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0~+4

べったりと濡れた下着と共に迎える覚醒の、もう一日中部屋に籠っていたくなるような情けなさと言ったらない。
一先ずは暖かいベッドからの脱出、そして洗い立ての下着を取り出した次に、粛々と真新しいそれと濡れてしまったそれを取り換える。窓から差す朝日は目が眩むほど眩いのに、気分は果てしなく憂鬱だ。

「うわっ」

出会い頭に人の顔を見た瞬間、無遠慮な声を上げたのはディオだった。
「一体どうしたんだ、ジョジョ。朝っぱらからくたびれたボロ雑巾みたいな顔をして」
「言うに事を欠いてボロ雑巾って君……」
「そのくらい酷い顔をしているってことだ。悪い夢でも見たのかい」
「ああ、もう、まさしく」
「はは、分かりやす男だなぁ、君って奴は」
呆れ笑いを漏らしたディオは肩を竦め、けれどそれっきりでぼくに興味を失ってしまったかのようにさっさと階段を下りてゆく。階下に辿り着いて尚、彼はぼくを見上げることもなくダイニングルームの扉をくぐった。

重い溜息が、また1つ。

ちょっと前の彼ならば、いつまでそんなところでもたもたしてるんだよ、とか言いながらもぼくを待ってくれていた。しかしある時を境に彼との関係が変わってしまったというか――じわじわと他人行儀になってきている気配があって、何とも言えない寂しさと苛立ちが募ってゆく一方である。

そしてなによりも、今朝方に見た酷い夢、頭の中にくっきりと焼き付いてしまっている幻が、ぼくに罪悪感と溜息を促してならないのだった。

――ディオの、白い、真っ白い首を真正面から締め上げながら、それこそ彼がボロ雑巾になってしまうまで犯し尽くしてしまう夢。

本当に酷い、いくら現実の出来事でないとはいえ、ディオにはどれだけ謝たって許してはもらえない、いいや、現実ではないからこそ、彼に許されて楽になることができないのだ。
夢の重さに背筋が震えた。夢は願望の再生であるのだという。だとしたら、もしかするとぼくはもう、後戻りのできない所まで来てしまっているのでは――ああ、息苦しいな、ものすごく。


ダイニングの扉を開け放つ。爽やかな朝の空気に包まれた部屋には、ぱたぱたと朝食のセッティングを急ぐ使用人。
そしてぼんやりと窓の外を眺めるディオ。父さんの姿はない。

「――ディオ」

物憂げな横顔が気になって、思わず声を掛けていた。ディオが、気だるげにこちらを向く。胡乱に細まった青い瞳。2秒と見ていられなくて、それとなく視線を彼の首元へと落す。
白い白い首。けれどその皮膚は誰ともわからない男の唇に汚されていることを、知っている。「なんだい、ジョジョ」
「いやその、確か明日って君、休みだったよね」
「うん?ええと――ああ、そうだったな、確かに。それがなにか?」
「覚えてるかな。いくらか前の話なんだけど、ぼくのタイピンを選んでほしいって頼んだこと」
「あったか?そんなこと」
「あったんだよ」
ディオが何も知らないよ、と言った風情で小首を傾ける。本当はちゃんと覚えてるくせに、とぼけているだけなのだろう。分かるさ、それくらい。7年も一緒にいた。
「まあ、そんなこともあったのかもしれないが。けれど君、今はちゃんと新しいのを付けているじゃあないか」
「そうなんだけど、やっぱり君が選んでくれたものも付けてみたいなって思ったものだからさ。迷惑かい」
「迷惑ってほどでもないが、ま、気が向いたらな」
「前も君、そうやってはぐらかしたよなぁ」
「だからぼくは、覚えちゃあいないんだってば」
ふっと零した笑みを最後に、ディオの視線は窓の向こうへ戻って行った。つまらなそうに遠くを見ている。
何を考えているのだろう。誰よりもディオのことを知っているつもりであっても、やはり複雑な人間という生き物、察しのつかない部分もあるものだ。仕方がないとは分かっているが、ディオの全てを理解できるわけではないのだという現実が悲しかった。悔しくも思う。

例えばどうしてディオは、何人もの男性と関係を持とうだなんて思ったのだろう、とか。
彼はとても賢い人であるはずなのに、何故そのような非生産的で、自分を汚すものでしかない行為に日々身を沈めてゆくのだろうなんて、夜も眠れなくなるくらい考えてはみたけれど、結局納得のいく答えなんて見つかりやしなかった。

「今日も良く晴れているね」
「ん?ああ、そうだな。一々言われなくたって、見れば分かることだが」
「……」
「……それだけか?」
「……それだけだ」
「変なジョジョ」
「君と話したかったんだよ」
「いつだって話せるだろうに。同じ家に住んでるんだから」
「今は『いつだって』には入らないのかい」
「今は――そうだなぁ。君と話しているより、雲を見ていたい気分なのかもな」
ちなみにこの彼、会話中もずっと窓の外を眺めたっきりで、ぼくには一瞥すらも寄越そうとしないのだった。
それとなく隣に並び、同じ窓から遠くの雲を見上げる。移ろいゆく雲の動きは引いては返す波にも似ていて、いつまで見ていたって飽きやしない。ただ今は隣のディオの方が気になって仕方がなく、けれど直視する勇気はない。視線は彷徨うばかりである。
「……ぼくの部屋の花瓶を割ってしまったのか?それとも貸していたペンを失くした?」
「……へ?」
「なにかやましいことがあるから、さっきからちらっちらこっちを見ているんじゃあないのか」
「ち、違うよっ!ぼくはただ君と話したかっただけで、やましいことなんて――やましいことなんて……」
「ジョジョ?」
「なにも――ないよ。なにもない、やましいことなんて。ただ君と話して、もうちょっと君のことを知りたかっただけなんだ」
「今更なにを知りたいって?嫌いな食べ物なら変わってないぞ」
「ふふ、そうなのかい。あ、ぼくはちょっと食べれるようになったものがあるんだよ」
「そんなこと聞いてない」
そっぽを向いた彼の横顔が、柔らかな朝日に輝いている。別段不機嫌な表情というわけでもなく、ぼくとの会話と楽しんでくれた風でもない。ただぼんやりと外を眺めるだけの、ひたすらに『普通』なディオの顔だった。

「……よく晴れた日だねぇ」
「さっきも言ってた」

こんな日常が、いつまでも続いてはくれないものなのだろうか。
無理か。無理なのだろうな。
あんな夢を見てしまった挙句、下半身まで濡らしてしまった今になっては何もかもが白々しい。
兄弟だ、親友だ。
それだけの関係で満足ができたなら、一体どれだけ幸せだというのだろう。どれほどまでに。



目を背けたままであったなら幸せでいれたのだろうディオへの感情、頭を掻きむしりたくなる程狂おしいそれを、とうとう眼前に突きつけられてしまったのはほんの3日ほど前の話である。

『――あぁん、きもちいいよぉ、』

ディオが『ぼくではない男』と繋がっている光景を目にしてしまった。
どこか投げやりだけれど、耳が腐ってしまうんじゃないかってほど甘ったるい彼の嬌声を聞いてしまった。
10秒にも満たない体験はしかし聴覚、視覚を通してぼくを辱め、ディオへの曖昧な感情にはっきりとした形を与えてしまったのだった。3日前のぼくと今日のぼくは違う人間であるのではないか、という気がしている。

1日目はひたすらにベッドの上を転がった。
2日目は腹の底に溜まる熱に任せるがまま自慰に耽り、掌にこびり付いた白濁のみすぼらしさに涙した。
3日目は夢の中で散々にディオを犯した挙句下着を汚してしまった。

この情けな男が、今のところのぼくである。ディオの知らないジョジョ。彼の知らないところで大変な変化を迎えてしまったことが、なんだかとても悲しかった。

――明日のぼくは何をしてしまうのだろう。
いつも通りの日常を過ごす裏で、ディオの知らないぼくはそんな恐怖に怯えている。



深呼吸を3度ほど。
浅く早い呼吸に胸は上下するばかりではあるが、いつまでも立ち尽くしたままではなんにもなりやしないので、思い切って目の前に立ち塞がる木製の扉をノックした。

「……なんだ、君か……はふぅ……」

少々の沈黙ののち、きい、と音を立てて扉が開いてゆく。桟に寄りかかるように顔を覗かせたディオは眠たげに眼を擦り、来訪者がぼくだと分かるやいなや気の抜ける欠伸をした。
「や……夜分に失礼。もしかしてもう寝るところだった?」
「まあ、そろそろな。どうしたんだ、こんな時間に」
「ちょっと話したいことがあって」
「今夜でなければいけないことなのか?」
「そうだね、できれば」
「……あんまり長居はするんじゃあないぞ」
「ごめんよ」

そっけなく背を翻したディオは、暗い部屋の中をすいすいと進んでゆく。向かう先のベッドの真横にはランプが設置されていて、仄かな灯りがよれたシーツを照らしていた。ぼすん、とそこへ腰を下ろした彼は、さっさとしろと言わんばかりにぼくを見る。
まったく歓迎されちゃあいないのだろう。とろとろと細まった彼の両目はいかにも眠たげだ。

「あ――あのさ、ええと、彼。茶髪で、背の高い彼から伝言を預かってきたんだけれど」
「誰のことだ?星の数ほどいるだろう、そんな奴」
「だから……ええとさ……」
「はっきりしろよ、ジョジョ」
「……4日前の夕暮れに、端の方の教室で、君と」
「――ああ、あいつ。あの彼か」
肩を揺らしてディオが笑う。気安い調子の表情だった。
「彼、なんだって?やっぱり君は人倫から外れてしまったつみびとなのだ、とでも言っていた?」
「……もしかして、とは思っていたけれど、彼とはあれっきりなのかい?」
「ん、ああ、そうだなぁ。あれっきりというか、あれだけだったというか。で、なんだって?」
「『ぼくに不足しているものがあるなら教えて欲しい、努力をするから、どうかこれっきりなんて悲しいことを言わないでくれ』、だってさ。一体どんな振り方をしたんだい。彼、3日前とは別人みたいに憔悴していたぞ」
「どんなもなにも、『楽しかったよ、ありがとう』。それだけさ」
「な、なんて薄情な」
ディオの体が傾いた。座った姿勢のまま、後ろへと倒れてしまったのだ。
背中をシーツに張り付かせたディオは、じっと天井を見つめている。表情は窺えない。ただなんとなく、昨日の朝ぼんやり外を眺めていた時と同じ顔、つまり『普通』のディオの顔をしているのではないのかな、と思う。
「ぼくはぼくにとっての唯一を探しているわけではないんだ。あんなお坊ちゃんの純情をもらってしまったところで、どうすることもできないのさ。ならばその胸に返してやるのが優しさというものではないか?いつか出会う彼の唯一の為にね」
「……彼が君に抱く愛情っていうのは、君だけに捧げられたものなんじゃあないのかな。いつか唯一の人と出会うのだとしても、この20歳の時代に君に捧げた感情というものだって、唯一無二の純情だと思うんだけれど」
「ぼくはそうは思わない、けれど君はそう思う。価値観が違うのだ。相互理解なんて夢の夢だな、ジョジョ」
ぱたぱたとディオの足が揺れた。声色も楽し気だ。急にふわふわと軽くなったディオの雰囲気が、言いようもなく苛立たしい。
だって価値観が違うだなんて。たったそれだけの一言で、彼の凶行、数多の男たちとの狂乱の数々を、肯定することなんてできるものか。
「用件はそれで終わりか?」
「ああ、ええと、まあ」
「悪かったな、ジョジョ。下らない話に巻き込んでしまって。彼のことはちゃんとぼくが片付けるから、君はもう気にしなくていい」
「会って、話すのかい?」
「?手紙を書くよりも、直接喋った方が早いじゃあないか」

直接話す、ということは、ディオは再び彼と顔を合わせるのだということだ。
――そこでディオの気が変わって、また関係を結んでしまうこともないとは言い切れないのだ。だってディオは、普段はとても理性的なくせに変なところが感情的で、これで案外気分屋だ。

『あぁん、きもちいいよぉ、――』

耳の奥にこびり付いた、秘めごとの声。ぼくではない男に引きずり出された彼の官能。
彼はまた、とてもぞんざいに扱っているようにみえるかの青年にあんな声を聞かせてしまうのか?
――あの青年だけではなく。
きっと彼はこれからも、これからもたくさん、たくさん、ぼくではない男たち甘い声を聞かせ、白い脚を開き、その身の内にグロテスクな欲望を受け入れてゆくのだろう。

ぼくではない、おとこたちの

「……ジョジョ?」

柔らかなカーペットを1歩、2歩、3歩と踏みしめて、4歩目でディオが転がるベッドの傍らに辿り着く。ディオが訝しげにぼくを呼んだ。どうやら起きあがる気はないらしく、薄いシャツに包まれているだけのお腹が無防備に晒されている。
「……行かないでくれないか」
「何の話だ?」
「君が、彼との関係をこれっきりにしておきたいってことは、ちゃんと伝えておくから。彼にはもう会わないで欲しい」
「ぼくは子供ではないのだし、自分の言いたいことくらい自分で言えるさ。一体君に何の権限があるっていうんだ?会わないで欲しいだなんて、そんなのまるで恋人の台詞だぜ、」
「それじゃあぼくが君の恋人だったなら、君は、ディオ、君はっ、ぼくではない男と寝るのをやめてくれるっていうのか!?」
「ジョっ、!?」
浮き上がりかけた彼の両肩を、真上からシーツの上に押し付けた。抵抗はなかった。真ん丸になった青い双眸に驚愕を浮かべたディオは、まるで男を知らない少女のようないじらしさで硬直をしてしまっている。
「っ、両手両足の指を足しても足らないほどの男を知っているくせに、そんな顔をしないでくれッ!!」
「――!!」
「可憐ぶって同情を引こうとでも言うのか!?そんなことでぼくは、ぼくは――!」
「今更になってぼくを糾弾するつもりか、ジョナサン・ジョースター!?」
ぼくの罵倒に被せるように、ディオが叫ぶ。白皙の頬はいつの間にか紅潮し、汗でてらてらと濡れていた。

「君はぼくの何なんだ!?ちょっと一緒にいる時間が長いってだけの、ただの友人でしかないだろうが!ぼくが何をしたって君に咎められる謂れはないッ!それとも今更ぼくの悪評が気になるのか?友人でいるのが恥ずかしいって!?悪かったなぁ、ジョジョ!ド淫乱も童貞食いも真実で!けれどこれが今のぼくなんだ、君が気付かないうちに変わってしまったぼくだ!

ぼくは――君ではない男とだって、どれだけだって寝ることができるんだ!」

ディオの激昂具合は尋常ではなかった。青い瞳は焦点を失い、美しい顔を下品に歪めながら聞くに堪えない言葉を吐く。先に怒り出したはずのぼくが足踏みをしてしまう程の怒りであった。
いいや――ぼくが二の句を継げなくなっているのは、ディオが自分より怒り出してびびってしまったとか、そういう理由だけではない。

「ひっ……!?」

怒りに燃える体はあまりに無防備だった。寝転ぶ彼を掬い上げるように抱き締めて、夜着越しに背中を撫でさする。昔母さんがしてくれたように、何度も何度も、努めて優しく。
――口汚いディオの罵倒の裏から「たすけて」と。救いを求めるか細い声が、聞こえたような気がしたので。
ぼくの怒りなんてものはちょっとだけ隣にでもよけておいて、今はただディオを抱き締めなければならないと、妙な使命感が沸いて出て止まらなくなってしまったのである。

「なんなんだよ……何がしたいんだよ、お前は……ぼくの恋人にでもなりたいってのか?ぼくが好きなんだって?……そんなわけ、ないよな?」
「ぼくの感情がそれだけで片付くものであったなら、とっくの昔に言っていた。……君が好きなんだって、言ってたさ」
「……!!」

抱えた彼の背を再びシーツに押し付けるようにベッドの上に転がった。けれど彼の顔を見るのが気まずくて、白い首筋のすぐ横に鼻先を埋めてみる。
ディオの性交の現場を目撃してしまったことにより、形を得てしまったぼくの感情、ディオへの激情。それを吐露するってことはぼくは丸裸になるも同然で、どうにも彼の目を見たまま言えるようなものではない。
いいや、こんなものは終生ぼくの胸の内にしまっておくのが一番いいのである。しかし今のぼくにはそれができない。ぼくとディオの関係が拗れてしまうことなんて分かりきっているのに、それでも言わなきゃいられなくなる程に、ディオという人への感情が溢れだして止まらないのだ。

「――ぼくは多分、心から君を信じてるわけじゃあない。子供の頃のいざこざが心のどこかに残っているのだろう。なにかの拍子に君は、また酷い仕打ちをぼくにするのではないかって。そんなことを、思ってる。
だからなんだろうな。君のよくない噂を耳にした時も、君がそんなことするはずないって思うより先に、疑ってしまったんだ。噂に聞いた通り、君は体で成績を買っているんじゃあないかって。馬鹿だよね。君がおかしくなってしまったのはひと月と少し前で、それ以前も君はずっと優秀な学生だったってのに。……そんな君を誰よりも近くで見てきたのは、ぼくだっていうのにね」

耳元でディオが小さくジョジョ、と呟いたような気がした。
彼を抱き締める腕に力を込める。もう2度と、ぼくの方からこの腕を離せそうにはない。

「ぼくはな、ディオ。君が好きだよ、恋をしている。君の全てを信じているわけではないのに、それでも君が好きなんだ。
……いいや、好きだっていうよりも君が欲しいって言う方が正しいのかもしれない。理性なんか全くなくて、どこまでも動物的な感情だ。あの現場に遭遇してしまった時、ぼくは相手の男なんてどうでもよくて、ただただ君の首を絞めてしまいたいと思った。ぼくではない男に体を明け渡した君に罰を与えたいって。……実際夢の中でやっちゃったしね、ごめん。
それに――いつだったか、街で助けた女の子がお礼を言いに来てくれたことがあったじゃあないか。正直に言うとね、あの時、ぼく結構どきどきしてたんだよ。ああ、やっぱり女の子って可愛いなあって。でも君を前にするとそう思ってしまった自分がなんだか、とても不義理な男であるような気がして、いっそのこと君に罵って欲しかった。どうしてぼくではない女の子にうつつを抜かしているんだ、このまぬけ、とかなんとか、はは……おかしいね、ぼくらは恋人でもなんでもないのに」
「……だからお前、馬鹿みたいに立ち尽くしてたのか?ぼくに叱られたくて?」
「へ?うん、まあそうなるのかな。驚いた、君も覚えてたんだね。結構前のことだったと思うんだけど。あ――そうだ、その時だったよね。タイピンを選んでほしいって、」
「2か月前だ」
「そ、そうだっけ?よくそんなはっきり、覚えてたね」

それっきり黙ってしまったディオの、静かな呼吸が鼓膜を打つ。なんだか水を差されてしまった気分になり、ぼくは思い切って顔をあげた。最後くらいは彼の顔を見なければ失礼なんじゃあないのかと、今更ながらに常識ぶって。

「物語に描かれるような、美しい愛情だけではないんだ。ぼくはもっと生々しくて、どうしようもなく低俗な感情と欲求を、君に抱いてしまってる。夢の中で君の首を絞めながら、君を殺すつもりかってくらい酷く犯し倒した時なんかは、こんなに満足感を得られる行為がこの世にあったのかって驚いたくらいで――ちょっとだけ。本当に一瞬だけだけれど、現実の君にも同じことをしたいと思ってしまった。
……こんなぼくと『恋人』になったって、君は幸せになれやしない。ぼくだって醜い男になってしまうのは嫌だ。だからきっと、ぼくらはここから先に進むべきではないんだよ。
それでもぼくは、ぼくはね、ディオ――」
「――やめろ、聞きたくない」
ぼくをまっすぐに見つめるディオの、金色の睫毛が濡れていた。
「っ、言わせてくれ、もう我慢なんて、できやしない!」
「いやだ、聞きたくない!」
「ぼくは君が、欲しいんだ!あ――あいしてるっ、愛しているんだよ、ディオ……!」
「この、馬鹿……!!」

柔らかなディオの頬の上を、透明な涙が滑ってゆく。ぼくの目から零れ落ちたものだ。ディオの双眸はすっかり涙の膜に覆われてしまっているけれど、未だ決壊は迎えていない。子供のように泣いているのはぼくだけだ。

「――拒んでくれ、ディオ。いつもの調子で口汚くぼくを罵って、ぼくの人間性やこれまでの人生なんかも丸ごと全部否定して、ぼくを君から遠ざけてくれないか。そうでもされなきゃあ、もう駄目だ、このままぼくは君のことを抱いてしまう」
「抱きたくないのなら、お前から離れていけばいいだけの話じゃあないかっ」
「できないから頼んでいるんだ!君を抱いたってろくなことになりやしないのに、もう自分の力じゃあ止まれないところまできてしまっている!お願いだ、ディオ、ぼくを拒んでくれ!君がどうしても嫌だっていうのなら、嫌だけど、本当に嫌だけど、頑張って諦めるから、君にまつわる全部が全部!」
両手の中に、ディオの頬を閉じ込めた。いつもは雪の色をしている彼の頬が、信じられないくらい熱くなっている。なのに涙は溢れない。青い瞳を輝かせるばかりで、一向に零れ落ちやしないのだ。
「なんて……なんて横暴なことを言うんだ、君らしくもない……!」
「そうさせているのは、君だ!」
「このディオが悪いっていうのか、ジョナサン・ジョースター!?とんだ紳士もいたものだなぁ、反吐が出る!」
「だから――拒んでくれと言っている」
「……ジョジョ……?」
「このままじゃぼくは紳士どころか、君への執着だけで呼吸をする化け物になってしまう気がしてならないんだ。多分君を抱いてしまったら、あとは転がり落ちる一方だ。ぼくはぼくでいられなくなる。分かっていても……君を手放すことが、できないんだ……」
「……なんて、どうしようもない奴なんだ……」

ふい、とディオの視線が逸れた拍子に、青色の瞳からこぽりと涙が滴った。
それで、最後だ。
ここで、終わりだ。
性急に、ディオの唇に噛み付いた。まるでディオを食しているような猟奇的な幻想が、ぼくの下半身を重くした。性器はすっかりはしたなく勃起してしまっている。ディオの太腿に押し付けた。ディオは観念したように目を閉じた。ぼくは、閉じなかった。見ていたかったのである。悔し気に眉を寄せながら、それでもぼくから離れようとしない彼の、愛おしいかんばせを。

「……ぼくは……」

唇の間に爪一枚分ほどの隙間が空く。呼吸はとっくの昔に混じり合い、互いの頬を濡らす涙もすでに、どちらのものかは分からない。

「お前に幸せにしてもらおうだなんて、思ってない……思ったことなんて、一度も、一度も」

ぐしゃぐしゃに泣き濡れた顔だって、変わらず彼は美しい。
彼の訴えを最後まで聞いてあげたかったけれど、ここまできて我慢などはできなかった。もう一度、キスをする。角度を変えて、何度だって。

いつの間にかぼくの背に回っていた彼の両腕の愛しさに、涙は溢れて止まらなかった。
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