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魔窟午前0時前

その日は主の部屋に続く廊下までもが魔界の様相を呈し、酷く居心地の悪い空間になっていた。嫌な予感がした。目を凝らして薄闇の先を睨んでみれば、案の定、部屋の扉は清々しく開け広げになっている。
――せめて、扉くらい閉めてくれ。
できもしない進言を口の中で呟きながら、当座の仕事を片付けるべく足を進める。とにかく億劫だ、あんな場所になど行きたくない。しかしこれも大事な「仕事」であるわけなので、仕方がない。しかも主から直々に言いつけられたことであるのだから、回れ右などは許されていないのだった。

「――……、……ぁ……――ぁ、……あ――」

漏れ聞こえる甘い音色。あの部屋に一歩一歩と近付く毎に明瞭になる、主の嬌声。甘ったるく、ふしだらだ。それでいてどこか――跪きたくてたまらなくなるような。圧倒的な高慢さも多分に含有する、毒に塗れた音だった。
平常心。平常心である。かの主の前でその3文字を欠くということは、捕食されてしまうことだと言い換えてもいい。中にはあのヴァニラ・アイスのように主に精神を食われた状態こそを平常心としている輩もいるものであるが、自分は決して、そこまで他人に入れ込める性質ではない。なのできっと、あの主に食われてしまったが最後、「このわたし」という存在は死んでしまうのだろう。人格の破壊とは、死と何が違うのだ。

「……は……ぁ、ぁ……ふふ……――」

部屋の真ん前まで辿り着いた時には、台車を押す掌は嫌な手汗で濡れていた。いつの間にか、鉄の棒を親の仇か何かのように握り締めてしまっている。気を張りすぎだと自覚はしていても、力を抜くことはできなかった。
そして、国境線たる扉の引き痕を台車と共に乗り越える。まとまりのない調度品や埃の被った本の転がる薄暗い部屋。苦労して仕入れてきた豪奢なベッドがでんと、どこか雑然とした印象を受ける部屋の一角を陣取っている。その上で、妖しく蠢く影がある。金髪を振り乱して身悶えるその正体は、まさしくこの館の主であるDIOだった。

「あー……ぁ、ん……ふふ、そうだ、それでいい……ああ、うまくなったじゃあないか、ふふ……」

嬌声。忍び笑い。キスを落としながら浴びせかける労いの言葉。
きっと、主の下で陰茎を提供している男は今この瞬間、自分がこの世の誰よりも幸せな存在だと信じ込んでいるのだろう。顔は見えないが、「ありがとうございます」と繰り返す悲鳴のような声にはぶっ飛んだ喜色だけが滲んでいる。

「ん、ぁ、あ……ああっ……!んっ、ぁっ、く……あ、ぁ、そこだっ、そこ……ああ、あ、っん、ん……!」

男の腹の上で主が躍っている。白い裸体を惜しげなくしならせて、名前も知らないのだろう男から与えられる快感を素直に享受している。はっきりとは見えないが、紅を引いたように赤い唇は笑んでいるようだった。要素だけを取り出せば酷い淫売だ、と思うのに、あんな姿にすら妙な神々しさを漂わせるというのだから、やはり彼は我々人間とは全く別の生き物なのだった。
しかし――これは困った。
というのも、ここでしなければならない仕事というのは、行為の後に血を吸われて干からびた男を適当な場所まで運ぶことなのである。台車はその為に引いてきたものだ。普段はこの時間になれば、主の餌である男、或いは女は既に抜け殻になっているものであるが、今回の餌は余程お気に召したのだろうか。行為が終る気配はない。

「ぁは、っ、あ、ぁぁ、ん……ん……ん?」

と、いっそ出直そうかと台車を反転させかけたその瞬間。反った体勢から男に覆い被さる体勢に移行しようとしていた主が、ふと、こちらへと目を向けた。赤色の瞳は薄闇の中でも鮮明に輝いている。蕩けた嬌声とは裏腹に、まったく正気を保ったままである双眸の冷たさに、背筋が冷える思いだった。
「ああ、そうか……片付けか……」
「いえ――まだお楽しみ中のようだったので、出直そうとしていたところで。どうぞそのまま。適当に時間を見て、また参ります」
「いい……待て。二度手間など、無駄のっ……極み、ではないか……もう終わらせるから、そこでっ、うおっ!?」
「DIO様!?」
寝台に突っ張っていた白い腕が折れると同時に、主の体がこてん、と寝台の上の転がった。その上に覆い被さったのは、一夜限りの情夫である主の餌だった。男はこちらをちらりとも見ようとしない。ただ一心に主だけを見つめている。
「ちょっ、ぁあっ、ま、待てきさま、ぁ、ああっ、あっ、ひぅ……!」
男の両掌にがっちりと腰を掴まれた主は、そのまま男のいいように揺さぶられていた。焦燥も露わな、一際上擦った嬌声を上げながら。まるで男など知らない、生娘のように。
ごく、と喉が鳴った。知らずの内に生唾を飲んでいたようだった。その音のおかげで正気に返り、漸く「あの無礼者をDIO様から引き剥がさねば」といった使命感が沸いてくる。台車を放り出し、寝台の傍まで駆けた。しかし、そこに仰向けに転がされた主は――
「いっ、いい、これぇ……あっ、ああ、ん……!おい、もっとだっ、あ、っぁ、ぁああ……っ!そこ、もっとぉ……!」
自分で動いていた時よりも表情を蕩けさせて、非常に気持ちよさそうにしている次第であったので。馬鹿馬鹿しくなって、その辺の椅子に腰かけた。本当に、酷い淫売である。ただしどうしようもなく人を惹きつける魔力を持った、という辺りが実にこの主らしく、性質が悪い。
「――あ、あぁ……んっ、んぅ……!!」
感極まった様子で、主が男の首元に噛み付いた。思わず、あ、と声が漏れる。吸血鬼である主に噛み付かれるということは、つまりそういうことだ。
男の体がどんどん蒼白になってゆく。それでも男は熱っぽい目で主を見つめ続け、DIO様DIO様と、病的に熱狂した声で繰り返すのだ。そのうち男は最早絶叫するような声で主の名を呼ぶと、それを最後にぱたりとベッドの上に転がった。
「……はー……」
「……何か飲み物をご用意いたしましょうか」
「いや、いい……それより早く、これをどけろ」
再び寝台に近寄る。死体になった男の下で、主は荒い息を吐いていた。血液に濡れた唇と牙が冒涜的にいやらしく、慌てて目を反らす。そんなわたしの様子に、主が気付いた素振りはない。
少々難儀しながら男の抜け殻を引き上げると、主が鼻にかかった声を上げた。体内に収まったままの男の陰茎が抜けたのだった。うっかりその箇所を見てしまう。白濁に濡れた内股の間。やっぱり視覚の暴力だ、こんなものは目に映すべきではない。
「……お。死体だというのに、まだ少々勃っているな」
「はあ、そうでございますねぇ」
「ふふふ、ダービー弟よ。これを使って自慰をしている所を見せてやってもいいが、どうする?」
主が試すように笑っている。思わず唾をのみ、やはりその音で正気に返る。
正直に言えば見たくないこともないのだが、その選択をすると自分の精神のいくらかをこの主に食われてしまう気がしてならないので、これは断るべきだった。
「遠慮しておきます。もう夜明けも近いことですし、DIO様はそろそろお休みになられるべきかと」
「……つまらん男だなぁ。わたしは模範解答など期待していないというにー」
「申し訳ありません」
そうして口を尖らせる主の表情には、不思議な愛嬌があった。少しばかり動揺する。彫像のように整った主のこの顔に、そんな感情を抱いたのは初めてのことだったのだ。
「なら、こちらはどうだ?」
「こちら、というと」
「この口で、お前のものを咥えてやろうと言ってやっている」
「……はあ!?」
うっかり漏らしてしまった声の、頓狂さと言ったらなかった。愉快だと言わんばかりの主の視線に、羞恥心を煽られる。
――口。口で。あの口で。
「ふふん、今しかないぞ?気まぐれを起こしているだけだからなぁ」
怯んでしまった一瞬の隙を、目ざとい主は見逃さない。もうひと押しだ、と言わんばかりに体を起こした主はシーツの上にぺたりと据わり、半開きになった口をこれ見よがしに指さした。
誘うようにちらちら覗く、鋭い牙。ストレートにいやらしい、というだけでなく、彼が吸血鬼であることの象徴であるその部位こそが、人間を屈服させる魔力を生み出しているのではないかと感じる。だって本当にもう、頭の悪いことに、この瞬間の俺はあの牙に干からびるまで血を搾り取られるのも悪くはない、なんてことを思ってしまっているのだ。そんなものはヴァニラ・アイスあたりの発想だろうに――ヴァニラ?おや、おや。なにか、引っ掛かる。
「……もしかするとDIO様は、数日前、ヴァニラ・アイスにも同じようなことを言ってみたのではありませんか?」
「ん?んん?……ああ、言った。言ったな、確かに。覚えているぞ。抱いてやろうか、抱かせてやってもいいが、といった瞬間に、あやつ、両手で顔を隠して逃げおってな。そうだ、わたしはそのような反応こそをお前に期待していたのだぞ、ダービー弟よ!」
「申し訳ありません。私は彼ほど純粋ではないので、そういった反応はちょっと……」
だとしたら、俺が数日前に見た「見るからに様子のおかしいヴァニラ・アイス」というのは主の部屋から飛び出してきた直後だったのだろう。
これで決心が固まった。自分は決して、ああはなるまいぞ。この主に心を食われてしまうというのは、つまりあのような醜態を晒してしまうということでもあったのだ。無理だ無理無理絶対に無理。それこそ自尊心が死んでしまう。
「はあ……もういいぞ、ダービー弟よ。どうせお前などこのDIOの為に命を捨てることもできんのだ」
せっかくの美しい金髪をぞんざいに掻き乱しながら、主はシーツの上に転がった。こちらに背中を見せている。つまり白濁の溢れるそこも丸見えだということで、ああくそこんな卑猥な光景を見せるな決心が鈍ってしまうだろうに!
先程まで座っていた椅子の背に掛けられていたブランケットを掴みとり、主の上に被せてやる。ちら、とこちらを見上げた赤い双眸は、拗ねるように据わっていた。
「私なりに、最善を尽くすつもりではおりますよ」
「まあ期待だけはしておいてやろう。下がってよいぞ。寝る」
「おやすみなさいませ、DIO様」
ブランケットの中で主がもぞもぞと蠢いて、乱れた金髪がシーツの上に広がってゆく。それらを梳いてやりたい衝動が過っていくも、数度、深呼吸をしてやり過ごす。触れてはならない。その瞬間に主は俺の指先を捉え、そのまま捕食してしまうのだろう。恐ろしいことだ。


台車に乗せた死体と共に主の部屋を後にする。こうして台車で運ぶ彼や彼女たち、という輩は皆が皆、幸福の絶頂にいるかのような、穏やかな表情をしている。人間性というものを剥ぎ取られ、一瞬ばかりの安心感というものを与えられた人間の、見る者からすれば哀れな末路だった。
それを羨ましく思う者もいるのだろう。俺は絶対に嫌だった。俺の命は俺のものだ。他人のそれを人形に閉じ込めることを趣味としているからこそ、尚更そう思う。こういう所が、俺と主は似ているのだな、と感じている。だから傍に置いてもらえているのだろうとも。
彼の傍に侍れることは、それなりの光栄だった。しかしやはり、いくら友好的な言葉を投げかけられようとも、警戒を怠ってはならないのだ。食われるときはきっと、一瞬だ。
俺はあの美しい化け物に食われることを、幸福だとは思わない。









DIO様に攻略されそうでされないテレンスとかなんかいいよね


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