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ディスクイジェクト

妙に神妙な面をしたじじいから『DIOが生かされている』のだということを聞かされたのは、進学を機に家を出てからしばらくの時が経ち、そろそろ新生活にも慣れを感じ始めてきた頃のことだった。忘れもしない、18歳の夏である。


『狭いぞ承太郎。これはわたしのベッドであるのだから、お前はもっと端に寄るべきなのだ――ん?』
『これ以上どう端に寄れって言うんだ』
『……うぅむ……承太郎、承太郎……承太郎?』
『だから、なんだよ』
『お前は、承太郎という名前だったのだな』
『なんだよ、今更』
『お前が「承太郎」という男であることを、知っているつもりでいたのだ。しかし今無意識に呼びかけるまで、わたしはお前の名前を忘れていたということさえ忘れていた』
『てめーも大概じじいなんだ、ちょいと物忘れが激しくなっちまったってそうおかしな話でもねぇ。気にすんな』
『じじい?わたしはまだそんな年では……んん?んー?』
『気にすんなよ。オラ、こっち来い』
『あ、こ、こら!急に引っ張るな、無礼者!』


じじいはただそれだけの事実を、酷く強張った声で伝えてくれただけだった。本当は俺に知らせるつもりはなかったらしい。しかし、DIOの再生のスピードが予想を上回る勢いであっただとか、今は大人しくしているようだがこれからどうなるかは分からない、『もしも』の時は俺の力が必要になるかもしれないだとか。そういった事情で伝えざるをえなくなってしまったのだ、と吐き捨てるように零したじじいは、最後にぽつりとお前にはきな臭い世界に関わることのない新生活を楽しんで欲しかったのだが、と付け加えたのだった。憔悴しているように見えるじじいの姿に、ああ俺は愛されているのだな、と思ったものだ。
だから、言い出し辛かった。
DIOに、会いたい。それを望めば、じじいはいい顔をしないだろう。それどころか怒らせる、を通り越して、悲しませてしまうのかもしれない。それでも俺は、俺が戦いとは全く無縁の生活を送る裏で息をしていたらしい吸血鬼の、今現在の顔というものを見ておきたいと思ってしまったのだ。俺が躊躇も容赦もなく葬ったつもりでいて、それでも生きていた吸血鬼。親から貰った体を失って尚この世にしがみ付き続けるあの男の執念というものは、一体如何ほどのものであるのだろうかと。
100%の好奇心でもって俺は、じじいの憔悴を深めるものでしかない『お願い』を口にしたのである。


『じょ――じょ――ええと、じょ……じょ……ええい、くそ!ここまではきているのだ、わたしはちゃんとお前の名前を知っている!なのにあとちょっとの所で出てこない!ええと……じょ、じょ……じょな……?いいや、そうではなくて……ええと……ええと……じょ……』
『……んな必死こいて悩むようなことでもねぇだろうが。俺の名前は、』
『言うな!自分で思い出せる!』
『なに意固地になってやがるんだ』
『お前などに教えを乞いたくないだけだ』
『ああ、そうかい。後からやっぱり教えろ承太郎、とか言われたって知らねー、あ』
『あ』
『……すまん、悪気はなかったんだ』
『――承太郎!貴様!貴様という奴は、まったく!まったくもって!』


白衣を着た研究員に案内された一室で、俺は数ヶ月ぶりにDIOという吸血鬼と再会した。ただし、とてもとても一方的な。その部屋で俺を待ち構えていたのはDIOではなく、壁一面に埋まったモニターに映る『この施設のどこかにいるのだろうDIOの姿』であったのだった。
モニターの数は、大小合わせて10と少し。全て、ありとあらゆる角度からDIOを映し込んだものである。その様子を観測する白衣の男たちの目は、揃いも揃って無機質なものだった。あれは決して、生き物を眺める目ではない。
――これが、敗者というものか。悪事を重ねてきたことへの報いというものか。
報いと言ってしまうには、生温い仕打ちであると突っ込まれても反論はできないのかもしれない。しかしDIOのそうした姿に抱いてならない感傷などは、きっと実際に殴り合った俺にしか理解ができないことだ。つまり俺は、あの男に同情をしてしまっていたのである。俺が奴を注視する様を怪訝に思う者はいなかった。こういう時にこそ、顔に感情が出ない性質でよかったと思う。
そうしてどう昇華したものかも分からない同情、感傷を胸に、DIOを眺めていた時のことだった。不意に、俺とDIOと目が合った。10数あるモニターのうちのど真ん中、奴を右斜め上から捉えているそれに、まっすぐにカメラを見上げるDIOの顔が映り込んでいた。あいつからは俺など見えていないはずなのに、瞬間的に、あいつは俺を見つけたのだと確信した。
正方形に切り取られた世界の中で、DIOは俺を見上げて笑っていた。


『……貴様は何故、わたしを撫でているのだ?』
『……あんまりにも穏やかな寝顔だったもんだからな。つい、手が出ちまった』
『理由になっていない。それがどうして、貴様が無礼な手でこのわたしに触れる理由になるというのだ』
『お前も静かにしてりゃあ可愛らしいもんだな、と思っちまったからだ』
『…………、』
『おい、黙るなよ。居た堪れねぇ』
『なら初めからそういうことを言うな、このまぬけめ』
『……おいDIO、重いんだが』
『貴様が無遠慮に人の頭を撫で回すものだから、半端に目が覚めてしまったのだ。膝枕の任くらいまっとうしてみせろ』
『勝手ばかり言いやがる』
『……――だから、お前に撫でられるのが気になって気になって仕方がなくて、このDIOは起きてしまったのだと言っているだろうが!わたしに触れるな!その手をどけろ!お前という奴は、飽きもせず!』
『いいじゃあねぇか、寝なくても。どうせもう起きる時間だ』
『お前にいいようにされているようで気にくわない!大体どこの誰なのだ、お前は!』
『空条承太郎』
『空条、承太郎!なんともまあ、仰々しい名前!』


微笑なんて可愛い言葉には収まりきらない、圧倒的な魔性を湛えた笑顔である。しばし、両目を釘づけにされてしまった。しかし同じ情景を見ているはずの白衣たちは、変わらず無機質にDIOを観測し続けるのみだ。
何故そうも平静を保ち続けることができるのだ。
お前たちはあの、悪意に満ちているくせにどこまでも甘ったるい、あまりにも強烈な官能に気付いてはいないのか。
喚き散らしそうになった瞬間に、寸でのところで理性が働いた。きっとおかしくなっていたのは白衣たちではない、俺だった。DIOの悪意に中てられた。あれに惹かれてしまう素養を持ち合わせてしまっていた。それだけの不幸があったというだけの、話である。


『DIO』
『もう一度だ』
『DIO』
『もう一度』
『もう何回目だよ。いい加減アホくせーぜ』
『それじゃあ次が最後でいい。わたしは寛大だから、この辺で勘弁してやろう』
『自分で言うことかよ。DIO。これで満足か』
『ああ。これだけ呼ばせれば、簡単に忘れることもないだろう』
『……忘れちまってたのか?自分の名前』
『ど忘れをしていただけだ。そう深刻な顔をするな。ええと――』
『承太郎』
『それが、お前の名前なのだな』
『ああ。呼んでもいいぞ』
『承太郎』
『ああ』
『承太郎』
『もう一度だ』
『承太郎』
『……なんつーか、えらい素直だな、お前。らしくねーぜ』
『お前のために呼んでやっているわけではないぞ。わたしが忘れてしまわん為に、承太郎、とかいうなにやら角ばった名前を繰り返してやっているのだ』
『つまり忘れたくないと思ってくれてるってわけなんだな?俺の名前を』
『…………』
『いてぇよ、馬鹿』


尚も毒々しく微笑み続けるDIOに両目を奪われながら、俺はぼんやりと「こいつは酷く飢えているのではないか、胸の内に酷い空洞を抱えているのではないか」と考えた。
カメラの向こうのDIOは確かに美しかった。しかしよくよく目を凝らしてみれば、表情の端々に拭いきれない卑しさのようなものが滲んでいるように見えてならなかったのだ。精神的に幸福である奴は、決してこんな顔をしない。自分が満たされていることを知っている奴は、もっと『綺麗』に笑って見せる。DIOの笑顔はひたすらに美しく、卑猥で、跪いてしまいたくなるような魔性を湛えていて、けれど決定的に、幸福に因る輝きというものが欠けていた。
――空の精神が満たされたその時に、DIOのかんばせは一等に美しく映える瞬間を迎えるのだ。
降って湧いた陶酔交じりの確信に、目の奥がぐわりと揺れた。この男がありとあらゆる『美しいものたち』を踏み躙り、この世の何よりも美しく微笑んでみせるその瞬間こそを、誰より早くこの目で見たいと思ってしまった。
18年を生きて初めて知った陶酔は、喉が焼けるほどに甘かった。

思うに――あのカメラ越しの再会で初めて俺は、『DIO』という男を見たのだという気がする。
つまるところ俺のDIOに対するあれこれは、2度目の初対面による『強烈な一目惚れ』から始まったものであったのだ。


『DIO。いつまで寝てるつもりだ、お前』
『……』
『DIO』
『DIO。わたしだ、それはわたし。では、お前は?』
『承太郎だ』
『承太郎。承太郎。……承太郎。駄目だな、まったく聞き覚えがない。お前の顔も声も、わたしは確かに知っているはずなのに。承太郎。お前の名前を知らない、思い出すことができない』
『忘れちまう度に、俺が教えてやりゃあいい。なにも問題なんてねぇんだぜ』
『承太郎』
『ああ』
『……承太郎』
『忘れたくないと、思ってくれてるのか。お前は、まだ』
『わたしがそういうことを言ったのか?』
『お前は照れ隠しに俺の脇腹を小突き回して、結局言葉にはしなかった。でもそういうことを、思ってくれていたようだった』
『そうか』
『そうだったんだ』
『その内、お前の顔も声も忘れてしまうのだろうな』
『俺がここにいるのは変わらねーんだぜ。なにも不安に思うことはない』
『お前はどうしてそう、わたしのことが好きなのだろうな?』
『にやにやすんじゃあねぇよ、こら』
『愉快な時くらい笑わせろ。承太郎め』


それから小30分ほど後のことである。白衣の男に連れられて、俺は小さな部屋に足を踏み入れた。狭い部屋。出入り口の正面に設置されたベッドと、それを取り囲む大小様々のカメラ以外はなにも目を引く物がない、殺風景と呼ぶにはあまりにも寒々さの漂う部屋である。
その中心に、DIOはいた。
簡素なベッドに腰を下ろし、放り出した長い脚を尊大に組んでいた。そして俺と目が合った瞬間、今度こそは本当に目が合った瞬間に、赤い唇を三日月の形に吊り上げて、美しく、美しく、笑って見せたのだ。
そうして一言囁いた。殺してやると。
血相を変えた白衣の男たちは、俺を守るように前に出た。この場でDIOとまともに渡り合えるのは俺だけであるというのに、男たちの背には一応は未成年の学生である俺を守らなければならないのだと、ごくごく真っ当な大人が持ち合わせる人間味が滲んでいるように見えた。
そうした大人たちを嘲るように、DIOは殊更美しく微笑んだ。白い人垣の内側で、俺はただただDIOを見つめていた。
深まる陶酔に、血流を早めながら。
殺してやる、殺してやる。そう零したDIOの口元が確かに卑しく歪んでいた光景に、酷い興奮を、それこそ劣情を伴った興奮を、催しながら。
この男は、美しい。美しいくせに、卑しい、卑しい。卑しいくせに、どうしようもなく美しい。
とろけるように甘い、甘い矛盾であった。


『目ぇ覚ましたんなら、体くらい起こせばどうだ』
『……』
『嫌な夢でも見たのか』
『……』
『黙ってちゃあ何も分からねーぞ』
『……さっきから、うるさいな。貴様は何者だ』
『承太郎だ』
『承太郎』
『覚えているか』
『……知らない。どうでもいい。わたしは寝る。起こすなよ』
『起きたばかりだろう』
『しなくてはならないことがあるわけでもない』
『俺と話していればいい』
『貴様と?』
『不満か』
『……見るからに、口が下手そうな男であるが、貴様、ええと……承太郎』
『下手なりに楽しませてみるつもりだぜ。まあ、ものは試しっていうだろう。つまらなければ、その時こそ寝ちまえばいい。止めやしねぇよ』
『ふふ、なんだそれは。変な奴だなぁ、承太郎』


しかしまあ、そうしたDIOへの陶酔に浸っていられたのも、実際はほんの少しの間だけだったのだ。
あれから俺は、週に何度か奴の元へと足を運ぶようになった。そうした付き合いの中でのDIOは、なんというか、俺の印象にあるよりもずっとずっと、やたらに人間臭く俗っぽい吸血鬼であったのだった。相手をしている内に、かの『強烈な一目惚れ』の衝撃などは軽く薄れてしまっていた。とにかく、揚げ足取りが大好きなクソ面倒くさい奴だったのだ。
結局はまるで、10年来の悪友である。いつの間にか、そうした遠慮のない付き合いをするようになっていた。そうする中で俺は、鋭い牙の覗かせながらころころと笑う姿だとか、つまらないことに腹を立て爪先で俺の横腹をつついてくる悪態だとか、時たま『やっぱりこいつは100年といくらかを生きてきた化け物であるのだな』ということを感じさせる超然とした雰囲気だとか。DIOという男を構成する要素にころっとやられ、ああ好きなのだなと、とてもとても真っ当に、あの男に恋をしたのだった。
それでも――いいやむしろ、だからこそ。
この世の何よりも美しく笑うDIOというものに思いを馳せ、奴の元を訪れる頻度は週に何度かから週の半分、そして最終的にはほぼ毎日にへと変わっていった。俺との接触で、DIOの内に何かが芽生えないものだろうかと。いいや俺こそが、あいつの空の精神を満たしてやれるのだと、傲慢な期待を携えて。そうした日々が、やがて俺だけの記憶になってしまう未来の到来などを、知る由もなく。

あれからそろそろ、2年近くが立とうとしている。
つい先日成人を迎えた俺の隣で、DIOは未だ空の精神を抱えたまま。
時間の止まってしまったDIOを置き去りに、月日は矢のごとく過ぎ去ってゆくばかりである。




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