な君が可愛いな、とかは少し、思ったりしたけれど」
羞恥心の滲んだ声だった。姿は見えないが、奴は恐らく自らの後頭部を掻いているのではなかろうか。なんとなくそういう雰囲気がする。

妙に毒気を抜かれた気分になって、伸ばした指を引込めた。しかし未だ布団を拾う気にはなれず、あんなに重苦しかった眠気もどこかへ行ってしまったようだった。警戒を解かぬまま、シーツの上に腰を下ろす。やはり奴の姿は見えやしない。
「……貴様はなぜ、ひと月も人の部屋に居座っているのだ。正直に言って物凄く邪魔だ、不愉快だ、さっさと出て行け不届き者」
「そこまで言わなくてもいいじゃあないか。ぼくはお別れを言いに来たんだよ。でも君、まったく気付いてくれないから、いつまでも行けなくて」
「……お別れ?」
それではまるで、わたしとこのゴーストに面識があるかのような口ぶりではないか。
いや――確か寝入りばなに、それらしいことをプッチが言っていた。わたしを想っているのだとか、優しい目がどうだとか。実に気味の悪い話である。
「君がようやくぼくの存在を認めてくれたから、声だけでも届くようになったのかな。これで本当にお別れになっちゃうのは寂しいけれど、仕方のないことだよね。ぼくはもう死んでしまったんだ。いつまでもこの世にしがみ付いているのは道理に合わないのだろうし」
「貴様は何を言っている?自己完結をするな、わたしに分かるように話すのだ」
「ご、ごめんよ。なんだか色んなものが、込み上げちゃって」
闇の奥から、緊張も露わに息を吸う音がする。随分人間じみたゴーストであるらしい。

「沢山血を吸って、君の頭とぼくの体が殆ど馴染んでしまっただろう。それでも完璧とは言えないけれど、その体はすっかり君のものだ。ぼくのものだった時はそんなに白くなかったしね。なんだか君の生活に合わせて、体型もちょっと変わっちゃってるし。
だからかな。今まで君の中で眠ってたみたいなものだったぼくの意識が、綺麗さっぱり消えようとしているみたいだ。本当のぼくはあの船で死んでしまったわけだから、今更という気もするけどね。
でもいざとなると、なんだか未練みたいなものが沸いてきてしまって。
だからこうして、化けて出てきてしまったのだろうと思う」

当たり前のことを当たり前のように告げた声は、最後に「怖がらせてごめん」と付け加え、はにかむような息を漏らしたのだった。
初めはゴーストが何を言っているのか分からなかった。しかしその言葉を咀嚼した途端に浮かび上がった精悍なかんばせが、わたしの脳を圧迫する。

100年も昔に死んだ男だ。わたしが殺した男。そこにいるゴーストとは――

「あれ?どうして急に肩を落とすんだい」
「お前、なんというかもう、いい加減にしろよお前……お前が死んで、やっとわたしの障害になるものはいなくなったはずであったのに。死して尚も立ち塞がろうとか、本当にもういい加減にしろよジョジョォ!お前はわたしの邪魔ばかりをする!」
「あ!もしかして君、またろくでもないことを企んでいるのかい!?それじゃあいよいよ、このまま消えてやるわけにはいかないな!」
「やめろ!使命感に燃えるのはやめろ!」
再会を喜ぶ気持ちなどはなかった。まったく、これっぽっちも!
青春時代には入り組んだ関係にあって、当時はわたしなりの情というものをこの男に抱いていたような気もするのだが、結局は決裂し、この手で殺した男である。積極的に会いたいと思う相手であるわけがない。
だってわたしが、この男の命を奪うために払った代償は一体如何ほどであるのかと。
100年だ。
ただで殺される可愛げのないこの男は、その命と引き換えにわたしの100年を奪った。狭い棺桶の中で過ごす100年などは2度と経験したいものではない。
なんやかんやあって地上に返り咲くことはできたし、初めは戸惑うばかりだった生活も随分安定してきていると言ってもいい。「信頼できる友」もようやく捕まえられたので、あとは天国へ至るのみである。

――だというのに、この男とくれば!ジョジョとくれば!
奴はいつだって見計らったように最悪のタイミングで、わたしの前に現れる!

「ああ……やっぱりいざってなると、未練は尽きないものだなぁ。君ほんと、たいそれたことはしないでおくれよ。この時代にはぼくの子孫もいるのだろうし、彼らに迷惑をかけるのは勘弁してやってくれ。君に振り回されるのはぼくだけで充分だ」
「わたしに釘を刺すことがお前の未練なのか?わたしがお前なんぞの言うことを大人しく聞くとでも思っているのか。死んでも頭のめでたい奴」
「まったく、口も態度も悪いんだから」
脳裏に浮かびあがったジョジョの苦笑はやたらに鮮明だった。垂れ下がった眉尻も、情けなく細まった双眸も、はっきりとこの頭の中に像を結んでいる。けれどやはり、実際のわたしの目にはそんなものなど映っていない。どこまでも「普段通り」なわたしの部屋があるだけで、ジョジョなどはどこにも。影すらも、見えやしない。
「……わたしの意識の底にいたって?お前が?100年も?」
「自分では、そうだと思ってる」
「なんだその曖昧な口ぶりは」
「情けない話だけど、自分でもよく分からないんだ。気付いたら僕はこの部屋にいて、毎日ベッドの上でごろごろしている君を見ていた。ただそろそろディオとは本当にお別れなんだな、っていう実感だけがあって、慌てて何度も呼びかけたんだ。でも君は気付いてくれなくて、体は薄くなってゆく一方で」
「馬鹿馬鹿しい話だ」
「ふふ、本当に」
意識としてのジョジョの存在、などというものを感じたことは一度もなかった。奴の馬鹿馬鹿しい程に高潔な魂を欠いたこの肉体は最早、ジョジョなどではない。死んだ男。わたしが通り過ぎて行った男。わたしにとってのジョジョとは、奴の命が失われた瞬間に完結している。
「もしかしたらこれはぼくの夢なのかもね。君へのちょっとした未練を抱いたままに死んでしまったぼくが、今際に君の夢を見てるんだ」
「もう何人もお前の姿を見ているだろう。何が夢だ、今更。それにわたしは、お前のせいで大変な寝不足に陥ってしまったのだぞ。すべて現実にあったことだ」
「ちょっとくらいロマンティックなことを言ってみてもいいじゃあないか」
「本当に馬鹿だな、お前。お前の洋々たる前途を奪ったのは誰であったのか?忘れてしまったわけじゃあなかろうに」
「もしかして、後悔してる?」
「まったく!おいジョジョ、お前今にやけているだろう。見えなくても、分かるんだからな!」
「だってディオのぶすったれた顔なんて、久々に見るからさ。君にはそういう顔の方が、偉ぶってるときの取り澄ました顔よりも似合ってると思うんだけどなぁ。愛嬌があって」
思わず枕を投げていた。しかし実体のないジョジョに命中するわけもなく、勢いよく空を切ったそれは本棚に激突し、ばたばたと騒々しく本の雨を降らせるのみである。
「さっさと消えろ。未練がましい男は嫌いだ」
「君はぼくのことを、未練に思ってはくれないのかい」
「何故?わたしの行く先に、お前への未練などが何か、素晴らしいものを生み出してくれるとでも言うのか?馬鹿馬鹿しい。無駄だ無駄。今更ジョジョなんて、わたしには必要ない」
「口数が増えてるぞ」
「うるさい」

わたしは奴の死について考えることが、それこそ死ぬほど嫌だった。
ジョジョについての思考の全ては結局そこに行き着いてしまうので、しまいには奴のこと自体を考えるのが嫌になってしまったのだった。

呆れるしかないほどに清々しいこの男の死は、確かにわたしの中になにかを残した。それは決してわたしにとって喜ばしいものではなく、むしろ内側からわたしを蝕みかねない毒である。
わたしの中にこの男への未練、と呼べなくもない感情があるのだとしたら、それは確実にあの吐きたくなる程美しい死に様が生み出したものだ。目の前であんな死に方をされて無感動でいられるほど、わたしだって情緒のない人間ではない。いいや、とっくに人間などはやめているけれども。
「ディオも怖い顔をするばかりだし、そろそろお暇しようかな」
「そうしろそうしろ早くしろ」
「それじゃあ最後に、2つほど。ごめんねディオ、君さっきからずっとそっちの本棚の方見てるけど、実はぼく、ずっと君の後ろにいたんだよ」
「っ!?」
振り向こうとした瞬間である。生暖かい感触が、わたしの両肩を後ろから包み込んだのだ。
覚えのある感触だった。
ジョジョの腕だ。
こうして抱き締められたことは、何度もあった。今際の時は、肩ではなく頭であったものの、奴はわたしを抱き締めたままに死んだのだ。
「……窓の辺りか?」
「うん、そう」
「今も?」
「――うん。ここからは、月がよく見えるんだね」

愚かで、意味などなくて、とても他愛ない嘘しかつかない善良な男。
わたしを抱きすくめているのはまさしくジョジョである。わたしがその感触に気付いていることを、気付かないまま。

――お前、今日の天気を知らないのだろう。朝から酷く曇っていて、プッチによれば明日は酷い大雨になるらしい。今時分の月などは、すっかり雲に隠れているに決まっている。

「随分怖がらせてしまったみたいだね。申し訳ないことをした」
「怖かったのではない、気味が悪かったのだ」
「はは、嘘ばっかり」
「嘘ではないっ!」
我ながら分かりやすい、下手な嘘である。こんなのはまるでジョジョだ、わたしなどではない。いっつも、いっつもだ。この男はわたしの中から全くわたしではないわたしを引き摺り出して、このDIOをひどく煩悶させる大罪人である。そのくせ自分の心の内は明らかにしようとしない――わたしがずっと待っていた言葉を結局、死ぬまで言ってはくれなかった、とんだ不届き者だ。
「だって君、案外怖がりだったじゃあないか。覚えてない?15、6才の頃だったと思うんだけど、夜中に枕を持った君がぼくの部屋に来て、何を言うのかと思えば「さっき読んだ小説が大変怖かったので今夜君の部屋に」とかなんとかって――」
「~~!そんな昔のことなどを、覚えてなんかいるものか!」
「ふふっ、あはは、ごめん、ごめん。からかって悪かったよ、そんなに怒らないで」
こっそりとわたしを抱き締めている、つもりであるジョジョは、一層情熱的な力を腕に込め、鼻先をわたしの後頭部に埋めている。わたしに気付かれていないと思って、気が大きくなっているのだろう。昔はわたしが寝ていても、頬を撫で髪を梳くのが精一杯な意気地なしだったくせに。

「それじゃあ――ディオ。名残は尽きないけれど、そろそろ行くよ」

満足げな声に耳を擽られて、背筋が震えた。一体ジョジョの行き先とはどこであるのだろう。こいつは最期までただただ善良であったから、天国へでも招かれるのだろうか。わたしの目指すそれではなく、広く世に言うその場所へ。
――何を考えても仕方がない。奴がどこへ行くのだとしても、もうわたしの前に現れることはないのだろう。それならばどこでも一緒だ。どこへなりとも行くがいい。わたしもこの男などを捨て置いて、さっさと先へ進むことにする。

「ぼくはぼくなりに、君を愛していた。色々あって結局それを伝えそびれてしまったのが、ぼくの未練だ。だから今夜は本当に、君に気付いてもらえて嬉しかった。やっと君に伝えることができたんだから。100年もかかってしまったけれど」
「ジョジョは、ばかだな。生きている間に言ってしまえば、亡霊になどならずに済んだのだろうに」
「はは、そうだね。自分でも、そう思う」
もう思い残すことはない、と言わんばかりの声音が腹立たしかったので、文句の一つでも言ってやろうと振り返る。
しかし依然、そこにはカーテンのはためく窓辺があるのみだった。いつのまにか、肩を抱く温もりすらも消えている。

「…………、」
馬鹿馬鹿しくなって、シーツの上に転がった。
ジョジョの妄言に乗るのは癪ではあるが、やはりこんなものは夢なのかもしれない。ジョジョにそういった感情を向けられていることは分かっていた。その言葉を欲してもいた。今となっては下らないセンチメンタリズムでしかないが、あの時のわたしにとってはどうしても必要な言葉だったのだ。その言葉があれば、何かが変わったかもしれないだなんて。今となっては妄想でしかない感傷は、生々しくわたしの精神の、奥の方にこびり付いて離れない。
けれど結局その言葉をジョジョの口から聞くことはなかった。だからわたしはそれを未練に思に、願望を夢に描いてしまったのではないだろうか――いいや、いや。これでは未練がましい男はわたしだということになってしまう。そんな馬鹿な話があってたまるものか。本当に、ジョジョについての思考はろくな所に行き着かない。


寝よう、早く、一刻も早く。夢などを見る余地もない程に、どこまでも深く。
眠るぼくの頬にジョジョがこっそりと触れることなどは、もう2度とありやしないのだ。だからきっと、熟睡することができるはず。

一体いつ「愛している」と言ってくれるのかと待ち侘びながら、そわそわと寝返りを打つ必要なんて、もうないのだ。



「あれ、なんだか今日の君は一段と綺麗だね」
「開口一番何を言うんだい」
「顔を見た瞬間に思ったものだからさ。なにか悲しいことでもあった?とても深い哀愁が、君を輝かせているように見えるよ」
「そうだなぁ。それじゃあ、昨日君とあまり話すことができなかったから、という理由にしておこうか」
「もう、適当にぼくを浮かれさせるのはやめてくれよ。結構真に受けて喜んでしまうタイプなんだからね。それはそうと、昨日渡しそびれた茶葉を持ってきたんだ。執事の彼に渡しておいたからね。あとで淹れてきてくれるってさ」
「ふふ、それは楽しみだな、プッチ」
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