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1XX歳にして旅人

『秒針は止まらない』の続きっぽい感じです





日本からの長旅から帰ってきてみれば、どこから侵入したのやら、寝室には滅多に会えないぼくの父がいた。小首を傾げてにんまりを笑ってみせる顔を見た瞬間に、怒涛のような脱力がやってくる。がくりと肩を落としたぼくを見て、父は、ろくでもない父親は、なにやら嬉しそうに口の端を吊り上げてみせたのだった。

「わざわざ日本にまで行ってきたのか。律儀な奴」
「……本来ならあなたが参列すべき式に、代わりにぼくが行ってきたようなものなのですが」
「あれの娘や友人共と肩を組みながら涙を流せって?冗談ではない」

窓枠に腰を下ろした父は、ケっと毒づきながらぷらぷら足をはためかせた。まるで拗ねた子供の仕草であるが、子供のような愛らしさはなく、満月を背に窓辺を独占するその姿はどこまでも尊大である。とても、最愛――であろう人を失くしたばかりの悲しみの気配などは、纏っちゃあいないのだった。
「死体などは、腐る前にさっさと土に埋めてしまえばいい。わざわざオーブンで焼かずとも、その内勝手に土に帰ってゆくのだろうに。葬式、葬式なぁ。ふふふ、なんともまあ、未練がましい集まりがあったものだ」
あまりに普段通りに振る舞う父を見ていれば、今も日本にはこんな父を許容し続ける承太郎さんが生きているような気にもなってくる。しかし実際ぼくはたった今彼の葬儀から帰って来たばかりであって、この両肩に降りかかる疲労はどうしようもなく現実のものであるのだった。
ソファーに身を沈め、軽く目を閉じる。このまま眠ってしまいたいものではあったが、どうにもそわそわと落ち着かない部分もあるもので、頭は中途半端に冴えていた。言ってしまえば、ぼくは父が気がかりなのである。この父にとっての承太郎さんの死をいうものは、一体どのような出来事であったのだろうかと。それはもう気になって気になって、仕方がなく。
「未練はないのですか」
「未練。わたしが?」
「愛していたのでしょう。彼のことを」
「恥ずかし気もなくまあ、お前という子は」
「もう『子』とか呼ばれる年じゃあありませんよ」
薄く目を開けてみれば、相変わらず窓辺の父はにやにやと笑っている。そうしてやはりぷらぷらと足を揺らしながら、その先端を見つめていた。俯いた顔に差す仄かな影に、拭いきれない悲しみが滲んでいるように見えるのは。決して、気のせいではないのだろう。決して、決して。

「わたしは生きている。この承太郎のいなくなった世界で生きている。それ自体がわたしの未練なのだろうな」

ぽつりと零した父の一言に、ぼくはぼくの予感が的中していたことを知る。そして、父が父なりの虚勢を張っていたことも。
怠惰に繰り返される呼吸と共に、笑みが漏れた。呼応するようにぼくを見た父は、苛立ったように形の良い眉を顰めた。
「なにやらハルノが、小憎らしい顔をしている」
「あなたによく似ているでしょう」
「なんということだ。言うことまで小憎らしい」
「だから、あなたに似ているでしょう。このぼくは」
「承太郎がいなくなって、わたしに不遜な口を利く輩もこの世から消えたものだと思ったものだがな。まさか我が息子が、こんなにも底意地の悪い物言いをする男になってしまうとは」
――だからあなたによく似ているでしょうが。
3度目の挑発文句を引込めて、ぼくは緩く足を組んだ。半目でじっとぼくを睨みつけていた父はやがてやれやれだぜ、なんてどこかの誰かの口真似を零しながら、これまた今度はぼくの真似をするように、放り出されていた長い脚を組んで見せた。水辺の子供のように足をばたつかせているよりも、そうしていっちょ前の大人ぶった振る舞いをしている方が、余程この父には似合っている。
「しかしまあ、忙しい忙しいとうるさいお前がわざわざ日本にまでなぁ。お前はあまり、あいつのことを好いてはいなかったのだろうに」
「いつの話ですか。というか別に、嫌っていたわけではありませんよ。あなたなんかよりずっと、尊敬の出来る人でした。充分好意に値する人でもありました」
「だというのに思春期ど真ん中の小僧だった頃のお前は、心のどこかであれのことを疎んじていたのだったな」
「あなた今、ついさっき小憎らしい小憎らしいとぶぅたれたぼくと似たような物言いをしているわけではありますが。どう思います、そこのところ」
「子供というものは、教えもせんのに親に似るものであるのだなと」
父はふふんと鼻を鳴らすように笑い、わざとらしく小首を傾げてみせた。悪びれる様子のない物言いは人の神経を逆撫でするものでしかないはずなのに、魔性ぶった笑顔を1つ寄越されるだけで許してしまいたくなってしまうというのがなんともまた、この父がとことんまでにずるい生き物だという証明のように思う。ぼくや、ついでにこの父を散々許してきたのだろう承太郎さんがちょろいだけである、という説もある。
「それであなた、これからどうするんです。行くあてはあるんですか」
「あると言えばあるし、ないと言えばない。なんというか、承太郎を失った瞬間に、わたしは驚くほど自由になってしまったようなのだ。ふふ、ふ、自由、自由、なぁ。この何十年かが自由ではなかったとは、まったく思っちゃいなかったのだが」
「それならしばらくこっちにいるといいですよ。あまり構ってやれませんけど、まあ、1人の方が丁度いいかもしれませんしね。これからのことを考えるには」
ぼくのこの如何ともしがたいファザー・コンプレックスを見抜いているようでいるくせ、結局は肝心なところで理解しきれていないこの父は、今だって少々深くなったぼくの眉間の皺には気付かずに、再び足を投げ出しぷらぷらと揺らし出す始末である。そうして少々、生温い春風が席巻する窓の外へ向かって背を反らせながら、ぼくを見ることなく嘯くのだ。

「――承太郎は、いなくなったわけではあるが。まあ、あれがいてもいなくても、わたしがわたしであることに変わりはない。好きに、生きるさ。お前が心配することなど何もない」

なんてことを、歌うように、軽やかに。
そうして時計の秒針が半周を終える程度の沈黙ののちに、父は勿体付けるようにぼくに視線を寄越し、やはりわざとらしく、金色の髪の先っぽを揺らしながら笑った。
反射的に、ぼくの内心へ押し寄せてきた感情の波があった。この春のように、とても暖かなものだ。ぼくはソファーに身を沈めたまま、窓辺の父に笑いかけた。

「――あなたは、十二分に満たされているのですね」
「――分かったような口を、利くものだ」

父の笑みが、苦笑に変わる。
白皙の美貌は初めて顔を合わせた20年足らず昔から翳りを見せる気配すらなく、世にひしめく有象無象全ての視線を独占せんがばかりに輝いているはずなのに。今この瞬間、ぼくの両目に映る父の笑顔には暴力的なカリスマの気配など存在せず、とてもありふれた、ありふれた幸せに満たされた、若く美しい男のそれであるようにしか見えないのだ。
父にこんな顔をさせるようになってしまった承太郎さんに、まったく思うところがないと言えば嘘になる。具体的に言えば、思春期のぼくが彼に抱いてならなかった嫉妬を少々、ぶりかえしているようだった。
けれどそれ以上に、ぼくは嬉しかったのだ。十二分に愛されてきたのだという父の幸福を、我がことのように喜んでしまっているのだった。だってほら、ぼくは『父親思い』な息子であるわけなので。
「あなたを見ていればわかります。承太郎さん、という最愛の人を得て、そして失ったあなたは、16歳のぼくが出会ったあなたよりもずっとずっと、綺麗になった」
「承太郎がいなくなった途端にわたしを口説き落とすつもりか。それは人倫に背く行為に当たるのではないか?ふふふ、なんとも不届きな男になってしまったことだろうな、お前は、ハルノ」
「だってあなたの息子です。まっとうな道徳を携えた男になど、なれるものですか」
赤い唇から鋭い牙を覗かせながら、父が笑う、笑う、柔らかに息を吐く。金の睫毛が、切なげに揺れていた。
「――わたしはな、ハルノ。しばらく、旅をしてみるつもりでいる。久々にな、世界中を。承太郎の半径10mで収束してしまっていたわたしの世界を、もっとこう、ワールドワイドにだな、広げ直さねばならんと思うのだ」
「……なんだ。なんだかんだであなた、もうさっさと身の振り方を決めてたんじゃあないですか」
「子供ではないのだ。生き方くらい、自分で決められる。まあわたしは、子供の時分から生き方に迷ったことなどないわけであるのだが!」
子供じみた笑顔と共に吐き捨てながら、父は立ちあがり、木製の床へと降り立った。しかしそれもつかの間、ぼくの方へ一歩すらも踏み出すことなくくるりと背を翻し、今の今まで座っていた窓枠に片足を乗せる。前傾気味になった姿勢が示す、父の次の行動は分かりきったものであった。ぼくは慌てて体を起こし、足早に窓際へと向かった。
「ではな、ハルノ。気が向いたらまた来てやろう。寂しいからと泣くなよ。子供のあやし方など知らんのだからな、このDIOは」
「だからもう子供なんかじゃあないって言っているでしょう。もうあなたと並んでも、誰も親子だって分かりませんよ」
「ふふ、時間は流れてゆくばかりであるのだなぁ、ハルノ」
「待ってください」
今にも窓から飛び出そうと、桟に添えられていた父の手を掴み、強引に引き寄せた。大した抵抗もなく父の体が反転する。慣性が働くままに、ぼくは父を抱き締めた。
――寂しいのは、あなたではないのか。泣きたいのもあなたではないのか。
咄嗟に父の耳元で零してしまった声は震えていた。やんわりとぼくの胸を押して顔を上げ、そうしてぼくに笑いかけた父は、仕方のない子だなぁと囁きながら、ぼくの目尻にキスをした。
「――DIO、父さん、」
「うむ、どうした」
「……あなたに会う為に旅をした承太郎さんは、最後の場所に自らが生まれた国を選びました。ぼくも、同じです。ぼくはこの国で生まれたわけではありませんが、ぼくの寄って立つ地はこの国なのです。だからぼくはあと数10年の時間をここで生きて、やがてここで死ぬのでしょう」
父の頬を両手で包む。青白い頬はその見目の通り、いつだってひんやりと冷えていた。薄情とすら感じる父の体温は、しかしぼくに多大なる安らぎを与えてくれるのだった。父がいる。ぼくの父さんがここに居て、ぼくはぼくの『唯一』であるその人に触れている。それだけのことが、写真の中の父に焦がれ続けていた『汐華初流乃』だったぼくを優しく救ってくれるのだ。

「ぼくは、ここにいます。だからまた、会いに来てください。ぼくだって承太郎さんと同じ有限の生き物だってことを、どうか忘れないでいて下さい。それだけの我儘くらいは聞いてくれてもいいでしょう、父さん、このぼくの、父さんよ」

泣いてはいない。泣いてはいないが、いっそ喚き散らしてみるのもいいんじゃあないかって気分になっている。それでもこの父の前では――DIOという人の前では格好つけていたいだなんていうつまらない呪縛が、ぼくを必死こいて親の愛を乞う子供にはさせてくれないのだった。

「我儘だというのなら、一生ぼくの隣にいて下さいだとか、毎朝あなたのキスで起こして下さいだとか、それくらいのことを言ってみればよいものを。安上がりな子供だなぁ、ハルノよ、ハルノ、未だ父離れができぬ我が息子よ」

だって父さん、そういう我儘を言ったって叶えてくれやしないでしょう。

そう反論しようと思った時には、父は既にぼくの腕の中にはいなかった。慌てて窓から身を乗り出してみれば、静まり返った夜の街を大股で進んでゆく人影がある。
父さん、と呼びかけた。月光に照らされたその人は振り返ることなく、ひらひらと手を振った。

「……、」

世界中の時を止めることの出来るあの人は、けれど止まった時間で世界を固定し続けることはできやしない。容赦のない時の流れというものは、承太郎さんという人を父の人生から押し流したように、やがてこのぼくをもその波間に浚っていってしまうのだろう。そうして、1人きりである。時間の止まった父だけが1人、この世界で月を見る。
果てのない永遠に思いを馳せた。いや、馳せようとした。だってたった30年と少ししか生きていないぼくが訳知り顔で語るには、永遠という時間は長すぎる。永遠という言葉の本当の意味を知ることができるのは、この先永遠の夜を1人生きてゆく父だけであるのだろう。

あなたが一等に幸せだった瞬間で時を止めることができたなら、どれほどまでに素晴らしいことであるのでしょう。どれほどまでに。

詮のない感傷ばかりが沸いて出て仕方がない。大体、あの父のことでこれほどまでに思い悩むこと自体が馬鹿げたことなのである。きっとあの人は、あと3ヶ月もしないうちにぼくの元を訪れては暇だ構えと喚きたて、我儘の限りを尽くしてどこかへ去ってゆくのだろう。あの人は、そういう人だ。――そういう人だと思わなけれは、あまりにもやりきれない。
シーツに身を投げ目を閉じる。心臓の裏にこびり付いた感傷を振り払うべく、ぼくは枕を抱えて転がった。







記憶こそが存在の証明であるというのなら、このDIOの記憶の中に留まり続けるのだろう承太郎という男は、図らずとも永遠の存在になったというわけなのだろう。ただ人よりもちょっとばかり強いスタンドを持っていたというだけの男がまあ、大した出世をしたものである。

『時間は止まっちゃあくれないんだぜ、DIO。お前が不老不死だろうがなんだろうが、1秒は1秒だ。俺は死んで、お前は生きる。生きてりゃ色んなことがあるだろうし、お前が心変わりしちまうってのもまったくおかしな話じゃあねぇ。だからまあ、1人寂しく老後を過ごすくらいなら、俺の代わりを見つけたって責めやしねぇよ』

わたしは承太郎の今際の瞬間などには立ち会っちゃいない。最後に顔を合わせたのは、言葉を交わしたのは、あいつが死ぬひと月ほど前のことだった。別に後悔などはしていない。今から死のうとしている男の顔を見て、一体何がどうなるというのだ。

『まあ精々一世紀程度を喪に服してくれりゃあ、俺はそれで……ん、なんかいつだったかにこういう話をしなかったか。覚えてるか、お前』

わたしの手を握る力は悲しくなる程弱々しいものであったし、月光に照らされた肌は過ぎ去った年月の分だけ枯れていた。忌々しく流れてゆく時間に若さを吸い取られた承太郎を、わたしはベッドの端の腰かけて、ただただじっと眺めることしかできなかった。時間は止まってはくれないのだ。時計を叩き割ったところで、たった数秒だけの時間を止めてみせたところで、時間は、時の流れというものは、一方通行に進んでゆくばかりなのだ。

『DIO、DIOよ。お前は地頭は悪かねぇし、やたらにタフなもんだから、俺がいなくたって上手くやっていけるんだろう。だからって離れがたい気持ちがなくなるわけでもねぇが、今更どうにもなりやしねぇからな。たまには俺って男がお前みたいなめんどくせー男と数10年ばかり一緒にいたんだぜ、ってことを思い出してくれればな、多分それで俺は、俺は――ああくそ、未練がましいことを言うつもりはなかったんだが』

仰向けに寝転んだ男の頬に手を添えて、触れるだけのキスをした。あれが最後のキスだった。承太郎は苦笑と共に未練が残っちまうようなことをするな、と零しながら、もう大した力は入っちゃいないのだろう2本の腕で、それでも奴なりに全力で、ぎゅっとわたしを抱き締めたのだった。

『DIO、愛してる』

ああ、知っている。

『お前の居場所になれたことが、嬉しかった』

ならばそれこそ永遠に、お前はわたしの居場所であり続けるべきだと思わんか。
承太郎。承太郎よ。



あの男はいつか――確か20年近く昔に交わした会話についてちらりと触れたものだったが、あの時わたしが100年の喪についてなんと返したのかということを、果たして覚えていたのだろうか。
永遠、永遠。わたしの永遠。承太郎を想い続けながら生きてゆくつもりである、あまりにも気の遠くなる時間の行く末。決して冗談で言ったわけではない。本当にそう生きてやるのも悪くはないと思ったのだ。だからそう宣言してやったというのに、きっとあの男は冗談だと思っていた。まったくどこまでも忌々しい、男である。

「――承太郎」

なんとはなしに零してみた、わたしを愛した男の名前。応える者はもういない。その寒々しさに足場が揺らぐ気配がして、わたしは慌てて上を向いた。煌々と輝く満月が占拠する、澄み渡った星空を。脳裏にぼんやりと蘇るのは、まだまだ若々しかった頃の承太郎と交わした、とりとめのない会話の記憶である。


『お前がわたしを離さんせいで、わたしの世界はお前の半径10mばかりで完結してしまっている。まったく図々しい男であるものだな、承太郎よ』
『なら旅にでもでりゃあいい。そしたら新しいもの好きのお前のことだ、俺にとって代わる世界の1つや2つ、さっさと見つけちまうんだろうぜ』
『それでいいのか、お前は』
『拗ねて言ってるんだよ。察しろよ、この馬鹿』
『ふふふ、ああは言ったものだがな、お前の束縛を心地のよいものだと感じているのだぞ、このDIOは!』


わたしは旅に出るぞ、承太郎。帰る場所を失くした男は旅人になるしかない。そういう哀れを、お前はわたしに植え付けた。


『――どこにでも飛んでっちまうんじゃあねぇぞ、DIO』


飛んで行かざるをえなくなったのだ、承太郎め。

「……、」

大きな月が空のずっとずっと高い場所で、1人になってしまったわたしを見下ろしている。たった1人の男との、たった数10年の思い出だけを胸に永遠を生きようとするわたしの滑稽を、嘲笑っているのかもしれなかった。腹の立つ球体である。それでも強烈に美しいのだということが、輪をかけて腹立たしい。わたしに月が美しいのだということを教えたのは、承太郎だ。承太郎という男と見上げる月は、いつだって美しかった。

――わたしはお前という男との記憶と永遠に寄り添い続けるよりも、もう一度、あの月を肴に一杯の酒を酌み交わしたかったものであるのだがなぁ。

どうだ。お前を愛するわたしはどうしようもなく健気だろう。100年の喪では、ただ永遠に記憶に留まり続けるというだけでは、決して満足できやしないだろう。
わたしはお前を愛している。恐らく永遠に、この感情は損なわれることはない。ああ、承太郎、承太郎よ!なんともまあ、安っぽいロマンスがあったものだとは思わんか!






承DIOの寿命に違いについて本気で考えてみた結果


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