スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

back

標準録画

「お前が言う天国ってのは、一体何のことなんだ?」
「……もしや貴様、勝手に人の日記を読んだのか」

ふてぶてしく顎を引いた承太郎の、肩の辺りを蹴りつけた。膝を伸ばしきらないでも充分に踵が届く。狭いベッドの上でのことである。この男とくれば、しばらく前までは背凭れもないちゃちな椅子を持ち込む程度の遠慮はあったくせに、今ではこのDIOの生活スペースであるベッドの一角をすっかり自分のゾーンにしてしまっているのだった。
一度、5日ほどこの部屋に、面積の半分を占めるでかさの機材が搬入されていたことがあった。その時には椅子の置場もないということでベッドの端を貸し与えてやっていたのだが、どうやら承太郎はわたしの寛大な施しを永遠のものだと勘違いをしているようで、機材が撤去されてからもわたしのベッドに居座り続けている。図々しい男である。
「足癖の悪ぃ奴だな」
「手癖の悪い男が何を言う」
「てめーの日常生活を覗き見してやろうだとかってことじゃあねぇよ。調査だ。最近は大人しくしてるようだが、裏でまたなにかろくでもねぇことでも企まれちゃあたまらねぇ」
「わたしは大人しく、貴様らの「人類の発展のための研究」とやらに協力してやっているというのにな。ちょいとばかし過去に悪さをしたことがあるからといって、プライベートの塊である日記を無遠慮に盗み見るというのか。なんたる非道。人の心などあったものではない」
「てめーが言ってもギャグにしか聞こえねー」
呆れかえった口ぶりはどこまでもクソ生意気で、とことんまでに腹が立つ。今度は脇腹の辺りを蹴ってやった。反射のように、承太郎は「いてぇ」と漏らす。それはもう淡々とした、普段通りの声色で。忌々しく強靭な体だって、1センチたりともよろめいてはいない。
「お前みたいな奴でも、そんなに嫌なのか。日記を見られるのが」
「日記がどうだとかいう話ではない。わたしのテリトリーに土足で踏み込まれたことが酷く腹立たしい。どうせ、日記だけではないのだろう」
「そうだな。今頃ゴミ箱引っくり返したみてぇになってるはずだぜ、お前の部屋」
「死んでしまえ」
「俺が先導したわけじゃあねぇよ」
最早足を持ち上げるのも億劫だった。読み掛けの本を放り出して、シーツの上に俯せる。もう承太郎の顔なんか見ていたくない。
「日記は俺しか見ていない。そこら辺は、安心しろ」
「ふん。どうでもいい、そんなこと」
「燃やしちまったのは、まあ、多少悪いことしちまったかなとも思わないでもねぇんだが。あんなもん読んで触発される奴が出ちまったら、とてつもなく面倒なことになるに決まってるからな。仕方のねぇことだと思って諦めな」
「だから、どうでもいいと――……もっ、燃やっ……!?」
「だから、悪かったっつってんだろ」
「謝れば済むとでも思っているのか!馬鹿な子供がいたものだ!」
「へそ曲げんなよ」
「ここまでの仕打ちを受けてへそを曲げない輩がいたとしたら、そいつはきっと頭がいかれているのだなッ!許容も抱擁も行き着く所まで行けば狂気の沙汰だ!馬鹿馬鹿しいにも程がある!」
言っている内に、脳裏にぼんやりと浮かび上がった男がいた。積極的に思い出したい輩ではなかったので、シーツに額を擦り付るように軽く頭を振り、記憶の中から追い落とす。
いや、「そうしよう」とした。しかしその途端にどこからともなくやってきた不快な質量がわたしの後頭部を鷲掴みにして、あえなくわたしは記憶の破棄に失敗する。承太郎の掌だ。わしゃわしゃと、まるで犬猫でも撫でるようにわたしの髪を掻き乱している。撫でているつもりなのだろうか。不愉快だと思う。心から。しかしどうしても、その手を振り払ってやろうという気が起きない。もう長い間、承太郎を狭いベッドの端から蹴落とせずにいるように。

「スタンドを捨てるということは」

頭皮の一部分がが引っ張られた。承太郎が、武骨な指にわたしの髪を巻きつけているのだ。
「つまり、死ぬということだ。お前がお前じゃあなくなる、ってことだ」
「いやに興味を示すのだな、承太郎。なにか、心が惹かれる理由でもあるというのか?天国というものに」
「いいや――そんなもんはどうでもいい。お前の日記の天国がどうだとかいう下りを見たときは、こいつなに訳わかんねーことを得意げに書いてんだとか、まあ、とにかく呆れたわけだ。だから結局俺は、」
妙な解放感に後頭部がすっとする。承太郎がわたしの髪を解放したのである。
少しばかりの寂寥感に襲われて、いいやそんなものは嘘だと首を振る。けれど再びわたしが「そうしよう」としたところで、承太郎の掌が見計らったようにやってきて、わたしの頭を撫で始めたのだ。
「てめーに興味があるだけなんだろうな、きっと」

窓も時計もない部屋の隅から隅までを、生ぬるい静寂が席巻する。
耳を澄ませば、ベッドを囲むように取り付けられたカメラや集音器といった機材の、無機質な音が鼓膜を打った。承太郎と過ごす時間の中には、いつだってこの音たちの存在があった。わたしは今でもこのような扱いを受けていることを酷い屈辱だと感じているし、わたしの目から隠れるように設置された山ほどの機材も忌々しくてたまらない。
しかしこの音だけは。絶えずわたしと承太郎の間にあった、この死ぬほど素っ気ない音たちだけには、少しばかりの愛着を抱いている。爪の先程度の、ほんの、すこぅしばかりだけ。

「天国とは――つまり、このDIOが世界の運命を独占するということだ」

喋りにくかったので、少し顔を傾ける。承太郎の掌が、わたしの頭から剥がれてゆく様子はない。
「3歩先にはどんな石が転がっていて、どの晴れた日に友情は決裂して、一体明日にはどこの誰が死ぬのだろうか――ということを、この世に蠢く人間の数だけ知っている。わたしだけが知っている。それが、一旦スタンドを捨ててまで辿り着こうとした、わたしの天国だ」
「大した神様気取りだな」
「気取るも何も」
頂点に君臨するということは、そういうことだ。
頭を撫で続ける掌に髪を押し付けながらそう告げると、ぺしりとその箇所をはたかれた。
うつ伏せになっていた体をちょっとばかり横に傾けて、足元にいる承太郎を見る。まっすぐにわたしを見ていた生意気な男は、飽きずに私の頭へと手を伸ばし、乱暴な手付きでわたしの前髪を掻き上げた。
「天国に辿り着いたお前ってのは、本当に今ここにいるお前だと言えるのか?」
「うん?お前まさか、嫌なのか。このわたしに死んでほしくないぃーだとか、未練がましい女のようなことを考えているのか、承太郎?」
「アホか」
存外隠し事が下手な男である。
「この程度のことが「死」であるはずがない」
「分かりやすいように言えよ。お前の言うことの8割は意味が分からん」
「お前に理解力がないだけだ。人のせいにするな」
目の前でふらふらしている承太郎の手首を掴む。承太郎は髪を梳くのをやめて、再び指先にわたしの髪を巻きつけだした。
「わたしが選んだ方法で、他でもないこのわたしが少しばかり先のステージに進むというだけだ。これのどこが「死」であるというのだ?死ぬということはなァ、承太郎。わたしがわたしの意志に因らない事象によって、わたしではなくなってしまうことを言うんだぜ」
「そうかよ」
「む。お前もしや、飽きているな?」
「興味本位で聞いた俺が馬鹿だった。こんなもん、今時中学生だってノートに書きやしねぇぜ」
「お前も書いたことがあるのか?そういうの」
「……ねぇよ」
「よし、ここから出れた暁にはまっさきに、貴様の部屋の隅から隅を漁るとしよう」
「やめろ。おい、マジでやめろよお前」
「お前のこれからの出方次第だな、承太郎?」
腹に力を込めて上体を起こすと、承太郎の手は頼りなく中空に放り出された。すかさず手首を掴み直す。ちょっとばかりこちら側へ引いてみると、つられるように承太郎本体も傾いて、うおっと頓狂な声を上げながら、片手をシーツの上に突き立てた。
承太郎が呆けている隙に、今度はわたしが奴の髪を梳いた。というか、群生する黒髪の中に指を4本ばかり突っ込んだ。そして渾身の力で引き寄せた。帽子は床に放り出され、奴の短い髪が短いなりに、わたしの指に絡みつく。承太郎の体はされるがままに揺らめいて、目と鼻の先にまで迫ったわたしを見るとらしくもなく瞠目した。
まぬけな顔をしている承太郎は実に年相応の馬鹿なガキで、いつだってわたしの気をよくしてくれる。承太郎が仏頂面に戻る前に、わたしは奴の耳元へ口を寄せた。

「――日記などは、灰になってしまったところでなんの問題もない。心からあれを必要としている者は、現物などがなくても天国への行き方を手に入れることができるのだ。そういう能力を持っている。残念だったなァ、承太郎」

集音器に拾われたくない話をする時は、耳元で話すこと。
別段改まってそう取り決めたわけではないが、いつの間にかそういう慣習が出来上がっていた。実際はわたしたちの会話など筒抜けなのかもしれないし、承太郎も馬鹿正直に財団の者に報告をしてしまっているのかもしれない。
だがそんなことはどうでもよかった。失うものなんて、今更何も持っていない。わたしはただ、承太郎とつまらない秘密を共有することが楽しかった。承太郎を悪の道に引きずり込んでいるようで、妙に気分がよかった。それだけのことだった。
「素晴らしいとは思わんか。例えば十数秒後の承太郎はわたしの耳元で「うるせぇ馬鹿」、なんて捻りのない罵倒を吐き捨てるのだろうなぁだとか、たったそれだけの運命すらも知覚できるようになるのだぞ」
「そりゃあ、便利なこったな」
手中に収めた承太郎の手首へキスをした。その瞬間に、承太郎の眉がすこしだけ、跳ねる。わたしは気を良くして、浮き出た血管の辺りに唇を這わせたまま、承太郎に笑いかけた。

「わたしだけが、60億の運命を知っている。これがわたしの天国。このDIOの『世界』というわけだ、承太郎」

拘束を逃れている方の手でわたしの後頭部を掴み寄せた承太郎は、ずい、とわたしの耳元へ唇を寄せ、呼吸の音すらも生々しく聞こえる距離で「うるせぇ馬鹿」と囁いた。






「――……、」

いつかの記憶を再現した夢から覚めた瞬間、まず初めに思ったのは「このわたしというものは今日をもって死んでしまうのだろうな」、ということだった。

目蓋を開いた瞬間にそんなことを考えて、ああとうとうこの日が来たのだなと、どうリアクションを取ったものかいいのかも判別できぬままに瞬いた。乾いた眼球を潤すための涙が溢れ、目蓋を開閉するたびに重力の方向へ流れていった。

白い天井と、うっとおしい蛍光灯の光が、わたしを見下ろしている。
部屋中に設置された機材の立てる音が、やたらにうるさい。

死とは、これまでの人生で頭の中に蓄えてきた記憶が消えてしまうこと。「現在」を記憶することができぬ木偶になってしまうこと。天国を永遠に失ってしまうこと。その存在すら、そこに辿り着こうとしていたことすら忘れてしまうこと。
つまり、わたしが変わってしまうということだ。わたしの意志を置き去りに。
死とは、死ぬということは。
恐ろしく、空疎だ。

(わたしがわたしの意志に因らない事象によって――)

承太郎とそんな話をした時は、まさか現実に起こることだとは欠片も思っちゃいなかったというのにな。

このまま泥のように眠っていたいというか、むしろ泥となって溶けてしまいたい気分である。けれど狭いベッドにただ横たわっているだけだというのも、妙に居心地が悪かった。数分程天井を睨み続けたのちに、意を決して起き上る。
好きで居ついているわけではないのに、すっかりわたしの生活スペースとなってしまった狭い部屋。ろくでもない機材に囲まれたベッドがあるだけの、殺風景な隔離室。今朝はなにか、普段の状態から輪をかけて無機質さを感じさせる。酷く落ち着かない、そわそわする。

「……――ああ、」

どうしたことだろうと首を傾げかけたところで、答えはさっさと見つかった。
承太郎がいないからだ。わたしの目覚めを傍で控えて待てと約束させて、律儀にそれを守り続けてきた承太郎の姿が、見当たらないのである。道理でベッドが少々、いつもより広く感じたわけだ。

『飽きもせずにこのDIOを笑いに来たのか。殺してやる』
『被害妄想もいい加減にしておけよ』

初めは本当に嫌いだった、というか――そんな言葉で収まるほどちゃちな感情ではなかったが、とにかくひたすらに不愉快だったはずのあの男は、いつのまにかわたしの日常風景の一部と化していた。
知らずの内に「承太郎」という男の存在を許容していたという事実は、なにかの間違いであるとしか思えなかった。なので適当な研究員を摑まえて、わたしになにか妙な薬でも投与したのではないかと問い詰めたこともあった。痩せぎすな白衣の男は、声を震えさせながらやっとのことで「1秒で像を殺せる薬を数分もかからず分解してしまえるあなたに利く薬などはない」と答えたのだった。
嘘だ、と思った。そして1秒で像を殺せる薬とやらを投与されていたなんて聞いてない。
大変腹が立ったので、向う脛を蹴りつけてやった。したらばすぐさまこのクソ狭い部屋に大袈裟な機材が運び込まれ、面倒な「実験」に付き合わされる羽目になったので、あれ以来承太郎以外の人間とは口を利いていない。まったく、なんと陰湿な仕返しだ。思い出すだに腹が立つ。

「……はぁ……」

結局のところ――白衣の男は嘘なんてついていなかったし、承太郎への許容は間違いでもなんでもなかった。目と鼻の先に死を控えた今になって、ようやく認めることができる。
わたしはわたしなりの、ええと、その――好意、めいた感情を持って、あの男が傍にいることを受け入れていた。きっと、そういうことだった。

『最近お前、狭いとか言わなくなったな』
『言っても貴様がどかんことなど知っている』
『可愛げのねぇ奴。実は人恋しかったのだ、くらいのことでも言ってみたらどうなんだ』
『人恋しい?このDIOが?馬鹿にするのも大概にしろ』
『なら、蹴り落としてみろよ。いくら弱ってるっつっても出来るだろ、てめーなら』
『……ど、どうしたことだ。なにやら今日の承太郎は、しこたまうざい』
『覚えたての言葉使ってんじゃあねぇよ、じじい』

今朝方の夢といい、承太郎との死ぬほどたわいない日常の記憶たちは、やたらとしぶとくわたしのの脳にへばり付いているらしい。思い返す光景はどれもが明瞭で、会話の内容だって鮮明に覚えている。これも、今日までか。今日までなのか。――明日になっても、なんとなく覚えているような気がしてならないのだが。

「……んー……むぅぅ……」

よれたシーツの上に、頭から倒れ込む。少々額が痛かった。反発も何もあったものではない、固いベッドである。よくもまあ、このDIOがこんな物置台のようなベッドの上で1年といくらかを過ごせたものだ。
――承太郎。あの男がいたからなのだろうか。
寝ても覚めてもてめーのことばかり考えちまうから、会いに来ることにした――だとか、よく分からない理屈を携えた男がせっせとほぼ毎日訪ねてくるものだから、あいつに無様な姿を晒さぬようにと、実験用のマウスと変わらない生活を強いられても、わたしは変わらずわたしでいることができたのだろうか。

いいや――それはあまりにも感傷的なものの考え方だ。わたしは、そこまで殊勝な性質ではない。わたし自身が一番よく知っている。
けれど、甚だ不本意なことではあるが、どうやらこのDIOの胸中にはそうした感傷に浸りたい気持ちが存在しているようなのだ。承太郎がいたからこそ、わたしは、と、思いたがっているわたしが居る。だからここは、「そういうこと」にしたおこうと思う。どうせ、誰に話すわけでもない。わたし自身も忘れてしまうことだ。だから、今だけ。今だけだ。

「――うおっ。なんだお前、もう起きてたのかよ」
「――、」

前触れなく1つしかない扉が開け放たれて、転がるように飛び込んできた承太郎がまぬけ面でわたしを見る。帽子が少しばかりずり下がっていた。息も荒い。全力で駆けてきたのだろう。わたしの目覚めを待つために。

――承太郎、承太郎。

この男が何度もこの部屋に訪れたことも、だんだん訪れる時間が早くなって、帰る時間が遅くなったことも、狭いベッドの上で飽きず小競り合いを繰り返したことも。

わたしは、なにもかもを忘れてしまうのだな。やがては承太郎、という名前すら。

「……俺だってたまには、間に合わねぇこともある。忙しいんだよ、これでもな。だからそう、腹立てんなよ」

ベッドに寝そべったままじっと己を見つめるわたしのことを、どうやら立腹中であると思ったらしい。お前は何もこのDIOを分かっちゃあいないのだな。そう言って嘲笑してやろうと思って、けれど結局はやめにした。
わたしは多分、承太郎がそういう男だったからよかったのだ。一応はわたしを理解しようと試みるくせに、自分には無理だと分かるやいなやあっさりと匙を投げる。そして何事もなかったように、普段通りの軽口を叩くのである。
承太郎はわたしに心酔することがなければ、恐れる素振りすらも見せなかった。目の前にいるこのDIOを、あるがままに受け入れていたのだろう。居心地がよかった。ちょっとばかり、嬉しくもあったのかもしれない。そんなことを思ってしまうまでに、わたしは弱っていたのだな。

つまりこの男は、うっかり弱ってしまっていたこのDIOの心の隙間へ付け込んできたというわけだ。なんともまあ、図々しい男であることだろう。まったく、本当にもう、まったく。

「おい、DIO?どうしたんだお前。具合、悪いのか」
「承太郎、」

どうやらわたしは、笑っているようだった。

「そろそろ死ぬぞ、承太郎」

なにやら顔の筋肉が痛いのだ、承太郎。
みっともない顔になってはいないだろうか、承太郎、なあ、承太郎。

back

since 2013/02/18