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水曜日

「外はすっかり春なのだ。桜が咲いているのだぞ。知っているか、承太郎」
窓枠に肘をついたDIOが、こちらに目をやることもなく呟いた。吹き込んでくる生温い風に金髪がそよそよと揺れていて、なんとなく、ああ春が来たのだなぁと思う。桜の枝がそよぐ様子に似ていると感じたのは、春の陽気にやられた頭が馬鹿になってしまっているからなのだろうか。
「知ってるも何も、家に籠りっぱなしってわけじゃあねぇんだぜ。家出て5分も歩けば、道の両隣にわんさと咲いてやがる光景にぶち当たる」
「ああ、それもそうだな。あの花たちとくれば、日本中を席巻する勢いで咲き誇っていやがるのだからな。我こそが春の主役であるのだぞと言わんばかりに、それはもうこれ見よがしに」
DIOはつまらなそうな顔で、ぼんやりと外を眺めている。視線の先にはきっと、曰くこれ見よがしに咲き誇った桜に囲まれた往来の光景があるのだろう。風に乱された髪を耳に掛けながら、DIOは続けた。
「なのにわたしはどうしたことか、どこからかやってきた花弁が鼻の頭に張り付くまで『そこに桜という花が咲いている』ことを認識できなかった。なんだこの無礼者は、そうか桜かもう咲いていたのか、そんな季節であったのだな、そういえば承太郎の阿呆はせかせかと忙しそうにしているものであるが、もしや毎年恒例の花見酒を忘れているんじゃあなかろうな――とまあこんな具合で、わたしはつい2日ほど前に春の到来を知ったのだ」
淡々と紡がれた声だった。表情だってつまらなそうなままで、やはり俺を見ることもなくぼうっと遠くの桜を眺めている。これならまだ『わたしとの約束を反故にするつもりかクソ野郎』と罵られた方がましである。普段感情表現が激しい奴に急にしおらしい態度を取られると、とてつもない我慢を強いているような気分になってたまらない。多分こいつは、そうやって俺が罪悪感を抱くことを見越した上でこうした振る舞いをしているのだ。意地の悪い奴だとは思えども、こっちの都合で放置をかましていることに変わりはない。
「台所の、下の戸棚だ。醤油とか入ってるところ」
「む?」
「そこに一応、用意してある。お前が去年旨い旨い言いながら1人で1本開けちまったのと、同じのを取り寄せてみたんだが」
「お前だって呑んだだろう?」
「杯2杯分とか呑んだうちに入らねーよ」
窓枠に寄りかかっていた体を起こし、DIOはゆっくりと俺の方に向き直る。なにやら勝ち誇ったように笑っている。
「忙しい忙しいと喚いていた割には、しかと覚えていたのだな、承太郎。感心感心。その調子で残りの人生全ての時間をこのDIOに費やすといい」
「調子乗ってんじゃあねーよ」
「そうするのも悪くないと思っているな?そういう顔をしているぞ、承太郎!」
「どんな顔だよこのアホが。承太郎承太郎うるせーな」
「それじゃあわたしは、一足先に一杯楽しむとするが。僻むんじゃあないぞ、承太郎。お前も呑みたければ、とっととそんな雑事など片付けてしまうことだ、承太郎」
いつにも増してわざとらしく俺の名を繰り返すDIOは、先程までの気だるげな態度が嘘のような機敏さで立ちあがり、足早に台所へと向かっていった。DIOの占拠していた窓辺からは相変わらず春の風が吹いていて、ちょっと体を傾けてみれば丸々と肥えた月を眺めることができた。しかしDIOという強烈な存在を欠いた情景は、あまりにも味気なくて物足りない。――と、思ってしまったこの頭のイカレ具合とくれば、そろそろ取り返しのつかない所まで来てしまっているのだろう。あんなのにもう何年も夢中になりっぱなしである、という事実を改めて突き付けられた思いである。知らずの内に溜息が漏れていた。
「お前も老いたものだな、承太郎。なんだその、しみったれた中年のような溜息は」
「残念なことにとっくに中年だ」
一升瓶とコップを携えたDIOは足で襖を開閉しながら、からかい甲斐のない奴ぅーと尖らせた口先で呟いた。そうしたDIOの姿だって相当におっさんくさい。
「それが片付いたらちゃんと、もっと見晴らしのいい場所に連れて行くのだぞ。ここからだと気持ち程度にしか見えんのだ」
「元からそのつもりだぜ」
「結構」
DIOが窓枠に腰かける。途端に空気が華やいだように感じてしまうこの、どうしようもなくDIO仕様にカスタマイズされてしまった感性がやるせない。花を見るよりよっぽど楽しいだとか、本当にどうにかしてるだろう。
「そう不躾に見るなよ。照れるだろう」
「お前がそんな殊勝なたまなわけねーだろうが」
「ふふふ、おかしなものだな承太郎。昨日までのわたしはあんなにもお前の視線を欲していたというのに、いざ穴が開くほど見つめられると落ち着かなくてたまらない」
「本当に照れてんのか、お前?」
「だから、そう言っているだろうに」
とてもそうは見えない、底意地の悪さが滲んでならないにやけ面である。
「てめーこそこっち向いてたら、花なんか見えないんじゃあないか」
「こんな遠くから眺めてもな。花見はお前に連れて行かせる時までとっておく」
「なら酒もとっとけよ。結構高かったんだぜ、それ」
「けちくさい男だなぁ」
投げ出されたDIOの足がプラプラと揺れている。どうにも子供じみた動作である。しかし奴が威勢よく傾けたコップに並々注がれているのは度数も高い酒であって、こくりと喉を上下させたのちにぷはーと息を漏らす様などは、やはりどうしてもおっさんくさい。というか妙に生活感に溢れていて、いかにも浮世離れをしているDIOにはいまいちそぐわない動作に見えて仕方がないのだった。それだけ俺との生活に馴染んでくれてるということであれば、嬉しいと思わないでもないのだが。
「というかな、わたしは別に、桜なんぞは好きじゃあないのだ」
「初耳だ――っつーかお前毎年毎年花見に行くぞ酒盛りだ、っつって人を引っ張り回しやがるもんだったが、桜好きじゃあねーっつうならあれは一体なんだったんだ」
「花見にかこつけて呑みたかっただけだ」
「ったく、ろくでもねぇ」
「お前とな」
「……本当にろくでもねぇなぁ、この野郎」
「ちょろい男だなぁ、承太郎」
「うるせーよ」
実際DIOの適当な甘言に、それなりの嬉しさを感じてしまっている辺りがどうしようもない。
「桜――桜なぁ。ぱっと咲いてざっと散る。狂気だとは思わんか。みてくれの美しさは認めてやらんでもないのだが、ううむ、いや、あのわざとらしい程に純情ぶった可憐さには少々いらっとするものを感じないでもないのだが――」
「何が言いたいのか分からねーぜ、酔っ払い」
「だってはっきり『100年ほど前に死んだ男を思い出す』とか言ってしまえば、どうせ気に病むのだろ、お前、承太郎」
「あー……あーお前、そう来るかお前、DIO、この野郎」
「ま、わたしとしては、その心から嫌っそうなお前の面を肴に呑むのも乙ではあるのだがな!」
ケラケラと笑う面が死ぬほど小憎らしかった。人が深い所に触れるのを避けてやっている話題を冗談のように持ち出す軽薄さなどは、いっそ憎らしく感じるほどである。
100年以上も昔の話などは知ったことではないし、今のDIOがDIO自身の意志で俺の傍にいることは分かっているので、実際じじいのじじいとDIOのあれこれなどは特別気にしてはいない。DIOにとっても終わった話であるようなので、俺とDIOのこれからにとっちゃあ全く気にする必要のないことなのだろう。ただ全くしこりを感じないかと言えば嘘になってしまうような、なんだかんだ俺にとっちゃあ繊細な問題であるのは確かなのだった。
「あまりそう、分かりやすい顔をするな」
「うるせーな」
「照れ隠しをしているのだ、察せ」
「何に照れてるって?」
「桜という花は好かんが、お前と酒を酌み交わしながら見る桜は好いている。言ってしまえばこのDIOは、お前と過ごす『ちょっとばかし特別な時間』というものを愛してやっているのだということだ。何故わたしが桜の開花を、花弁に触れるまで気付かなかったのかが分かるか、承太郎。わたしにとってあの花とは、お前と共に眺めるものだからだ。お前が隣に居なければ価値がない、見る価値のないものをわざわざ記憶に留めておくほど、このDIOは暇をしちゃいない。だから確かに見ていた筈の桜を、全く認識できていなかった。隣にお前がいないものだから。――まったく、ここまで言ってやらんと分からんか、承太郎め」
事実DIOは、本当に照れているらしい。くい、と2杯目の酒を呷る横顔は、耳までがほんのりと赤くなっていた。なんとなく、アルコールのせいだけではないのだろうなと思う。勘でしかないのだが、多分当たってる。
「分かるわけねーだろうが」
「そうか、そうか。つまり承太郎がこのDIOに抱く愛情とは、たったそればっかしのものでしかないのだな。なんとも薄情な」
お前だって、俺がどんだけ他でもないお前のことで頭を悩ませまくっているかも知らんだろう――と、反射的にそんな泣き言が出かかって、慌てて唾液と共に飲み込んだ。きっとDIOが俺の諸々の逡巡を知らないように、俺だってDIOがどんな思いで毎日を過ごしているのかを知らないのだ。だってこんなの初耳だ。こっちまで妙に照れくさくなって、思わず奴から目を反らす。DIOはなにやら俯いて、空になったコップの底を眺めていた。俺のちょっとした動揺は気付かれずに済みそうだ。
「桜という花は、美しいくせにおぞましい。そういうどうしようもない矛盾が、あの可憐ぶった花を輝かせているのだろう」
DIOの呟きはあまりにもぎこちない。話題を変えようとしているのだろう、そのくせ『桜』という単語から離れられない詰めの甘さが、如何にもこいつらしかった。そんな姿に少々動揺も落ち着いて、再び俺はDIOを見た。すると俺の視線に気付いたのか、DIOも気だるげに顔を上げる。羞恥の気配の残る赤らんだ頬が、やたらと妙に愛しかった。
「お前だって割と、似たようなもんじゃあねぇか」
「わたし?……うーむ、言わんとしていることは、分からないでもないのだがー」
「なんだよ」
「なんというか――お前はこのDIOを、『美しい生き物』であるという認識をしていたのだな」
「……いやなんだよ、今更何に驚いてんだよ」
「だってお前、そういうの言わんだろう。容姿を褒められた記憶がない」
「そうだったか?」
「そうだとも」
言われてみれば、確かに。心の中では普通に、見てくれだけは一級を通り越して特級だなーとは思っているのだが。そんなのは見れば分かることで、一々口にするのが愚かしくなる程にこいつはどうしようもなく『綺麗』なのだった。だから取り立てて言ったことはなかったのだ――っていうのは建前で、結局はそういう痒いことを言うのが恥ずかしかっただけだ。
「褒められたかったのか?」
「褒められて悪い気などするものか」
「へぇ」
「……いや、いやいやそれで終わりか承太郎!?ここはあれだろ、もう全身が痒くてたまらなくなるような美麗字句で以て、このDIOを称えるべき場面だろう?」
「乗ってたまるか、あほくせー」
「そうやってわたしの期待を裏切ってばかりいるとだなぁ、のちのちよくない目にあっても文句は言えんのだぞ、承太郎め!」
そうして頬を膨らませた吸血鬼は、苛立ち紛れをするように空になったコップへ3杯目の酒を注いだのだった。全身で『わたしは拗ねているのだ』と訴える姿を可愛らしいとは思ったし、そんな子供じみた表情でさえも妙に様になってしまう奴の美貌というものに感心もしているのだが、やはり言葉にするにはこっ恥ずかしくてたまらない。奴から目を離してモニターへと向き直れば、俺を咎めるようなうりぃーという呻き声に空気が揺れた。
「おい承太郎。世辞の1つも言えんのならば、せめて付き合え。今ならこのDIOが酌をしてやるぞ」
「こっちに集中させてくれ。お前に構ってる暇はない」
「昨日は一発抜いた後、なにやら妙に捗っていたようではないか。だったら今日は、一杯呑めばいい。ところどころで気を抜きながらーの方が、案外するすると事が運んだりもするのだぞ。お前とくれば、愚直に困難にぶち当たることしかできない子供であるものだからなぁ。気の抜き方も知らんまま、せっせと年だけを食ってしまった」
DIOがひらひらと窓から離れ、俺の方へと歩み寄ってくる。そして隣にぺたりと座りこみ、コップの半分ほどを満たしていた酒を一息に呷った。伏せった目元と上下する白い喉がやたらめったらにエロくさく、あえて自分をそう見せているのだろうDIOへの呆れとも苛立ちともつかない感情に、こめかみの辺りが痛くなる。熱いアルコールを胃の中に収めきったDIOは、まっすぐに俺を見つめ、小首を傾げて微笑んだ。
「ん」
「……俺に呑めってか」
「このDIOが、酌をしてやろうというのだ。ありがたく受け取らんか、承太郎め」
ずいと差し出される空のコップ。赤い顔をしたDIOの笑顔は、いつにも増して愛想がいい。
どうしたものか――と逡巡したのは、ほんの数秒ばかりのことである。確かに昨晩DIOと一発やった後、自分でも驚くほどに作業が捗ったのは事実であって、せっせと打ち込み続けてきたこの仕事も遅くとも明日には片付いてしまいそうなのだった。だから言うほど時間がないわけではない――というのは建前で、本当はただ、どうやら心から俺と酒を呑む楽しみを共有したいのだろうDIOの気持ちを無碍にしたくはないだけなのかもしれないが――と誰に向けたのかも分からん言い訳を思い浮かべながら、俺はコップを受け取った。
「次はお前が、わたしに酌をするのだぞ」
「お前頼むから、俺以外の奴にこんなろくでもねぇ我儘ふっかけてやるんじゃあねぇぞ。具体的には花京院だが、気の毒でならねぇぜ」
「嫉妬か?」
「お前なんかに一々付き合ってやれるのは俺だけなんだからな、って話だぜ。ありがたく思えよ、この馬鹿」
「なんだ、やっぱり嫉妬なのではないか」
だから、そうじゃあなくてだな。
そう返そうとは思えども、改めて自分の言ったことを思い返せば嫉妬以外の何ものにも聞こえない。それに何を言ったって、DIOは自分の都合のいいように受け取ってしまうのだろう。図太い男である。
注がれた酒を一息に呷る。旨いだろ?と我が物顔で嘯くDIOの額を小突いてみれば、反撃のつもりなのか、噛み付くようなキスを仕掛けられた。実際下唇の辺りをちょっとばかし噛まれてしまった。うっすら滲む赤い血を、DIOの赤い舌が攫ってゆく。そうして俺に笑いかけてみせる顔は、やっぱりどうしようもなく綺麗だった。桜なんぞよりよっぽど。とか、頭の中ではこんな馬鹿みたいに痒い称え文句もぽいぽい出てくるものであるのだが、言葉になった試しはない。恥ずかしすぎるだろ、こんなもん。

「あんま調子乗って呑んでると、酒なしで花見をする羽目になっちまうぞ」
「また買えばいいではないか」
「だから高かったっつってんだろうーが」
「このDIOを喜ばせるためだと思えば、安いものだろう?」
「アホか、このアホ」
「アホとか言うなよ、この阿呆」
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