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+5その2
母よ。
大変なクソ野郎の妻となったばかりに早逝する羽目になった我が母よ。
毎夜ぼくの頭を撫でるあなたはやれ矜持を忘れるな、やれ気高く生きよと洗脳のごとく囁きかけたものではあったが、結局ぼくはあなたの望む高潔な息子になどはなれなかった。
期待を裏切ったことを申し訳なく思っている。しかしそれ以上に、魔窟たるロンドンでの生活がどのようなものであるのかを知っていたくせ、あのような妄言を吐き続けたあなたは頭がおかしい人だったのではないのかと、今となってはそう思う。あなたへの慙愧の念などは日に日に薄まってゆく一方だ。
卑屈な処世術を覚えました、身体などはとうの昔に売りました、父は殺しました。
あなたを苦しめたダリオとかいう男はぼくがこの手で殺したのだ。あなたが表だって喜ぶことはないのだろうけれど、心のどこかですっとした部分もあるだろう。そういう、すっとした部分の情緒だけが他を置き去りに成長してしまったのが、今のぼくだ。
実行に移すまでは、あの下らない男を手に掛けてしまうことでなにか、ぼくの人生に不都合なことが起きるのではと躊躇をしていた。豚箱などはごめんである。けれどぼくの立てた計画は驚くほど容易に遂行され、結局誰にも疑われることなく父を殺すことに成功したのだった。こんなことならもっと早くに決断していればよかった。本当に。
これがあなたの息子だ。
沢山のものに浪費され続けてきたぼくである。心に錦などを抱けようはずもない。
そんなぼくが、どうしたことか恋をした。
ジョナサン・ジョースターという底抜けの善人である青年で、きっとあなたがこうあって欲しいと思ったぼくの姿に、誰よりも近い男なのではないのかと思っている。
だから彼を好きになったってわけでもないのだろうが、やっぱり恋の原因にはあなたの教えもあったのだろうな。馬鹿だ馬鹿だと思えども、あなたの理想であったのだろう彼を眩しく思っていたところもあるのは事実だった。
ただそれは、まったくぼくには必要のない感情だ。
彼への恋慕を自覚した瞬間の絶望を、あなたは理解してくれるだろうか。
ぼくは、ぼくはね、母よ。あなたと同じ轍を踏むことだけは、ごめんなのだ。
ジョジョの寝顔というものは、それはもうまぬけなのである。
「……」
眩い朝日に輝く頬を引っ張った。まぬけが余計にまぬけになって、それでもジョジョは起きやしない。こんなことをしていても、この男への愛しさが膨らんでゆく一方だ。
ベッドを下りて、デスクへ向かう。そして、上から2段目の抽斗を開けた。中は昨日しまった時と寸分も変わらぬ位置に、いかにも贈り物用といったラッピングを施された小箱が収まっている。
掌に収まってしまうそれを携えて、今度は窓際へ向かった。窓を開け放つ。吹き込んできた風はあまりに爽やかで、なんだか妙に据わりが悪い。
いつかの突風ではなく、頬を撫でるような生温い向かい風。ぼくを小馬鹿にするような。
たくさんの男と寝なければ。ジョジョへの恋心を誤魔化すために。ぼくはジョジョにのめり込んでいるわけではなくて、似たような男であったなら誰でもいいんだぜ、ってことを、証明するために。――実に、たくさんの男と寝たものだ。
なんの実りも結ばない行為で終わってしまったが、まああれも青春の思い出の1つなのだろう。あんな馬鹿をやれるのは、大人になりきれていない今の時間だけなのだ。
「『あいしている』、なんて空疎な、即物的な」
ぼくは強烈にジョジョという男を愛している。目を背け続けてきたそれは昨晩急に決定的なものになってしまい、ぼくにとどめを刺していった。
愛なんて、ぼくには必要のないものだ。だってそんなもので幸せになれるわけがない。
いいや――昨日のぼくは、確かに幸せだった。愛した男との口付けの、陶酔染みた幸福といったら他に例えられるものがないとすら、感じていた。
けれどそんなのは一時的なものだ。ぼくがずっと欲しかった幸福はこんなものじゃない。愛なんて、なんの手立てにもならない言葉に縋らなくちゃならないものなどでは、決して、決して。
――ぼくの母は、畜生のような男に愛情などを抱いてしまったせいで早くに死んでしまったのだ。
初めはあの男も、母の中の何かを惹きつけるものを持った男であったのだろうな。しかし結局は汚らしい豚になった。人間とは変わってしまう生き物だ。
ならばジョジョだって。眩いばかりに美しく生きるあの男だって、いつまでも純朴なばかであり続けられる保障なんてものはどこにもない。いつまでぼくの好きなジョジョのままであってくれるのかなんて、分かったものではないじゃあないか。
「ふふ、ふ、」
結局ぼくは欠片だってジョジョを信用なんてしてなかったってことだ。この恋慕とは、その程度の感情なのである。
大丈夫だ。捨てられる。ぼくはまだ、ぼくに戻ることができるのだ。誰よりも強い男になると誓ったぼくに。
ジョジョに出会う前の、愛の充足も空疎も知らなかった頃のディオ・ブランドーに。
今度の休みには、早速毒を調達してこよう。父を殺した時に使ったもの。あれと同じでいい。
いや、休みと言わず、今日の授業が終わってからすぐにでも。善は急げっていうものな。
「……、」
180度。体の向きを変えて、背中から窓枠にもたれ掛る。向かい風は追い風に。巻き上げられた髪の毛が頬を擽る感触がこそばゆかった。
ジョジョ、ジョジョ。ぼくはまた、君の知らないところでちょっとだけ、別の人間になっちまったみたいだぞ。
「あいしてる」
まぬけな寝顔に囁いた。これっきり。ぼくが愛なんて言葉を口にするのは、これが最後である。
開け放った窓の外へ、手にした小箱を投げ捨てた。
昨日の休みの日、ジョジョの為に選んでやったけれど、あれだけはぐらかした手前渡しにくくって、抽斗の中に隠したタイピン。もう渡す必要なんてない。ぼくの恋心諸共、どこへなりともと飛んで行ってしまうがいい。
「……まぶし……」
ふぬけたまぬけの声がする。ついで、ばさばさと慌ただしく布団を捲る音。ぼくを探しているのだろうか。どこまでも定型文的な男である。馬鹿だとは思えども、案外嫌いじゃあなかったんだ、そういうところ。
「おはよう、ジョジョ」
生温い追い風が止まる気配はない。髪の先が刺さる頬の辺りが、ちょっとだけ痛かった。
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大変なクソ野郎の妻となったばかりに早逝する羽目になった我が母よ。
毎夜ぼくの頭を撫でるあなたはやれ矜持を忘れるな、やれ気高く生きよと洗脳のごとく囁きかけたものではあったが、結局ぼくはあなたの望む高潔な息子になどはなれなかった。
期待を裏切ったことを申し訳なく思っている。しかしそれ以上に、魔窟たるロンドンでの生活がどのようなものであるのかを知っていたくせ、あのような妄言を吐き続けたあなたは頭がおかしい人だったのではないのかと、今となってはそう思う。あなたへの慙愧の念などは日に日に薄まってゆく一方だ。
卑屈な処世術を覚えました、身体などはとうの昔に売りました、父は殺しました。
あなたを苦しめたダリオとかいう男はぼくがこの手で殺したのだ。あなたが表だって喜ぶことはないのだろうけれど、心のどこかですっとした部分もあるだろう。そういう、すっとした部分の情緒だけが他を置き去りに成長してしまったのが、今のぼくだ。
実行に移すまでは、あの下らない男を手に掛けてしまうことでなにか、ぼくの人生に不都合なことが起きるのではと躊躇をしていた。豚箱などはごめんである。けれどぼくの立てた計画は驚くほど容易に遂行され、結局誰にも疑われることなく父を殺すことに成功したのだった。こんなことならもっと早くに決断していればよかった。本当に。
これがあなたの息子だ。
沢山のものに浪費され続けてきたぼくである。心に錦などを抱けようはずもない。
そんなぼくが、どうしたことか恋をした。
ジョナサン・ジョースターという底抜けの善人である青年で、きっとあなたがこうあって欲しいと思ったぼくの姿に、誰よりも近い男なのではないのかと思っている。
だから彼を好きになったってわけでもないのだろうが、やっぱり恋の原因にはあなたの教えもあったのだろうな。馬鹿だ馬鹿だと思えども、あなたの理想であったのだろう彼を眩しく思っていたところもあるのは事実だった。
ただそれは、まったくぼくには必要のない感情だ。
彼への恋慕を自覚した瞬間の絶望を、あなたは理解してくれるだろうか。
ぼくは、ぼくはね、母よ。あなたと同じ轍を踏むことだけは、ごめんなのだ。
ジョジョの寝顔というものは、それはもうまぬけなのである。
「……」
眩い朝日に輝く頬を引っ張った。まぬけが余計にまぬけになって、それでもジョジョは起きやしない。こんなことをしていても、この男への愛しさが膨らんでゆく一方だ。
ベッドを下りて、デスクへ向かう。そして、上から2段目の抽斗を開けた。中は昨日しまった時と寸分も変わらぬ位置に、いかにも贈り物用といったラッピングを施された小箱が収まっている。
掌に収まってしまうそれを携えて、今度は窓際へ向かった。窓を開け放つ。吹き込んできた風はあまりに爽やかで、なんだか妙に据わりが悪い。
いつかの突風ではなく、頬を撫でるような生温い向かい風。ぼくを小馬鹿にするような。
たくさんの男と寝なければ。ジョジョへの恋心を誤魔化すために。ぼくはジョジョにのめり込んでいるわけではなくて、似たような男であったなら誰でもいいんだぜ、ってことを、証明するために。――実に、たくさんの男と寝たものだ。
なんの実りも結ばない行為で終わってしまったが、まああれも青春の思い出の1つなのだろう。あんな馬鹿をやれるのは、大人になりきれていない今の時間だけなのだ。
「『あいしている』、なんて空疎な、即物的な」
ぼくは強烈にジョジョという男を愛している。目を背け続けてきたそれは昨晩急に決定的なものになってしまい、ぼくにとどめを刺していった。
愛なんて、ぼくには必要のないものだ。だってそんなもので幸せになれるわけがない。
いいや――昨日のぼくは、確かに幸せだった。愛した男との口付けの、陶酔染みた幸福といったら他に例えられるものがないとすら、感じていた。
けれどそんなのは一時的なものだ。ぼくがずっと欲しかった幸福はこんなものじゃない。愛なんて、なんの手立てにもならない言葉に縋らなくちゃならないものなどでは、決して、決して。
――ぼくの母は、畜生のような男に愛情などを抱いてしまったせいで早くに死んでしまったのだ。
初めはあの男も、母の中の何かを惹きつけるものを持った男であったのだろうな。しかし結局は汚らしい豚になった。人間とは変わってしまう生き物だ。
ならばジョジョだって。眩いばかりに美しく生きるあの男だって、いつまでも純朴なばかであり続けられる保障なんてものはどこにもない。いつまでぼくの好きなジョジョのままであってくれるのかなんて、分かったものではないじゃあないか。
「ふふ、ふ、」
結局ぼくは欠片だってジョジョを信用なんてしてなかったってことだ。この恋慕とは、その程度の感情なのである。
大丈夫だ。捨てられる。ぼくはまだ、ぼくに戻ることができるのだ。誰よりも強い男になると誓ったぼくに。
ジョジョに出会う前の、愛の充足も空疎も知らなかった頃のディオ・ブランドーに。
今度の休みには、早速毒を調達してこよう。父を殺した時に使ったもの。あれと同じでいい。
いや、休みと言わず、今日の授業が終わってからすぐにでも。善は急げっていうものな。
「……、」
180度。体の向きを変えて、背中から窓枠にもたれ掛る。向かい風は追い風に。巻き上げられた髪の毛が頬を擽る感触がこそばゆかった。
ジョジョ、ジョジョ。ぼくはまた、君の知らないところでちょっとだけ、別の人間になっちまったみたいだぞ。
「あいしてる」
まぬけな寝顔に囁いた。これっきり。ぼくが愛なんて言葉を口にするのは、これが最後である。
開け放った窓の外へ、手にした小箱を投げ捨てた。
昨日の休みの日、ジョジョの為に選んでやったけれど、あれだけはぐらかした手前渡しにくくって、抽斗の中に隠したタイピン。もう渡す必要なんてない。ぼくの恋心諸共、どこへなりともと飛んで行ってしまうがいい。
「……まぶし……」
ふぬけたまぬけの声がする。ついで、ばさばさと慌ただしく布団を捲る音。ぼくを探しているのだろうか。どこまでも定型文的な男である。馬鹿だとは思えども、案外嫌いじゃあなかったんだ、そういうところ。
「おはよう、ジョジョ」
生温い追い風が止まる気配はない。髪の先が刺さる頬の辺りが、ちょっとだけ痛かった。
ディオへの感情が逸脱してしまってるとか思ってても根本ではやっぱり善良でまっとうなジョナサンと、人並みに恋とかもするけどやっぱりどこか逸脱してるディオのすれ違い
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