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同棲今昔

「来週から暫く家を空けることになる」
物凄く、切り出し辛かった話題である。3日ほど前から言わねば言わねばと思っていたものの、中々踏ん切りが付かなかったのだ。

つまり出張だ。だから家を空けることになる。今回は1日2日で帰ってくることはできないだろう。いつ帰るのかということも現時点では何とも言えないが、長くて1ヶ月はかかるかもしれない――

と、ようやっとのことで用件を伝えられた承太郎は、堪らずに手元のビールをぐいと呷った。刺激的な液体が通り抜けた喉元には、すっとする爽快感だけが残っている。益体もないことばかりを考えてしまう頭だけが、一向に重々しい。
「……」
承太郎の隣に腰かけたDIOの手元には、数滴の血を垂らしたワインなどという悪趣味な飲み物が握られている。言うまでもなく承太郎の血液である。
DIOは承太郎へ一瞥も寄越さずに、手にしたグラスを一息に空にした。ふう、と息をつくメランコリックな横顔は、静的な美しさに満ちている。しかしこれは嵐の前の何とやらで、もしくは大噴火前の火山が力を溜めているだけである、としか承太郎は思えなかった。そんな横顔などに見惚れることなどできようか、恐ろしい。
誤魔化すように、承太郎も手元の缶を傾ける。舌先に降ってくるのは申し訳程度の雫ばかりであった。どうやら先程喉を潤した時に、あらかた飲み干してしまったらしい。
「……貴様がわたしをこの小部屋に押し込めたというのになぁ。貴様への情がないでもないから大人しくしてやっているというのに、貴様がいないのであれば、わたしがこんな部屋にいる意味などなくなってしまうではないか」
(人の家を小部屋とか言うな)
「なんだその顔は」
「別に」
いつもなら条件反射で飛び出すDIOへの文句が、罪悪感によって喉の奥へと戻ってゆく。居心地の悪さに胃もたれがする思いだ。承太郎の眉根は寄ってゆく一方である。
「承太郎」
「なん、」
硬いスチール缶と入れ替わるように、承太郎の唇に押し当てられたのは柔らかな、DIOの唇だった。
触れるだけのキスである。しかしDIOの一撃はあまりに唐突すぎた。だって、くっとワインを呷った横顔は怒っているようであり、悲しみを湛えているようでもあったのである。しかし今はどうだ。易々と承太郎の唇を奪ったDIOは、目を白黒させる血袋、あるいは恋人を前に、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべている。
「せいぜい稼いでくるがいい。そしてわたしに、こんな安物ではないワインを献上するのだぞ、承太郎」
そして最後にもう一度キスを寄越し、可愛らしいリップ音と共に承太郎から離れてゆく。再びソファーの背凭れにふんぞり返った彼は、曰く(彼にとっては)安物であるらしいワインのおかわりをグラスに注いだのだった。
「……暴れるもんだと思ってたぜ」
「貴様はわたしをなんだと思っている」
「前になんか似たようなことがあった時、揉めただろうが」
「ああ――確かにあったなぁ、そんなことも」
いつか、今回の件と似たようなことがあった。出張にかかる日数は今回に比べればずっと短かったのだが、当時のDIOは荒れに荒れ、その出来事は承太郎にとって軽いトラウマになってしまっている。
全力で殴り抜けられた頬が痛かったからではない。それに関しては承太郎も同じ場所を殴り返した瞬間にチャラになった。では一体何が未だ承太郎の傷になってしまっているのかというと、仕返しに殴られた頬を押さえもせずにDIOが零した

承太郎はわたしのものなのに

という、子供じみた所有宣言が酷く寂し気で、痛々しかったからなのだった。
勝手な言い分ではあったが、死ぬほど切実でもあった。その時初めて承太郎は、自分がこの吸血鬼にどれほどの想いを寄せられているのかを知ったのだ。
巨大な憐憫の情を抱えての出張は、半端ではない精神の圧迫感を伴ったものだった。帰宅しリビングに足を踏み入れた瞬間、飛びついてきたDIOの肌の生々しい冷たさを、承太郎は未だ忘れてはいない。
「まあ、済んだ話だ。今は今で昔は昔。わたしは永遠にわたしでしかないわけではあるが、何かの拍子に思考回路が切り変わってしまうこともある。貴様と出会う前のわたしなら、こんな生温い生活に身を置くことなど絶対に選ばん」
こいつはこいつで恥ずかしがっているのだな、と承太郎は思った。急な饒舌や、それとなく目を反らしてゆく態度を見れば明らかだ。
「後から「やっぱり許せん」とか言い出してキレるのはなしだからな」
「わたしはそんなに女々しくない」
「3日前誘ってやったのに乗ってこなかった、どういうつもりだ、とかで蹴られたことがある」
「記憶にないな」
グラスを傾ける横顔が小憎らしかった。他愛ない苛立ちをぶつけるように、人工光に輝く金糸の束を引く。DIOが、咽るような声を上げた。鼻にかかった声に気を良くした承太郎は、赤紫の液体で濡れた唇へ自らのそれを押し付ける。1分ばかり前のDIOを真似るように、触れるだけの口付けを。
「もしや承太郎、貴様の方が、わたしと離れがたいとか思ってるんじゃあないだろうなぁ?」
「思ってない、とは言わねーよ」
「ふふ、正直なことだ。褒美に教えてやるが、まあわたしにも、多少の離れがたさはある。だが、たかだか一月だ。たったそれだけを待っていれば、貴様は勝手に帰ってくる。承太郎の帰る場所など、もうこの粗末な部屋しかないのだからな」
「いつだったかはそれでも我慢できねーって、スタンドまで出して俺のこと殴りやがっただろうが」
「先程から貴様はいつの話をしているのだ。昔は昔で今は今だというに」
剥きだしになったDIOの両腕が、柳の如きしなやかさで承太郎の首に回される。羞恥心を誤魔化すための甘えだった。やれやれと、承太郎は知らずの内に笑んでいた。偶に現れるDIOの可愛げというものを、素直に承太郎は愛している。
誤魔化されてやるための両腕が、ぎゅっとDIOの背を抱きしめる。体温を持たないはずの白い体は、しかしこうして腕の中に閉じ込めている時だけは暖かかった。承太郎の体温が移ってしまっただけなのかもしれない。それでも仄かなその温もりは、承太郎に穏やかな幸福感を与えるのだ。
「このDIOが貴様の帰りを待っていてやる。光栄に思えよ、果報者」
「おう」
「愛想のない男だな。もう少し素直に喜んでみせろ」
「んなガラじゃあねぇよ」
「つまらん奴」
軽やかな声音と共に、柔らかな感触が承太郎の星の痣に触れた。優しいキスだった。
たまらない気分になって、DIOの背をソファーの座面に押し付ける。組み敷かれたDIOはニヤニヤと笑っていた。そのニヤけ面に、今自分が感じているような幸福感が滲んでいるように見えるのは気のせいなどではない、と承太郎は思った。



思うに、殴り合いにまで発展するほどに揉めに揉めた当時というのは、未だ自分とDIOの間に十分な信頼関係が築かれていなかったのではないか。
狂おしいまでの愛情が先走るばかりで、相手を思いやれる余裕がない、自分の視界から消えてしまうことを許し難く思う――特に1日の大半を独りで過ごさねばならなかったDIOはどうしようもない深みに嵌ってしまい、自分でも訳が分からなくなっていたのではなかろうか。あの頃はそんなDIOを疎ましく思ったこともあったが、今にして思えば可哀想なことをしたのかもしれない――
深夜の高速道路を猛スピードで駆け抜けながら、承太郎はそんなことを考える。加熱してゆくエンジン音に焦燥感を煽られながら。

とにかく一刻も早く、DIOに会いたくてたまらなかった。もう1ヶ月以上も顔を見ていない。あれよあれよと時は過ぎ、初めに約束していた1ヶ月などはとっくの昔に過ぎ去ってしまった。忙しい中何度か電話をしてみたものの、結局DIOは一度たりとも受話器を取らなかった。

怒り狂っているのだろうか。
悲しみに沈んでやいないだろうか。

どうか前者であれ、と望みながら、承太郎は自宅マンションのエレベーターに乗り込んだ。どちらにせよ面倒なことになるのは目に見えていたが、前者であった方がまだましだった。一発殴られれば済む話なのだから。
まかり間違って後者であったならば、と思うだけで、肝が冷える。そうなった日には、自分は罪悪感に殺されてしまうのではなかろうかと、半ば本気で思いながら、承太郎は溜息を吐いた。なんのかんので惚れ抜いている相手なのだ。悲しむ顔など、できることなら見たくはない。

そうして――逸る気持ちを誤魔化し続けながら、漸くたどり着いた自宅リビングにて。DIOのあんまりと言えばあんまりな仕打ちに承太郎は膝を折り、怒ることも悲しむことも出来ず、ただただ酷い脱力感に苛まれるのだった。
彼の手元から滑り落ちた紙切れにはただ一行、

『あまりにもお前が帰ってこなくて暇なのでハルノの所に行ってくる。飽きたら帰る』

という旨が記されていたのだった。前半は暇つぶしに勉強したらしい日本語で書かれているが、後半は飽きてしまったのだろう、母国語で記されている。ぎこちない漢字平仮名と流麗なアルファベットの筆致の落差は、承太郎のやるせなさを大いに増幅させた。

(――確かにちょっとばかり昔は情が濃すぎて揉めたようなもんだが、なんだこの……いいや、あいつが落ち着いたって意味ならいい傾向なんだと思うべきなんだろうが、なんだこの……なんだ……ああくそ釈然としねぇなあおい!)

承太郎はDIOに飲ませるつもりでいたワインを取り出すと、スタンドの力で強引にコルクを開けた。そしてもう、やっていられるかと。DIOの希望通り「安物ではない」ワインをボトルから直に呷――ろうとして、結局はやめた。どうやら自分はこのささやかな土産物を、どうあってもDIOに飲ませてやりたいらしい。
やってられるか。
吐き捨てるように呟いて、承太郎はテーブルに突っ伏した。



『もしもし――ああ、お久しぶりです。お仕事大変だったんですってね。え?ああほら、父ですよ。なんか色々話してくれたので。もうそろそろ帰れるんですか?
……え?
……あ、あー……辛抱の出来ない父で申し訳ありません。ああでも、お疲れのようでしたらもう少しこちらで預かってもいいですよ。ぼくもそんなに構ってやれるわけじゃあないんですけど、本だの模型だのを与えておけば静かにしていてくれますし――
……あ、そうですか?でもホント、遠慮とかしなくてもいいんですよ。あんなでもぼくの親なわけですから――
いやあの、ホント、そういうのじゃあないですから。ほんと。親がいないと寂しい年頃なんてとっくに終わっちゃってますから。はい。
それじゃあ責任もって、そちらへ帰らせますね。もう少しの辛抱ですよ、承太郎さん。それじゃあ――あ。あの人、シャワー終わったみたいですけど、替わります?……ふふ、こんな時くらい素直になってみるのもいいんじゃないですか?

……――電話ですよ、電話!風呂上がりの一杯は後にして――ああもう、なんでぼくのジュースばかり飲むんです!ちゃんとあなた用のワイン用意してあげてるのに!
……はいほら、電話です。誰って、承太郎さんですよ――』
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