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アウトフォーカス

「天国とはつまり、世にひしめく有象無象の数だけの運命を、このDIOが独占する世界のことである」
「急に何だよ、お前」
赤い傘を差したDIOは、降りしきる雨の中をずんずんと進んでゆく。歩調を合わせてやるのも癪なので、3歩ほどを下がって付き従う。DIOは俺を振り返らない。訳の分からない独り言をつぶやきながら、厚い雲の向こうの月を目指すようにまっすぐ、まっすぐに歩いてゆく。
天国。天国。運命を独占するということ――いつか聞いたことのある、戯言である。
「進んでゆく先にはどのような石が転がっているのだろうか。この並木道を歩く者は果たして、足元の石を蹴り飛ばしてしまうのか?それとも躓きこけてしまうのだろうか」
ざあざあと雨が降る。アスファルトに叩きつけられる水勢は、ばたばたとけたたましい。それでもDIOの声だけは、やたらに明瞭だったのだ。平坦な調子の声。相変わらずの妄言吐き。顔だけが見えやしない。赤い傘の向こう、月を見上げ、得意げな表情をしているのだろう、顔だけが。
「友情とは一体、いつの日に損なわれるものであるのだろう。死とは?いつどこからやってくる?その悲しみの熱量とは?」
歩調を早めた拍子に蹴りつけてしまった小さな石が、DIOの足元を通り過ぎ、やがては雨の向こうへと消えた。いいや、石は確かにそこにあるのだ。あと数歩も歩けば、再会することができるのだろう。しかし俺はきっと、気付けない。今しがた蹴りつけた石の大きさも、形も、色も、何一つ覚えちゃいない。確かにそこにあったものの記憶はしかし、すっかりこの頭の中から弾き出されてしまっている。――DIOにとっての俺との記憶も、似たようなものである。
「ふふふ、誰も知らない。1秒先の未来を断言することはできんのだ。60億にも及ぶ有象無象の誰一人、そのようなことは決して、決してな。しかし、わたしにはできる。わたしだけが、この世界の過去も未来も把握することができる。それがわたしの天国だ。この世の頂点に君臨するということ。わたしの世界、わたしの天国、ふふ、ふ」
「おい、DIO」
隣に並んでも、DIOの顔は見えなかった。赤い傘が邪魔をする。DIOはやはり、俺の方を見やしない。なので掴んでやった。傘の柄を握りしめる生白い手を掴み上げてやった。さしたる抵抗はなかった。DIOの体はゆらりと揺らめき、傘はアスファルトの上に放り出された。降りしきる雨の下に、DIOの金の髪が、冗談みたいに綺麗な顔が、夏の装いに身を包んだ白い体が、頼りなく晒されている。自分で仕掛けたこととはいえ、焦った。大いに焦った。それなりの抵抗を見込んでの行為だったのである。慌てて俺の傘の下まで引き寄せてやれば、やはりDIOはさしたる抵抗もなく、ぼふりと俺の胸元へと飛び込んでくる。額に張り付く髪を掻き上げることもせず、DIOは濡れた睫毛を瞬かせ、じっと俺を見つめていた。
「しっかりしろよ、お前」
「強引に引っ張ったのはお前だ」
「お前が、どこかに飛んでっちまいそうになってたからだ」
「飛んでゆく?わたしが?」
「月にでも引っ張られたのか」
「――月。そう、そうだな。あの薄ぼやけた月のせいで、感傷的になってしまったのかもしれん」
切実の滲む表情で、DIOはひたすらに俺を見ている。何度か、見たことのある表情だ。そのたび俺は、どうして接してやるのかが正解であるのかが分からず煩悶し、反面なにがあってもこいつを離してやるものかと馬鹿げた決意を固めたものである。
「わたしは、わたしはだな――ええと、お前」
「承太郎だ」
「承太郎。ああ……じょうたろう、だな。うむ、思い出せるぞ、わたしは、まだ」
俺を視界の中心に据えたまま、赤い瞳がネコのように細まった。濡れた頭を撫でてやれば、もっともっと、と言わんばかりに小首を傾げてくる始末である。時たまやたらと素直な可愛げを、これでもか、と見せつけてくるからこいつはいけない。
「承太郎。わたしが思うにだな、天国、わたしが世界を取り巻くすべてを支配できる場所へと辿り着くことができたなら、わたしはもう何も忘れずに済むのではないのかと思うのだ。60億の人間の運命を知るわたしが、わたし自身のことを知らぬなどということほど、おかしな話もないだろう。だからな、承太郎」
ぱたぱたと――傘を打つ雨の音が、酷くうるさい。けれどやはり、DIOの声は鮮明だ。

「わたしを天国へ連れていけ。そこでもう一度、デートをしよう。今日のわたしはお前とどこへ行って、何をして、何を思ったのだろうか。もうすっかり、全てを忘れてしまっている。だからな、承太郎、だから、天国でもう一度……わたしと一緒に出掛けよう、承太郎」

そして目を閉じて笑うDIOの顔というものは、どうしようもなく、心臓が張り裂けてしまいそうになる程にどうしようもなく、綺麗で仕方がないのだった。
「……天国ってのはあれだろう。スタンドを捨てるとか、罪人の魂を集めるだとか、訳の分からん手順をしこたま踏まなきゃ行けねぇところなんだろう」
「できるだろう、わたしの為なら」
「馬鹿」
片腕で濡れた背を抱き寄せ、伸ばした腕で後頭部の髪を梳いた。俺の首筋に顔を埋めたDIOは、すんすんと鼻を鳴らしている。泣いているのだろうか。焦りのままに髪を引っ張ってみれば、上向いたDIOの顔にはそれはもうにんまりとした、意地の悪い笑顔が浮かんでいた。
「言ってみただけだ。お前にできるはずがないものな。スタンドを捨てるということは、つまり――」
「人を試すんじゃあねぇよ。この性悪」
もう1人の自分であるスタンドを捨てるということは、つまり死ぬということだ。次のステージへと上がるための準備だと思えば、これしきのことが死であるはずがない――とはいつかのDIOの言い分であるが、死は、死である。俺はこいつほどかっ飛んだ頭をしていないのだ。死とは、とても悲しいことであるだと分かっている。
「承太郎」
「ああ、なんだ」
「お前の知る『わたし』とは、この世でどう生きていた?」
「どうしようもねぇ、悪党だった。人間を食い物にする化け物だ」
「ふふふ、中々どうして、悪くはない響きではないか」
綺麗な顔にはいやらしい笑顔が張り付いていて、声の調子だって、それはもう傲慢だ。ふいと反れてゆく赤い両目だけが、場違いに弱々しい。
「DIO」
「ああ、どうした」
「泣いていいぞ、泣きたいなら」
「……はあ?」
DIOがそう言ったわけではなかったし、何の確証があったわけでもない。それでも、この男は泣きたがっているのだと、直感的にそう思う。何年もこいつのことだけを考えてきたのだ。どれだけDIOが忘れようとも、確かにここにあった時間の流れというものは、ちゃんと俺の頭の中に記憶されている。覚えている。こいつとの間にあったことは、何一つ忘れちゃいない。――そんな俺が、言うのだ。DIOについての直感が外れてなど、いるものか。
「よくもまぁ、このDIOに舐めた口を叩けたものだ。わたしはそんなに女々しくない」
「泣くに女々しいもくそもねぇだろう。いいから、泣けよ。どうせ俺しか見ちゃいねぇ」
「お前の前で泣くなど、死んでもごめんだ」
「それじゃあお前は、他のどこで泣けるって言うんだ」
「別にわたしは、泣きたくなんかない」
「どうせ、忘れる」
「承太郎」
「と、思えば泣けるだろう」
眉を吊り上げ、剣呑に目を細めたDIOが、俺の胸倉を掴み上げる。薄ら笑いの仮面などは、すっかり剥がれてしまっている。
「お前がわたしを泣かせたいだけだろう」
「俺は、お前の前で泣いてやったぜ」
「知らん。覚えていない」
「でも俺はちゃんと、覚えてる。だからそれは、確かに現実にあったことだ」
「疑っているわけではない。お前が『本当』のことしか言わないことは、何故だか分かる。ちゃんと知っている、このDIOは。だからといって、何故わたしが」
「DIO」
「……承太郎……」
片手を押し当てたDIOの頬は冷たかった。しかしぼたぼたと流れ落ち、俺の手の甲を伝って流れ落ちる大粒の涙は焼けるように、熱い。俺を睨みつけたまま、DIOは泣いているのだ。苛立たしげにぐしぐしと拭ってみてはいるものの、どうにももう自分の意志で止めることはできないらしい。
「本当はっ、嫌に決まっているではないか!」
「ああ」
「忘れたくないと思うだろう、わたしのことも、お前のことだって!」
「ああ、ああ」
涙交じりの言葉が零されるたびに、DIOの頬は熱くなる。語気はあらぶってゆく一方で、涙は垂れ流されるばかりなのだ。傘を放り出して抱きしめたくなる衝動を飲み込んで、俺は今俺の目の前にいるDIOを、ひたすらに見た。覚えておかなければならないからだ。往来、俺の前で泣きじゃくったDIOが確かにいたことを、この目と心臓で覚えておかなければならない。ああ、心臓は馬鹿みたいにどくどくとうるさく鳴っているのだ。

「し、しかしだなっ、このDIOはちゃぁんと知っているのだからな!お前がわたしのことを覚えている限りは、わたしがこの世界で生きていた証明も、承太郎からの愛に溺れるだけの腑抜けではなく、ちゃんと化け物をやれていたことも、わたしが――わたしが、どうしようもなくお前を愛してしまっていることも失われやしないのだと、このDIOはな、ちゃんと!しっ……知っているの、だからなっ!承太郎――承太郎、よ!」

虚勢張りが泣きながら笑っている。寄越される愛情の途方もない熱量に目眩がした。俺だってどうしようもなくお前が好きだ。無意識のうちに口から押し出された言葉が、DIOにちゃんと聞こえていたかどうかは定かではない。なにせ雨が降っている。世界中を海に還してしまわんばかりの勢いで降っている。
しかし、DIOが泣いた。一瞬の空白の後に笑顔を引込めて、子供のように声を上げながら泣き出した。それで、ああちゃんと聞こえていたのだな、と理解をする。もういいだろう、とDIOを抱き締める。傘は投げ捨てず、ちゃんとDIOの上に差してやりながら。俺の背中の辺りはこの1、2、秒でずぶ濡れになってしまっている気配があるが、知ったことではない。

「そういうことを言うから、忘れたくなくなるのだ!」
「忘れたって何回でも言ってやる」
「お、お前は!」
「ああ、DIO」
「~~お前は決して、わたしを忘れるなよ、承太郎!このDIOを!このDIOを!」
「死んでも忘れてやらねぇよ」

何度だって、言ってやる。





「……承太郎が、うそをついた」
「なんだお前、まだ4時だぜ。もう起きてきたのか?」
「寝てなどいられるか、落ち着かないっ!なにが、なにが忘れると思ったら泣けるだろう、だ承太郎め!」
「……覚えてるのか、お前?」
「~~思い出したくもないっ!何故このような記憶だけがしっかり残っているのだ、忌々しい!わたしは、わたしは、あんなことを言うつもりなどなかったのに!泣くつもりなどは、まったく――おい、何をしている承太郎!わたしは怒っているのだ、お前が適当なことを言うものだから!だから抱きしめるのではなく殴らせろ!おい承太郎っ、承太郎――!!」
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