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「死ぬ手段を忘れてしまう前に、太陽の元へ飛び出してしまうのも手だとは思わんか、承太郎?」
「思わねーよ、馬鹿。クソくだらねーことを言いやがって」
「真に受けるなよ、冗談だろうに。自死なぞは、それこそ死んでもごめんだ」
「悪趣味なじじいだぜ」
「じじい言うな」
「おら、腕上げろ」
「ん」
素直に持ち上がったDIOの両腕から黒いインナーを引き抜くと、病的に白い肌が惜しげもなく蛍光灯の下に晒される。それなりに胸の高鳴りを感じないでもないのだが、こうあまりに堂々とされちゃあ若干残念感があるというか、こう、もうちっとばかしでも恥じらいを見せてくれたら最高であったのだが。この吸血鬼にそんなものを求める方が馬鹿なのだ、と結論付けて、俺も着ている服を脱ぎ捨てた。
「わたしはもっと、恥じらいのある脱ぎ方の方が好みであるのだが」
「…………」
「何故殴る。痛いではないか」
「ならもっと痛そうな顔をしろ」
クソ憎たらしい吸血鬼である。そんなものに心底やられちまっている俺はきっと、世紀の大馬鹿者であるのだろう。
諸々の鬱憤を叩きつけるように、DIOをシーツの上に押し倒す。簡素なベッドは不快な金属音を立てた。最中に壊れられちゃあ困るどころの話ではないのだが、他に事に及べそうな場所は見当たらないので、せめて一発終わるまでは壊れてくれるなよと念じる他にない。床でもよさそうなものだが、DIOが嫌がるのだ。我儘ばかり言いやがって。

「ふふ、もうすぐ死ぬぞ、承太郎。わたしが死ぬ」

仰向けに寝転がったDIOが、歌うように囁いた。
思わず額を叩く。ぺし、と乾いた音が鳴る。なんだか間抜けだ。DIOは己の額に張り付く俺の手を持ち上げて、見せつけるように五指と五指とを絡めてゆく。そして口元に引き寄せて、接合部へと愛おしげなキスをよこすのだ。

「お前のせいでわたしが死ぬ。忘れるなよ」
「忘れねぇよ。死んでも、忘れてやらねぇ」
「殊勝な心がけだな、承太郎よ」

――DIOの記憶が徐々に減耗しているのだと聞かされたのは、3ヶ月ばかり前の話であった。随分昔であるようにも、今さっきのことであるようにも感じる。こんなにもどういう気持ちでいればいいのか分からない時間を過ごしたのは、初めてだった。

聞く所によれば、DIOはこれまでの人生を忘れてしまうだけでなく、これから先の出来事を記憶してゆくことも難しくなってしまうらしい。
エジプトで俺に縦半分に割られたまま、しばらく放置されていたから。その間に死なない程度の紫外線を、しかし過分に照射してしまったから。
DIOの記憶障害の原因について、財団からはそう説明された。きっと俺に言えないような理由もあったのだろう。口に出されるのも憚られるような人体実験だとか、その辺の事情が。殆ど確信である。
一体DIOに何をしたのかは知らないが、財団を責める気にはなれなかった。あれは、人間を糧に生きる化け物だ。犠牲にしてきた人間の数などはどれだけ指を折っても数えきれないものなのだろう。

だからこれはただ、あいつにとうとう業が巡ってきただけのことだ。
DIOは自らの業で『死んで』しまうのだ。
少々の――いいや、多大な遣る瀬無さと共に、そう理解した。納得もした。しかし、簡単に受け入れることはできそうになかった。

『まあ、それが運命なのだろうな』

そんな俺の葛藤を嘲笑うかのように、当のDIOはとくればそれはもう飄々としたものだった。

『いや、わたしはわたしの人生を諦めたわけではない。別に記憶がどうこうなろうとも、そのうち何とかなるのではないかという予感がある。運命はわたしを生かし続けてきたのだからな、今回が例外だということはあるまい。
ただ少し、疲れた。ここいらで一旦休むのも手なのかもしれないな、と思っている。貴様と、その、なんだ、だらだらと過ごす時間も中々に楽しかったからな。なんの実りもなかったが、それが心地よかった。ま、こんなことを言っても分からんか。情緒を解さぬ男だものな。
だからとにかく、貴様がそうも気に病む必要はないのだ――うん……?いいや……?いやむしろ、ないわけがないのではないか?わたしに穏やかな生活と人格の死の両方を叩きつけやがったのは貴様なのだから、それこそ死ぬほど気に病むくらいで丁度なのでは?貴様もそう思わんか、承太郎。
だから――会いに来い。時間が許す限り何度でも。朝はわたしが眠るまで傍にいて、夜にはわたしの目覚めを出迎えろ。約束だ。守れよ、承太郎』

あいつが自身の障害について触れたのは、あれが最初で最後だった。次に会った時は普段通り、天国がどうとかこの前読んだ本だどうだとかを俺の反応などお構いなしに喋る『いつもの』DIOで、そうしている間にも記憶が消えていっていることなどはまったく感じさせなかった。その次も、次もである。

しかし、それから3ヶ月弱が経った、今日のことだ。
顔を合わすなり、DIOは

『そろそろ死ぬぞ、承太郎』

と、見たことのない笑い方をしながら静かに告げたのだった。この図太く生き汚い男のことを、初めて儚い生き物なのだな、と思った。そういう笑い方だった。
DIOにしてみれば、記憶の喪失とは人格の死であって、それは体が死ぬことと同等のものであるらしい。いずれ巻き返してみせるさ、とは言っていたが、どこか空虚な口ぶりだった。それ以上この話題を話させたくなくて、俺はDIOの口を強引に塞いだ。ようやく触れることの出来たDIOの唇は、充血したような赤色に反してとても、とても冷たかった。

そのままなし崩しに体を重ねることになった。DIOはどちらでも構わないというので、ありがたく抱かせてもらうことにした。
そんな経過があって、今DIOは俺の腹の上で腰を振っている。酷く緩慢な動きだった。俺だってもう気合を入れて突き上げる気力などはない。互いに散々精を吐き出して、このまま腹上死でもしてしまうんじゃあねぇかってくらいに消耗している。それでも離れること出来なかった。俺も、DIOも。
きっと今日が最後だ。そういう予感がある、というか、DIO自身が言っていた。『そろそろわたしが死ぬ』のだと。こいつが言うからにはそうなのだろう。本当にこのDIOはいなくなってしまうのだろう――俺のことを、忘れてしまうのだろう。

「よくは、ないのか」
「……死ぬほど、いい。眺めも最高だ」
「なら泣くなよ、承太郎。そんなだから、お前は子供だというのだ」
「うるせーよ。涎垂らすだけがセックスじゃあねぇだろうが」
「ふふん、大人ぶったことを言っているうちは、子供なのだぞ。承太郎よ」

お前がちっとも泣きやしねぇから、余計に泣けてくるんじゃあねぇか、馬鹿野郎。
嗚咽を堪えてそう訴えると、DIOは身を屈めて間近で俺の顔を覗きこむ。そして、

「お前はわたしを忘れるなよ、承太郎。忘れるな」

呪詛のような懇願を囁いて、震える唇でキスを仕掛けてきたのだった。
あまりの愛しさに、涙腺が本格的にぶっ壊れちまったのは言うまでもない。



――そんなことがあってから、そろそろ1年が立とうとしている。
予告通り、DIOの記憶はあの日の翌日に決壊を迎えてしまった。
徐々に摩耗している、とは上手く言ったもので、DIOは本当に少しずつ記憶を失くしていっている。あんまりにもゆっくりだからなのか、昨日忘れた筈の記憶が今日には何故か復活している、ということもよくあって、例えば俺の顔と名前をしっかりと覚えている日があれば、まったくの初対面のように接してくることもあった。
そういうDIOと接することには、とっくに慣れた。記憶がなかろうとDIOはDIOで変わりがないので、以前と同じようにだらだらとした時間を過ごすことに問題はなかった。
ただDIOは、新しい記憶を蓄積することができない。そっちの方は、割と、というか相当、辛かった。今になってはこっちにも慣れつつあるのだが、DIOとじゃれていても「こいつ明日にはなにもかも忘れちまうんだよな」と思えば胸が抉られる痛みの1つや2つも感じようものである。

それでも会うのをやめる、という選択肢はなかった。
DIOに、忘れるなと言われた。何度も何度もそう言われた。
DIOがどれだけ俺と過ごした時間を忘れてしまおうとも、俺が覚えていれば問題はない。それでいい。



「――おはようさん、DIO」

沢山の監視カメラと微弱な紫外線を発生させる装置に囲まれた、DIOの体躯を収めるにはいくばか小さすぎるような気のするベッド。その上で丸まるように眠っていたDIOが、ゆっくりと目を開く。

「ああ、おはよう」
「今日は変な夢とかは見なかったのか」
「別に、なにも」
「そうか」
DIOは気だるげに身を起こし、シーツの上に座り込んだ。乱れた髪を直すこともなく、じっと俺を見つめている。
「DIO?」
「……DIO?知っている名前だ。ええと――ああ、そうだ、それわたしだ。わたしの名前」
「ああ、そうだ」
「そこに座られると、少々狭いのだが」
「他に座るところなんかねぇだろ、この部屋」
「床があるぞ」
「尻が冷える」
「……若者とは思えん物言いだ」
空気の中を泳ぐ魚のように、金髪があちこちに跳ねている。こくりこくりと舟をこぎ出す頭を引き寄せて、強引に手櫛で梳いた。眠たげにうりーとか呟くDIOは、されるがままになっている。抵抗することもなく、もっと撫でろと頭を振って見せることもなく、ぼんやりとした目で俺を見ていた。
「ところで、お前は。どうしても名前が思い出せんのだが」
「承太郎だ。空条、承太郎」
「承太郎」
「ああ」
「……でかい男だなぁ。よし、ちょっとその胸板を貸せ」
「うおっ。急に押すんじゃねぇよ」
「うむ、うん、これはいい。もう少し柔らかければ言うことなしなのだが、まあ満足してやろう。承太郎、わたしはもう一眠りする。飽きたら起きる。それまでこのDIOの枕として、しっかりと勤めを果たすのだぞ!」
「……おもてーんだが」
「そこは我慢するほかない。ではおやすみ、承太郎」

DIOと体を重ねたのは、つい昨日のことである。
2度目のセックスでは泣かなかった。あまりにもみっともなく泣きじゃくった1度目で、すっかり涙は枯れてしまったようだ。代わりにDIOが泣いていた。少しだけ、記憶も戻っていたようだった。

『わたしを、忘れるな』

とても久しぶりに聞いた呪詛である。心配しなくても大丈夫だ。俺はちゃんと覚えてる。そう囁き返してやったのだが、あの後気絶するように眠りに落ちたDIOに聞こえていたかは定かではない。

「……愛してる」
「ん……そうなのか?」
「……起きてたのかよ」
「寝入りばなという奴だ。……ふぅん、そうか、そうなのか。お前はわたしを特別に思っているのだな」
「……ああそうだよ。迷惑か」
「いいや。……自分でもよく分からないが、とても嬉しい。ふふ、もっと言ってもいいぞ、承太郎」
「あいしてる」
「もっとだ」
「でも寝相が悪い所はあんまり好きじゃあねぇ。痛ぇんだよ、蹴られると」
「……もういい、寝る」
「5分したら起こすからな。それ以上は俺がもたねぇ。お前マジで重い」
「寝ると言っている!静かにしていろ、このまぬけ!」

金の頭がぐりぐりと胸元に押し付けられる。求められるがままに梳いてやれば、DIOははあ、と呆れるような息をついて、呼吸を確保するために顔を傾けた。

「愛してる、DIO」
「……最初からそれだけを言っていればいいのだ」

どうせ明日になれば忘れられてしまう愛を、喉が渇くまで囁いた。DIOの寝顔は満足げだ。なら、それでいい。
DIOが陳腐な言葉を欲しがった事実も、そんな言葉一つに気をよくして見せた寝顔だって、俺はちゃんと覚えている。こうしてDIOに纏わる記憶が俺の中に蓄積されて、いつしか俺の頭の中はこいつでいっぱいになってしまうのだろう。


それがお前の望んでいたことだ。そうなんだろう、DIO。
俺のことをさっさと忘れちまうくせに、それでも俺を支配しようだとか、どこまで傲慢なんだよ、この野郎。
そういうところも含めてお前にやられちまった俺が馬鹿だって言われりゃあ、それまでの話だが。
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