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AM1:32 リビング

ベッドの上にいた。仰向けになって。使い慣れたベッド。2年前からの。スプリングが軋んでいる。イカれたように。壊れてしまいやしないだろうか。それは困る。とても。

「っ、」
「どこを、見ている」

急に、息ができなくなった。ひゅう、と間抜けな音を立てて、口の中に残っていた空気がどこぞへと消えてゆく。声も出ない。

「わたしを見ろ。わたしを、見ていろ。ああ、それでいい」

喉を鳴らす俺を見下ろして、腹の上に乗った熱源は、DIOは、満足げに口の端を持ち上げた。赤い唇が三日月の形に歪んでいる。

この野郎、と。

まず頭に浮かんだのはそんな文句で、次に思ったのは、ああ、いつの間にか思考能力が戻っているぞ、ということだった。
思考を欠いていた、という意味では、つい数秒前までの俺は人間ではなかったのかもしれない。ただの餌だった。腹の上の吸血鬼の。内面のおぞましさを隠そうとしないくせ、それでも美しくあり続けるこの男に貪られるだけの。
とにかく酸素が恋しかったので、喉元に食い込む生白い指先を引き剥がそうと試みた。しかし意外なことに、抵抗はなかった。従順なまでに、するりと、白い指先が剥がれてゆく。――DIOのそうした行動には、妙な心細さがあった。置いてきぼりにされてしまったかのような。一人だけ。この薄暗い部屋に。

呼ぼうと思った。名前を。呼ばなければいけないと、そんな衝動が胸の内で暴れている。この男の名前。それを呼んで、それから、それから――勝手にふらふら出掛けんじゃねぇよ、とか、いいやそうじゃあないんだ、もっと何か、こいつに叩きつけてやらなければ気が済まない言葉があったはずで、

「――ん、」

中途半端に開いた唇が、湿り気を帯びた質量に塞がれる。ぬるり、と口内を這う舌の感触に背筋が震え、それからようやく、ああキスをされているのだと、現状の認識を得る。赤い瞳が限りなく近くにあった。喜色に滲んだ双眸はやはりいやらしく、やはり、死ぬほど小憎らしかった。

「ぁ、あ……はぁ、あ、」

下の方からぐちり、と水音が経つと同時に、人の口の中を好き勝手貪っていた舌先がだらしなく弛緩して、赤い唇が、頬のあたりまで滑ってゆく。あの唇が通ったであろう道筋がやたらに熱い。

「んっ、は、あ、ぁあ……」

億劫そうに上半身を起こしたDIOが、俺の真上で喘いでいる。勝ち誇ったような笑みを浮かべて。そのくせベッドについた両腕は、がくがくと頼りなく震えている。

「ぁは、あ、あ、ん……きもちいい……じょう、たろぉ……」

笑い声にはすすり泣いているような響きがあった。というか、もしやこいつは泣いているのではなかろうか。酩酊するようにとろりと蕩けた瞼の合間に、たっぷりと蓄えられているあの液体は、涙ではないのだろうか。この傲岸不遜な男と涙というものを結びつけることができなくて、脳が、認識を拒否していただけで。腹の上でずっと、こいつは泣いていたのではないのかと。

「ん……なにを、しようとしている」
「もうちょい下げろ、頭」
「わたしに触れたいのであれば手を伸ばせ。届かぬ距離でもあるまい」
「協力しろっつってんだよ」
「何故わたしが」

つまらない小競り合いをしているうちに、指先はDIOの目元へと到達していた。結局こいつは1ミリたりとも顎を引いていない。
少々癪に思いながらも、目元を探る。赤くなった目の淵。触れた瞬間に分かった、濡れている。涙だ。あの赤い瞳から滴っている。DIOが瞬きをすれば、新たな雫が弾きだされ、俺の指を濡らしてゆく。

「……なんつーか。涙とか、出るんだな。てめーみたいな奴でも」
「……貴様はほんっとうに、わたしの神経を逆立てるのが上手だな」
「泣くような奴じゃないと思ってた、ってことだぜ。泣き虫だと思われてたっつう方が嫌だろーに」
「こんな涙に意味などあるものか。貴様でも熱が出れば涙腺が緩くなることもあるだろう。そういう類のものだ」
「なんでんな必死になってんだよ」
「貴様が訳の分からんことを言うからだっ!まったく、黙って寝ているだけなら可愛げもあろうというものなのにな!貴様とくれば!」

涙の理由など知りはしないが、どうでもいいが、とにかく「DIOが泣いている」という事実が心臓を一突きに貫いてゆく。
知りたくなかったのかもしれない。このどうしよもなく「人でなし」な男にも、人間的な働きが残っていることを。
何故なのかは分からないが、もしかすると分からないふりをしているだけなのかもしれないが――とにかく、この男の新たな一面を目の当たりにした瞬間に、酷い衝撃と衝動がとんでもないスピードで全身を駆け巡ったことは確かなのだ。脈拍よりもずっと早く。

「ぅあっ!?」

目元に這わせた掌を豪奢な金髪が群生する後頭部へと回し、そのまま、勢いで引き倒す。俺がそんなことをするとは思ってもみなかったのだろう。突っ張った肘が折れ、生白い上半身が倒れ込んでくる。俺だって自分がこんなことを――DIOを、抱き込むような真似をする羽目になるとは思っていなかった。こんな、心底愛し合っている恋人同士の真似事をするように。

「……承太郎?」

形のいい眉が、訝しげに寄っている。引き倒した瞬間には罵倒や抵抗を覚悟したものだったが、どうやらこの男はそうした行動に出るつもりはなさそうだ。つまり俺のちょっとした横暴は許されているということで、つまり――それだけ距離が縮まっていたのだということを、今更ながらに思い知る。

「DIO」

とうとう、名前を呼んだ。呼ばなければならない、と思ってから5分はたった今になって。

「なんだ」

聞き慣れた不遜な声。涙を貯めているくせに。
泣いて、いたくせに。お前は。俺の腹の上で。

「――DIO、俺は、お前を 」






とにかくサイアク、としか言いようのない気分である。額に押し当てた掌は冷たく、勝手に漏れる溜息はひたすらに重い。

――2年。生活を共にしてきた相手と寝た。
たったそれだけの事実である。
たったそれだけの事実に死ぬほど打ちのめされている。

その相手が同性であることはこの際どうでもいい。相手は元々、なんというか、性別という括りを鼻で笑うような強烈な色香を垂れ流しにしている男だったので、性別がどうとかいう躊躇はなかったし、背徳感などというものもそうなかった。必死すぎて覚えていないだけかもしれないが。それならそれで、忘れてしまう程度の感慨でしかなかったということだ。
相手とは、かつて死闘を繰り広げた間柄だったということも、少なくともこの憂鬱に関しては大した問題じゃなかった。いつの間にか、敵対していた期間よりも日常を共に過ごしてきた時間の方が長くなってしまっている。悪鬼の如く歪んだDIOの顔はきっと生涯忘れはしないのだろうが、ふとした瞬間に思い浮かべるDIOはいつだって、日常風景のどこかにいるあいつの姿なのである。いつ見てもふてぶてしい面をしているものの、あの怖気の走る邪気はない。徐々に、そうなっていった。このところは本人も、平和ボケしてゆく自分自身に苛立ちを感じている節がある、ような気がする。

――いや、今はそんな事などどうでもいいのだ。
とにかく2年である。そんな短くない時間を共に過ごしてしまったものだから、あのろくでもない男に妙な感情を抱いてしまって、実際物理的にも抱いてしまって、挙句、どうしようもない憂鬱に押し潰されそうになっている。

思い知らされてしまったのだ。俺があの男に抱いてしまった感情には、どこにも行き場がないのだということを。
拒絶されて、それでもあいつを追い続けるほど俺は、健気な性質ではなかった。人の気持ちを受け取ろうともしないあいつに憤りも感じている。ただ今はひたすらに空しくて、あいつと言い合いをするのも億劫だった。
こんな胸糞悪い思いをするくらいならあいつを抱くんじゃなかった。本当に今更、どうしようもない後悔に襲われて仕方がない。

『――承太郎、』

なんということのない夜だったはずだ。今も沈み込むように座っているこのソファーに並んで腰かけて、会話もなく、互いに読書に没頭していただけの。
しかし姿勢を直した拍子に、肩が触れた。そして、あいつが俺の名前を呼んだ。咎めるわけでもなく、気を悪くした風でもなく、ただ息をするように当たり前に、俺の名を。触れた拍子に、目が合ったものだから。

その「当たり前」が、締め落とさんばかりの勢いで俺の胸を絞め付けた。今更。今になって、ああ「DIO」は「ここ」にいるのだなぁとか、けれどそれが「当たり前」になった現実などは、この吸血鬼にとっちゃほんの一瞬の時間でしかない、酷く刹那的なものなのではないのかと、不安に駆られて酷い困惑を。

それから俺は、不安を振り切るように、身を乗り出してきたあいつの、吊り上った唇に――
そうすればすべてが解決するのだと、愚かにも安易にあの吸血鬼に乗せられて――

「酷い顔をしている」
「……おめーも大概じゃねぇかよ」
「ふん、なんのことだかな」

DIOに関する思考を打ち切ったのもまたDIOの、肉声であった。
ひたひたと、引きずるような足音が浴室からこちらへと向かってくる。視線をやった。DIOは頼りない足音に見合う、実に頼りない足取りで、それでもこちらへとやってくる。ソファーまで辿り着くと、一瞬の躊躇を見せたものの、俺に倣うように定位置へと身を沈めた。

「……」
「……」

空気の重量が増してゆく。こいつの身柄を預けられてすぐの時ですら、ここまで酷くはなかったような気がする。

「こんなに」

横目で隣を盗み見ると、DIOは背もたれの淵に首を預け、ぼうっと天井を見上げていた。俺の視線には気付いているのだろうか。こちらを見ようとする様子はない。

「男と寝て。こんなに酷い気分になったのは、初めてだ」

酷い気分なのは俺も同じだ。

「そうか」
「そうだ、貴様のせいだ」
「俺だって大概酷い気分になってるぜ」
「わたし程ではない」

不遜に断言をした男はふんと鼻を鳴らした。俺を嘲っているようにも聞こえたし、自嘲をしたようにも思える。余程「酷い気分」であるのだということだけはありありと伝わってくる。

「どこかに時間を遡る能力が転がっていないものか。もし数時間前に戻れるなら己に警告を与えてやれるのになぁ。軽率な真似をするなよと」
「誘ってきたのはお前だろうが」
「先に意味ありげな視線を寄越してきたのは貴様だ」
「またそうやって俺に、押し付けようとする」
「貴様を責めたくて責めたくて仕方がない。そういう気分なのだ、仕方なかろう」
「どうして」
「それは、貴様が」

水気を吸った金の髪が、はらりと揺れて。不意にこちらを向いたDIOの青白い頬に、ぺたりと、張り付いた。

「承太郎が」

淡々とした声だった。であるというのに、赤い双眸に込められた情念の濃度といえば、それはもう、視線だけで窒息を促すような。辛そうに顰められた両眉だけが、場違いにいじらしい。

「下らないことを言うからだ、この、本当にもう、この、愚か者」

子供じみた罵倒である。そんなものは、甘えられているようにしか感じない。
衝動的に生白い体を抱き込んでやりたくなった。尖った唇を肩口に押し付けて、ついでに鼻も、そうして呼吸を奪わんばかりに。ある程度の無体を許されていることを知ってしまったものだから。
しかし結局、実行には移さなかった。DIOの視線から逃げるように首を傾け、見慣れた天井を無感動に見上げる。隣でDIOが溜息を漏らしている。知ったことではない。見てほしいのなら、そう言えばいいのだ。いつもの調子でただ一言「わたしを見ろ」とでも。ともかく俺は完全に白けてしまっているので、言葉にもできないことを察してやる義理はない。お前のせいだ、お前の。

「そもそもあの忌々しい財団の元で監視され続ける生活を送るよりも、貴様1人の方がましなのだと、そう思ってしまったこと自体が間違いだったのだな。そうに違いない。ならばわたしは2年の時を遡らねばならぬというわけだ」
「何がそんなに気に入らない」
「だから貴様が、」
「本心だ、あれは。勢いで言っちまったようなもんだが、それでも、それなりの誠意はあった」
「それがいけない」
「即答かよ」
「貴様があんなことを言うから、わたしは……」
「……DIO?」

言葉に詰まっている、あのDIOが。いつだってこちらが馬鹿馬鹿しくなるほどの自信に満ち溢れた、あのDIOが。
思わず、隣を見た。するといつの間にか体ごとこちらに向き直っていたあいつが、なにやらしょぼくれたように俯いている。しょぼくれたDIOってどんなだよ、とか、数時間前の俺なら笑い飛ばしたであろう姿ではあるのだが、今の俺にとっては罪悪感を煽られる光景でしかないのであって、つまらない突っ込みを入れる余裕などはない。罪悪感を抱くべきはDIOであるとすら思うのに、なぜか酷く後ろめたい気分になっている。

「もういい」
「おい」
「こんな感傷など眠れば消える」
「思わせぶりに言いかけといてお前」
「貴様にだけは絶対言わん。言ってやるものか。せいぜい悶々としていればいいのだ、10年でも20年でも」
「――はあ?」

DIOが首を持ち上げた。まっすぐに、俺を見ている。

「しばらく眠る」
「なら寝室行けよ。てめーが遠慮なくソファーで寝やがるから、いつも俺は床に座る羽目になる」
「違う。わたしはもう、ここにはいられない」
「何言ってんだ、お前」
「承太郎のせいだ」
「おい、DIO」

思わず、剥きだしの手首をつかんでいた。相変わらず吸血鬼の肌に熱はない。それが当たり前であるはずなのに、冷えた手首の手触りがいやにそっけなく感じる。この肌が燃えんばかりに熱くなることを知ってしまった後だからこそ。
――いいや、だからといってもう一度熱くなれと、そう言っているわけじゃあないんだ。確かにあの熱に再び触れたいという欲求がないではないが、あれは俺をここまで打ちのめしている原因でもある。

『――DIO、俺は、お前を     』

本当に勢いだけで口をついて出てきた言葉だった。だからこそそれは俺の心からの本音だったのだろうと思うし、口に出して初めて俺は、この男に纏わるもやもやとした感情の糸口を見つけられたのだ。
いくらかすっきりとした心持になって、抱き込んだ体をシーツの上に押し付けた。人に強制されることを嫌う、というか強制される意味が分からないなどとぬかすこの男が、抵抗する素振りすら見せなかったことに疑問を抱かずに。それだけ興奮をしてしまっていたのたろう。現実を見失ったまま俺は、激情に身を任せ「熱くなった」体を貪った。

『DIO』
『っ、』
『DIO、』
『ひっ!?っ、ん、ぅぁ、』
『っ、DIO……!』
『あぁ、あ、あっ……!!』

あいつの肩口に顔を埋め、ひたすらに名前を呼んだ。耳のすぐそばにはあいつの唇があって、嬌声はおろか、乱れてゆく呼吸の1音1音すらもあぶれず鼓膜を打ってゆく。煽られっぱなしだったことなど言うまでもない。
熱かった、果てしなく。人間の形を保っているのかどうかすらもあやふやになって、まだ俺はここにいるのだということを確かめるべく、いっそう苛烈に組み敷いた体を貫いた。暴走を、していた。今になって分かる。あの時の俺は全く正気ではなかったのだ。
しかし――

『承太郎っ、ん、ぁあ、っ、じょう、たろうっ』
『ああ……?』
『くっ、ふ……だめだ、』
『……なにが、駄目だって』
『もう……いや、だと、言っている!』

手の甲にちり、とした痛みが走り、知らず眉間に皺が寄った。体が強張り、どこか白けたような気分になる。
痛みの元へ視線をやってみれば、鋭く尖った吸血鬼の爪が俺の手の甲に蚯蚓腫れを作っていた。

『わたしは、わたしは、お前にそのようなことを、望んでいるわけでは』

ここへきてようやく、俺はDIOの顔を見た。そしてふと正気に戻り、息を呑む。
魔性のかんばせが、寄る辺を失くした子供のごとくの頼りなさに、崩れてしまっていたので。また酷く、困惑を。

『なぜ今になってそのような、馬鹿げたことを』

その表情に魅入られていたのも一瞬のことだった。DIOは俺がいだき、実際に口にした感情を受け取りたくないがためにこんな顔をしているのだと気付いてしまえば、苛立ちを抱かずにいられない。
やはり俺は、ちっとも正気でなかった。普段なら付き合っていられるかと引き下がるところで無様にも食い下がり、我を通そうとしていた。
DIOに――俺が口にしたそれと、同じ言葉を言わせようとしていたのだ。

『――ひっ、ぁあっ、あ、ぅ、くっ、ひ……っ、っ!!』
『泣いてんじゃあねぇぜ、おい』
『あっ、あ、いやだ、もうっ、ひ、っく』
『だからっ、なにが、だよ!?』
『あぁ、あ!?っ、っ~……!!』

赤く充血した唇は、毒々しいまでに甘い嬌声しか吐き出さない。ほんの少し前までは劣情を煽られたその声にも、最早苛立ちしか感じなかった。なのに下半身は鎮まらず、熱は量を増してゆくばかりだというのだからどうしようもない。最早陵辱だ、こんなものは。ぐったりとシーツに沈む体はそれっきり抵抗をやめてしまった。そのくせ嬌声の合間、思い出したようにいやだとかもう無理だとか。俺を煽っているとしか思えない否定を口にする。

体を抉る。甘い甘い嬌声が返って来る。その度に今俺はこの男となにをしているのかが分からなくなって、意識がどこかへぼやけてゆく。

そんな山のような毒よりも、俺が欲しかったのはただ一言だけの――


「――本当に、ジョースターの血族にはろくな輩がいない」


頬にひやりとした感触が押し当てられ、トリップしていた意識が現実へと帰ってくる。
目前にはDIO。あの狂乱の気配は既になく、どこか他人行儀な表情で俺をじっと見つめている。だというのに、頬に押し当てられた掌の未練がましさとくれば、この男は。

「貴様といると「わたし」が死にかねん」
「てめーは死なねぇんだろうが」
「そういう物理的な話ではなくてだな」
「変に修飾しようとしてんじゃねぇよ。分かりやすく言え、分かりやすく」
「貴様と生活を共にするのが嫌になったので、ここを出ようと思う、夜が明ける前に。これで満足か」

そうして鼻を鳴らしたDIOはもう見慣れてしまった、俺の日常に棲むDIOの姿であった。高慢で不遜。俺にちょっかいを掛けることが今のところの生き甲斐であるらしい、生ける爆弾のような「人でなし」。
いつの間にかそんな男との日常に馴染んでしまった。いつの間にか――そんな男に、おかしな執着を抱いてしまっていた。

「行くあてなんかないだろう」
「わたしに寝床を提供しようとする者ならどれだけでもいるぞ。ああ、いっそあの財団に1から10まで世話をさせるのもいいかもしれないな。使えるものは塵になるまで使い倒さねば」
「……ここから出てお前、なにをするつもりなんだ?」
「だから暫く眠ると言っているだろうが」
「はあ?」
「流石にもう海の底は勘弁願いたいが」

酷くざわざわとした気分になった。胸倉を掴みあげて、どういうつもりだと問い詰めてやりたい。しかしやはり実行には至らない。受けたダメージが大きすぎて、大げさなアクションを起こす気力がない。それとももしかすると、俺が抱くこいつへの想いとは「その程度」のものでしかないのかもしれない。

「まあ、1人になりたいということだ」
「いつまで寝るつもりなんだ」
「さあな。時間は無限にあるからな、10年や20年ではきかんかもしれんな。どちらにしろ貴様には関係ない」
「2年もてめーなんかのの世話焼いてやったのは俺だろうが」
「その縁もここで一旦終わりだということだ。ご苦労」

皮肉気に笑いながらのおざなりな労い。ありがたくもないそんなものを残して、DIOは立ち上がる。未練がましくこの頬に張り付けていた掌すらそっけなく引き剥がし――また明日からも、共に時間を過ごせるのだと。そんな錯覚を抱かせる軽やかさで、自室へと向かってゆく。

また性質の悪い冗談を言っているのではないか、あれはそういう男だ。
基本的に有言実行である、あれはそういう男でもある。

こんなにあっけなく終わってしまうものなのだろうか。まがいなりにも2年、大した波風もなく続いた生活が。
俺とDIOの「関係」については、実のところまだ始まってすらいなかった。これからだったというのにお前は、

「逃げるのか」
「気分を落ち着けたいだけだ」
「もう俺に会うつもりはないってか」
「何かの拍子に引力が働けば会えるだろう、また」
「DIO、」
「わたしは、」

振り返る。薄闇の中で、華々しい黄金色の髪が翻る。俺の声を遮りながら。

「貴様がわたしに寄越した感情など知らないし、他人に抱いたこともなければ、返し方も知らない。わたしを――あいしている、というのなら、わたしを困らせるな、承太郎」

部屋が暗くて、表情がよく分からない。だからあいつがどんな面をしてこんな、子供じみたことを言っているのかも分からない。
強引に引き寄せるにはあまりに距離が開きすぎていた。それでもこのソファーから立ち上がり、小走りに駆ければ十分に間に合う距離である。
俺は――俺は、

「……好きにしろ」
「ふん、言われずとも」

再び、金色が軽やかに翻る。いつもの減らず口と共に。そこに「引き留めて欲しかった」ような気配を感じたのはきっと、気のせいだ。

「……」

1人になったリビングで手持無沙汰になり、テーブルの上に転がる煙草を引き寄せた。しかしライターは見当たらない。照明を点けに行く気力はなかった、面倒くさい。銜えただけの煙草の味気なさといったらない。いや、そう感じるのはいつもは隣にいたはずの存在がぱっと、嘘のような潔さで消えてしまったからなのだろうか。だとしたら明日からの俺の日常は。まあいい、そんなものはすぐに慣れる。
――ああ駄目だ、これは。自分でも引いてしまう程、苛ついている。

別に応えてくれずとも、ただ受け入れて貰えるだけで――いいや、そんなものは結果論だ。結局俺は、2年掛かりで育てた想いを無碍にされたことに腹を立てているだけなのだ。1つが成就すればまた1つと、あいつに求めるものを増やしてゆくのだろう。ーーあまりに幼稚だ。でもそれははあいつも同じことで、むしろあいつの方が酷いんじゃないかとすら思う。
感情の返し方が分からないから逃げる、とか、なにが悪の帝王だ。思うにあいつは自分で思っているよりも「人間」から脱却できていない。



『――DIO、俺は、お前を愛している』

ありふれた告白だろうが。俺がこんな口が腐るようなこと言った瞬間に、お前の顔が見たことがないくらい、こう、ふにゃっと蕩けたことくらい知ってるんだぜ。
というか体はよくても告白は駄目とか、本当にどうなってるんだお前は。そういう倒錯したところも別に嫌いじゃないとか、馬鹿なことを思っている俺が言えたことではないのかもしれないが。

――これで何もかもが終わりなのか、本当に?
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