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間男と窓

「……ああああ!!」
「!!?」
「し、しまった!寝坊したっ!」

ジョジョの無粋な叫び声は、心地よい朝の微睡みを木っ端微塵に破壊した。
開きたくもないのに開いてしまった視界が涙で滲んでしまっている。目尻に蟠るそれを拭うことすら面倒だと思うのは、単純に億劫だからというだけでなく、了承もなく布団をめくるジョジョへの憎しみが勝っていたからだった。
だから目元を拭う前に、ばたばたとベッドを降りてゆこうとする不届き者へ拳を一発くれてやる。皮膚同士がぶつかり合い、ぱし、と乾いた音が鳴った。脇腹へと食らわせた一撃に、ジョジョの体がよろめいた。情けない悲鳴のおまけ付で。
「ディオ、くすぐったい!」
「……もっと痛がれよ。可愛げのない奴」
「そういうのなら後で付き合ってあげるから。ええと、ぼくの服は――」
おざなりな一瞥だけを残し、ジョジョはベッドから飛び降りた。ぼくに背中を向けて探し物をする姿はいかにも薄情だったので、一体昨夜のセックスはなんだったのかと、胸倉を掴んで問いただしたい気分にもなってくる。朝までぼくのことを、抱き潰すつもりかってくらいの力で抱きしめていたくせに。
「……おいジョジョ。それぼくの下着」
「へ?あ、あー……」
「まぬけ」
「やっぱり脱ぎ散らかすのはよくないな……」
着々と着込んでゆくジョジョの目に、きっとぼくの姿は見えていない。すっかりシャツに隠されてしまった背中を睨みつけてみたところで、あいつは振り返りやしなかった。
ひどい苛立ちに頭痛がする。
気付け、こっちを見ろ。そしてもう一発、殴られろ。お前なんてずっとぼくを見ていればいいなんて、馬鹿馬鹿しいことを考えてしまっているんだぞ。お前のせいで。いくら寝起きであるとはいえ、まるで置いていかれる情婦みたいな、馬鹿げた心境になってしまっているのだ。お前の薄情のせいだ。
「……今日は学校、休みだろう?」
「教授と約束があるんだよ。前から頼んでいた本が、今日届くからって」
「遣いをやればいいじゃあないか」
「無理を言ってお願いしたんだ。ちゃんとぼくが、受け取らなくちゃあね」
「……要領の悪い奴」
「君から見れば誰だってそうだろうに」
タイを絞めながら、ジョジョはようやくぼくを見た。やれやれ、と言わんばかりの苦笑顔が憎らしい。なんでそんな微笑ましそうな顔をしているんだ。そんな顔でぼくを見るな。
「それじゃあ行ってくるよ」
勝手に人の頭を撫でるんじゃあない。馬鹿。まぬけ。
「……あ、」
「忘れ物か?時計ならその辺に落ちてたぜ」
「いや――足音が」
「はあ?」
ドアノブに手を掛けたまま、時間が止まってしまったかのようにジョジョが硬直している。慎重にドアに耳を押し当てると、強張った顔を情けなく崩れさせ、盛大な溜息を吐いたのだった。
「廊下、何人かばたばたしてるみたい。花の活け替えでもしてるのかな」
「何を気にすることがあるっていうんだ?夜中までぼくの部屋で一緒に勉強をしていて、帰るのも億劫だったからそのまま眠ったとか、言い訳ならいくらでもできるだろう」
「それはそうなんだけど……ええと、ディオは何か言われなかった?」
「何の話だ?」
「ううん、まあその、使用人さんなんだけどね。彼らに他意はなかったのだろうけど――ぼくとディオが最近、本当にべったりしてますね、みたいなことを」
「……べったりと言っても、友人として逸脱した付き合いをしてるわけじゃあないだろうに。少なくとも人目に触れるところでは」
「いやぁ、分かってはいるんだけど……まあ実際のところは、ちょっと逸脱してしまってるわけだから。なんというか、糾弾されたような気分になってしまって……」
そう言ってしょげかえるジョジョの心境などはまったく理解ができなかったが、逸脱した関係を責められていると感じてしまうジョジョの善良さというものは知っている。少々、気分が上向いた。首を垂れるジョジョの姿にいくらか溜飲が下がったのだった。なんなら寝癖のついた髪を撫でてやりたい気分にすらなっている。
そこでふと、いつの間にか明瞭になっていた視界の端に、引っ掛かった光景があった。なるほど、これならジョジョの力になってやれるかもしれない。愉快な気分になって、口元が緩んでいる。だらしない顔をしているのだろう。自覚はある。
「ジョジョ。廊下に出なくても、この部屋から出る方法はあるぞ」
「ほ、本当かい!?」
「ああ、ほら」
「……ディオ。まさか、君って奴は……」
顎をしゃくった先にはカーテンを引きっぱなしの窓がある。その向こうには丁度、行儀悪く枝を伸ばした木が生えているはずだった。でかい屋敷の2階からといっても、あの枝とジョジョの身体能力があれば外界への脱出など容易に達成できるだろう。実際ぼくにはできた。
できない、などとほざけばその弱腰を笑ってやればいいし、実行に移したのだとしても、それこそそんな間男のような真似をさせられるあいつの姿は大いにぼくを満足させるだろう。どちらに転んでも、ジョジョはこのディオを喜ばせることができるというわけだ。実に愉快である。
「いい経験になるんじゃあないか?環境にせっつかれる間男の気分を味わってみるのもな」
「君は酷い奴だな……そして薄情だ……」
「君の身体能力を買ってるから、こういう提案をしてやってるんだ」
「……すごーくニヤニヤしているぞ、ディオ」
「ふふふ」
ジョジョはもう一度ドアに耳を張り付けた。表情が沈んだままだということは、まだ使用人たちが廊下をばたばたとしているのだろう。
再びの深い溜息の後に、ジョジョの爪先は窓辺へと向き直った。険しい顔には諦念が滲んでいて、なんだかとても気分がいい。そうだ。お前はそうやって、ただぼくを喜ばせているだけでいい。
「――ああ、もうっ!ディオ、ちょっと失礼!」
「はぁ?ジョジョ、っ!?」
顔の真横のシーツが、一点に力を受けて沈んでいる。ジョジョの掌だ。荒々しく白いシーツを押さえ込んでいるのだ。その間に転がったぼくを、逃すまいとするように。
「……ディオ、」
「ジョジョ、」
ぼくを見下ろす双眸の、淵が真っ赤に染まっている。ジョジョは明らかに照れていた。別段珍しい表情だというわけではないはずなのに、こうも近くで純情ぶった顔を見せられると、どうにも、居心地が悪かった。ついでと言わんばかりにぼくの頬まで熱くなっているのが嫌だ、物凄く嫌だった。
「……急ぐんだろ。早く出ていけばどうだ」
「うん、すぐに行くよ」
緊張した面持ちのジョジョが、どんどん距離を詰めてくる。なにをしようとしているかなんて分かりきったものだった。少しばかりの期待を胸に、ぼくはただじっと、ジョジョを見上げるしかない。しかし、ジョジョは――あのまぬけは、
「……は?」
口ではなく、額へキスを仕掛けてきて、見事、ぼくの期待を裏切りやがったのだった。

「すぐに帰ってくるから――そうしたら君は、一等に綺麗な笑顔でぼくを出迎えておくれよ、ディオ」

そして、茹だったような顔をして。それでもまっすぐぼくの目を見つめながら、陶酔も甚だしい睦言を囁きかけるのだ。
気付いた時には、思わず膝で奴の腹を小突いていた。
「ひぃっ!だ、だからくすぐったいのはやめてくれと!」
「くすぐったいどころか痒くてたまらないことを言ったのは貴様だ、ジョジョ!」
「だって、ディオが!生意気に「間男の経験でもしてみろよー」とか言うものだから!期待に応えてあげようと思って、それっぽいことを言ってみたんじゃあないか!仕返しがてらに!」
「どうせ仕返しの方がメインなんだろジョジョの阿呆!期待に応えようとするなら口にしろ、口に!額などではなく!」
「本当に気難しいな君って奴は!って、ああっ!こんなことをしている時間はないんだ!」
跳ねるように飛び起きたジョジョは、ついさっきの睦言など嘘だったと言わんばかりの素っ気なさでぼくの元から離れて行った。そして慌ただしい音を立てながら、一息にカーテンを開け放つ。窓辺から差しこむ朝日は白々しく眩かった。
「じゃあ行ってくるよ、ディオ」
「ぼくの笑顔が見たければ、花束の一つでも買ってこい」
「はは、間男も大変だ」
燦々と輝く窓の向こうにジョジョの姿が消えてゆく。まるで朝の光に融けてしまったかのように忽然と。
開け放たれた窓辺へ向かう。すぐ下を覗きこんでみれば、丁度ジョジョが地面へ降り立ったところだった。どうやら問題なく脱出に成功したようだ。そのままジョジョはまた、ぼくの視線に気付かずに駆け出した――筈が、突然弾かれたように振り返り、まっすぐにぼくを見上げた。そして微笑む。朝の情景に負けじと美しく。清廉で善良であることこそが一等に尊いのだと、そう主張せんばかりの穏やかな笑顔だった。

馬鹿だ。愚かだ。お前は泥の海を知らないからそんな顔ができるのだ。

「お前なんかだいきらいだ」
駆けてゆく背に呟いた。本当は喚き散らしてしまいたいのに、体面が邪魔をする。

――本当はお前なんか大嫌いなんだ、無知でいることを許されているからといって、どうしてそうもお前は、お前は

頭の中で何度も叫んでいる本心はしかし、一度もぼくの声帯を震わせたことはない。

なんだか朝から疲れてしまったので、これからもう一度寝ることにした。こう眩しくてはたまらないので、窓もカーテンも、ちゃんと閉めて。
ベッドのすぐ傍には、結局忘れて行ったジョジョの時計が転がっている。急いでいるくせに。時間が確認できなければ焦るばかりだろうに。
馬鹿な奴。本当に、ばかなやつ。



「一応買ってきたんだよ、花束。花なんてよく分からないから、君に似合いそうな薔薇にしてみたんだけど。けれど……その、帰ってきてから気付いたんだけど……ぼくが買って帰ってきた薔薇が君の部屋に飾ってあったら、なんというか、本格的にぼくらの仲が疑われてしまうんじゃあないだろうか……」
「何故……何故君はあんな冗談を真に受ける……」
「ぼくもどうにかしてたんだよ……自分でもびっくりするくらい簡単に2階から脱出できたものだから、変にハイになってしまってたのかもしれない……」

結局ジョジョの買ってきた薔薇たちは屋敷の適当な場所に飾られることになった。
しょぼくれるジョジョを哀れに思い受け取ってやった1本だけが、ぼくの部屋、ジョジョの飛び出した窓の傍で、柔らかな光を浴びている。

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