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開けた視界には見慣れた天井が広がっている。電気は点いていないようで、ぼんやりと暗い。どうやら外では雨が降っているらしく、さあさあとした音が遠くで鳴っている。相変わらずカーテンが開けっ放しになった窓の向こうには、黒々とした雨雲が広がっていた。
「――……?」
さあ、さあ、さあ。決壊した雲から落ちる雨の音。
ぱた、ぱた、ぱた。風に吹かれた雫たちに窓が打ち付けられている音。
その、狭間。降りしきる雨音の隙間から、ざらりと耳を撫でる低音の、甘やかな歌声が聞こえる。耳に馴染みのない歌。英語。子守唄なのだろうか。ノスタルジックな、優しげな歌詞である。
「…………DIO?」
DIOの声である。そういう確信が、あった。エジプトでふんぞり返っていたDIOしか知らない奴は耳を疑うかもしれないが、俺だけは知っているのだ。このろくでもない吸血鬼がふとした瞬間に零す声が、年を追うごとに優しげなものになっているということを。
窓から視線を引き剥がして上を向く。すると途端に、ひんやりとした感触がぺたりと目元に張り付いた。心地の良い感触である。視界の外では、未だ子守唄が続いている。
「おい、DIO、おい」
「――、――、」
「DIO」
俺の両目を覆っているのだろう、DIOの掌を引き剥がす。そして首を上方向に傾げてみれば、そこには案の定楽しげに俺を見下ろすDIOがいた。どうやら俺はソファーの上で、こいつに膝枕をされているらしい。硬い腿の感触はお世辞にも寝心地がいいとは言えなかったが、離れがたい何かがある。寝そべったままに、DIOの頬へと手を伸ばす。DIOは無抵抗に、俺の掌を受け入れた。
「まだ寝ていればいいだろうに。せっかくこのDIOが、子守唄なぞを歌ってやっていたのだぞ」
「……じじいは?」
「ジョセフか?奴はこのDIOのことを、可愛い孫を誑かした巨悪であるのだと愚かな勘違いをしているものだから、滅多にここには寄り付かんのだろうに。まったく理不尽な話もあったものだとは思わんか、承太郎。先に手を出してきたのはお前だというのにな」
「人を誑かしといて何言ってやがるんだ、てめー」
赤い唇がにんまりと弧を描いている。親指の腹でそこへ触れると、DIOは戯れるように首を揺らした。
「お前は」
「ああ」
「お前は本当に、『ここ』にいるのか?」
「己の五感を疑い出したら世界が終わるぞ、承太郎。見たままを見たままに信じればいい。簡単なことではないか」
DIOの白い掌が、ゆっくりと俺の頭を撫でている。
「俺は――お前の体をかち割った」
「あったな、そういうことも」
「お前の破片を太陽の下に放り出して、粉々の灰にした」
「それはおかしいな、承太郎。だとすれば今お前の目の前にいるこのDIOは、幻だということになる」
「ならやっぱり俺は、そうはしなかったんだ。お前を生かしちまったもんだから、いつの間にか妙な情と繋がりが生まれて、果ては2人で生活をするところまで来てしまった。それでいいんだな、DIO」
「そんな現実こそがお前の幸せであるというのなら、そう信じていればいい」
「どっちだDIO。どっちが、本当なんだ」
「わたしに聞かれてもな」
ふっと笑みを零すDIOは、小馬鹿にするように俺の耳朶を引っ張った。痛みには程遠い、微かな刺激。眉を顰める俺を見て、心底愉快そうに笑うDIO。敵意も何もあったものではない。ただ他愛もない戯れと――恐らく愛情としか表現の仕様のない感情だけが、この雨の日のリビングいっぱいに満ちている。そういう日常を、もう何100日も過ごしてきた。
「DIO、嫌な夢を見た。お前がここにはいない夢だ。どうやら俺は、お前の体を割っただけでは飽き足らず灰に還してしまったらしい。馬鹿げた夢だろう、いいや、もしかするとそんな選択した俺もいたのかもしれないが、そんなのはとっくに終わった話だ。今更もしもの可能性を思い浮かべてみたって、この現実が変わってしまうわけもない。DIO、なあ、DIO。てめーは『ここ』に、いるんだろう。それこそが正しい俺の現実なんだろう。そうなんだろ、なあ、おい、DIO?」
「わたしに、聞かれてもな」
赤い唇からふふふ、と軽やかな息が漏れてゆく。真っ白の指先が、前髪の生え際を擽った。そうしてDIOはふっと目を伏せり、再び優しげな声で穏やかな子守唄を紡ぎ出すのだ。
衝動的に、俺は奴の頭を引き寄せた。そして柔らかな唇に、到底キスとは呼べない激しさで噛み付いた。DIOは抵抗しなかった。だからといって積極的に応えてくることもない。俺だけが、正体のわからない焦燥感にせっつかれるがままに一人から回っている。息切れと共に解放をしてやれば、DIOは腫れぼったくなった唇をぺろりと舐め上げ、濡れたそれでそっと、俺の額へとキスを落とした。
「なにを不安がっているのだろうなぁ、承太郎」
面白がっているようでもあり、呆れかえっているようでもある声である。そんな調子のまま、DIOは冗談めかしてやれやれだぜ、と付け足した。
「わたしはここにいて、お前だってここに居る。どうして、見たままのことを見たままに信じることができないのだ」
「分からないんだ」
「何が?」
「何が不安で、落ち着かないのか分からない。ただ死ぬほど不安になってるってことだけは確かなんだ」
「不安!承太郎が、不安がっている!ふふふ、お前もまだまだ図体だけがでかいガキであるのだな」
「DIO」
軽口に付き合ってやる余裕はなかった。我ながら呆れてしまうほど情けない声で呼びかければ、DIOは今度こそふっと呆れたように苦笑して、唇へ触れるだけのキスを寄越してくる。啄むように、数度。至近距離で、赤い瞳が俺だけを見つめている。
「そんなに不安ならその身で確かめればいいだろう。ほら、さっさと起きろ。するぞ、承太郎」
DIOは薄情なまでのぞんざいさで膝の上から俺の頭をどけ、ちゃくちゃくと服を脱いでゆく。惜しげなく晒された肌はどこもかしこも生白い。俺へと向かって寄越してきた笑顔は、意地の悪さが滲んではいるものの、やはりどうしようもなく『綺麗』であったのだ。――まるで、現実の生き物ではない。こんなに美しい『人間』を見たことはない。実際に、DIOは『人間』などではない。
ああ、だからこそ だからこそ、俺は

「承太郎」

一糸纏わぬDIOが、俺の胸元へ飛び込んでくる。深く抱きしめ、髪の中に鼻先を埋めた。微かな体温も、甘やかな香りも、俺がよく知るDIOのものだ。知っている。俺のDIOが、この腕の中にいる。
なのにどうして、胸の奥でざわつく不安は一向に立ち消えてくれないのだ。
ソファーの座面へ、DIOの背を押し付ける。小首を傾げて俺を見上げるDIOは、尚もにやにやと笑んでいた。三日月に歪む唇へと噛み付けば、今度はDIOも逆に俺を食らいつくさんがばかりの勢いで、激しいキスを寄越してきたのだった。


「――は、……っ、……!!」
2度目の絶頂をDIOの中で迎えると、限界まで押し広げられた淵から収まりきらなかった白濁が溢れだした。抱え上げた長い脚が痙攣するように震えている。真っ白だったはずの肌は、どこもかしこもが今にも蕩けてしまいそうに赤くなっていた。
DIOに負担を強いていることは分かっていた。自分の体ももうどうにもだるくて仕方がなく、限界がすぐそこまで来ていることにも気付いていた。それでもDIOの中へ押し込んだ性器は萎えることを知らず、また散々に凌辱した内壁も、より深く俺を誘うかのように収縮を続けている。
緩慢に、抽挿を再開させた。溢れた白濁がDIOの内股を伝い、ソファーカバーに染みを作る。DIOは口元に手の甲を押し付けながら、はあはあと息を切らしている。
「ふ……ぁ、あっ……あ……」
きつく閉ざされた両目の端から涙が零れ落ちている。濡れた眦にキスをしてみれば、DIOはもったいつけるように目を開き、柔らかく俺に笑いかけた。
「じょう、たろう」
そして、呼ぶ。これ以上ない親愛の情を乗せた、甘ったるい声で俺の名前を。
「わたしは、知っているぞ。お前のつまらない不安の正体など、ちゃんと、このDIOは知っている」
汗に濡れたDIOの両腕が、俺の首に絡みつく。そうしてすう、と息を吸ったDIOは、俺の不安とやらを語ろうとしている。得意げな顔で。咄嗟に俺は、奴の口を塞いでいた。唇を押し付けて、今か今かと発射の時を待っていたのだろう言葉たちを浚い出すように、突き入れた舌で口内の隅から隅までを貪った。気付けば下半身の結合部から発せられる音は大仰なものになっている。肩に担ぎ上げていたDIOの右足が、頼りなく揺れている。
「あ、あっ、ひ、ぁ、はぁ、ん、あ、あっ」
ずれた唇の隙間から甘い嬌声が漏れてゆく。流れては溢れる涙の膜で、赤い瞳はぐずぐずにとろけていた。
「は、ぁっ、あ……じょー、たろ、ぉ、あ、ふ、ぁ、あ」
震える白い掌が、滅茶苦茶に俺の髪を掻き乱す。ざわざわとした感触がたまらなかった。なので、もうただひたすらに腰を振った。とにかく俺はこの男が欲しいのだと、たったそれだけの欲求を昇華するべく、迸る情欲のままにDIOの体を抉ったのだ。
「あっ、あ、アぁ……――!!」
DIOが、その白い腹の上に精液をぶちまける。下腹部はひくひくと震えていて、美しい肉体を染め上げる仄かな熱の色は一段と深みを増していた。俺とのセックスで、DIOは感じているのだ、絶頂を極めたのだ。現実に於いて、この現実世界に於いて。――たった一回の絶頂では、未だこの行為が現実に行われていることだと信じきることができなかった。だから俺は、DIOを責め立てる。達したばかりでどこもかしこも敏感になっている体を抱き締めながら、愛しいはずのそれを酷く、見ようによっては強姦であるかのように手酷く、責め立てた。
「ひっ、や、やっ、は、ま、まだだめぇ、じょ、じょうたろっ、あ、あ、ぁ、ま、まて、待って、ああっ、あ……~~!!」
一際上擦ったDIOの声が、鼓膜を通してこの煮立った脳を蹴りつけてゆく。哀れを誘う声だった。俺ではない者がこの男にこんな声を出させようものならば、きっと俺はそいつをただではおいておかないのだろう。今に限っては、それは俺だ、俺なのだ。奥歯を噛んだ拍子に、口の中が切れた。鉄錆びた、血の味がする。
「お、おかしくなるぅ、ああっ、ひぅ、あっ、やめ、あっ、あああ!!」
「DIO……っ、いいか、DIO、DIOっ」
「いいっ、いいっ、よ、よすぎてぇ、ひ、し、しんじゃっ、あっ、ひぁあ……!!」
「DIO……!!!」
DIOはぎゅっと俺にしがみ付き、喘ぎながらぐずぐずと泣いている。耳元で繰り返される呼吸の熱さ、その箇所から俺を溶かしてしまいかねない確かな熱に、訳もなく泣きたくなった。俺もDIOの体に取り縋りながら、こめかみの奥からやってくる涙の気配を振り切るべく、一心に腰を振った。
「DIO、」
「じょーたろぉっ」
「っ、もっとだ、DIOっ」
「じょ、じょうたろ、」
「~~もっと、だ!」
「じょう、たろう!!」
ここにあるDIOの熱は確かに現実に存在するものだ。あいつが泣きながら繰り返している俺の名前だって、確かにこの鼓膜を打っている。DIOがここにいる、ここにいる。この現実が、幻でなどあるものか。だってこんなにも熱い、気持ちが良い、愛おしい。
「――DIO……!!」
DIOの体内に、3度目の精を放つ。その瞬間に頭の中の何か、辛うじて保たれていた意識の線のようなものがぷっつりと途切れた気配があって、俺は抱え込んだDIOの体ごと狭いソファーに倒れ込む。そして、DIOの腕に抱かれながら目を閉じる。くったりと力の抜けたDIOの掌が、それでも健気に俺の背を擦ってくれる感触が心地よかった。もう何も考えたくない。このままこの男の腕の中で、永遠の充足に浸っていたい。もう現実だ、幻だ――この男は吸血鬼だ、現実社会とは何の繋がりも持たない吸血鬼、しかも酷く気分屋で、俺との寿命も違う――そんな男と共に過ごす生温い日常などは、一体いつまで続いてくれるのか分かったものではないのだと、そういうことを考えるのはもう嫌だった、もう、嫌だ。

「――花京院は、死ななかった」

子守唄を歌っていた時と同じ調子の声で、DIOは軽やかに囁いた。
「アヴドゥルも、あの犬も死なず、ジョセフも一命を取り留めた。このうちの何かが欠けていたならば、お前はわたしを灰に還すのだろうな。しかし偶々、すべての条件が満たされていた。だからお前はそうしなかった。見てくれの割に優しい――いや、甘い男なのだ、空条、承太郎。お前は、お前はな。知っている、このDIOは」
DIOの声を聞いていたいのに、その口が語る言葉は聞きたくない。星の痣が刻まれた肩口に顔を埋め、中途半端な逃走を図った俺を、DIOはしょうがない子だと言わんばかりに優しく撫でた。

「つまりわたしとお前の縁というものは、沢山の偶然、或いは幸運が積み重なった先にようやく結ばれたものなのだ。そうやって成り立っている、脆い、あまりにも脆い縁である。その後のことにしたってそうだ。もしお前が強く私を引き取ると言わなければ、あのクソ忌々しい財団の許可が下りなければ、わたしが目覚めなければ、わたしが――お前に身柄を預けてみるのもそれはそれで面白いのかもしれないと、気まぐれを起こさなければ。わたしたちは、この雨の日のソファーの上には辿り着けなかった。
――ふふふ、わたしにとっての承太郎などは、間違っても親愛の情を抱くような相手ではなかったというのにな。ああ、いいや……そもそもわたしは口で言うほど、愛なる感情などは知らんのだ。最初はな、承太郎。お前があまりにも幸せそうな顔でわたしに『愛している』だとか口の腐るような言葉を囁くものだから、一体何がそんなに嬉しいのだとわたしも真似をしてみただけなのだ。そこに御大層な意味があったはずもない。ただそう繰り返すうちに、それをお前に向かって口にしていると大変愉快な気分になることに気が付いた。だから何度もわたしは、お前に愛を囁いた。ふふふ、実はこのDIOは、未だ愛なる言葉の意味を知らん」

俺に向かってそれを言うことが楽しかった、という気持ちそのものが、愛なる感情の正体なのではないか。DIOにそう教えてやろうと思ったが、結局気恥ずかしいのでやめにした。

「ああ、話が逸れてしまったな。まあ――あれだな、承太郎。わたしたちの繋がりとはその程度、その程度、ひとつ何かが掛け違えていたら結ばれることのなかった希薄な縁。なのに今ここにはわたしがいて、お前がいる。幾千もの可能性を切り捨てた末の、たった1つの奇跡がここにある。あまりに、現実味がない。幻と切り捨ててしまった方が、余程据わりがよい」

頭の奥が、ざわざわとさざめている。俺が、頭の奥底に仕舞い込んだ感情がとうとう氾濫を起こそうとしているのだ。それを押し止めるように、DIOは俺の頭を撫でる、撫でる。何度も何度も優しく撫で、そっと、後頭部の髪を引いた。顔を上げろと言われているのだ。嫌だ、と首を横に振った。すると今度は、たちどころに凶悪になったDIOの指先が、後ろ髪を引っこ抜く勢いで同じ個所を引っ張った。痛かった。観念して、顔を上げる。開けた視界には、穏やかに微笑むDIOがいた。赤い目に映る俺は酷く情けない顔をしていて、まるで迷子の子供のようだ。

「だからお前は、不安だったのだな。わたしとの繋がりが途切れてしまうのが怖かったのだろう。どうしようもなく馬鹿げているが、大変に可愛らしい。ふふ、承太郎、承太郎よ。そんなにわたしが好きなのか、承太郎よ」

戯れるように俺の髪を梳くDIOは、俺自身も確かな形にしたことのない俺の不安についてを、軽やかに歌い上げた。じっと俺を見つめる赤い瞳には、俺の何もかもを、例えばこの若さだとかのすべて許すつもりでいるかのような、似合わない包容力が滲んでいるように見えた。
促されるがままに頷いた。破顔したDIOは、俺の頭をぎゅうと胸元に抱き込んだ。

『――お前との関係などはなァ、わたしがちょいと心変わりをすればたちどころに切れてしまう程度の、死ぬほど薄っぺらい縁でしかないのだからな、承太郎よ!』

前々から胸の奥底に漂っていた不安がとうとう浮上してしまったのは、いつかのDIOとの会話がきっかけだったのだろう。俺の関心を引くために、DIOが零したその言葉。DIOにとってみれば大した意味はなかったのだろうその文句はしかし、しっかりと俺の精神に深刻な爪痕を刻みつけてしまったのだった。
だってそれは真実であったからだ。過去の出来事の何かに掛け違いが起こっていればそもそも結ばれることのなかった縁である。そしてこの先、何らかの重大な掛け違いが起こらないという保証はどこにもない。――俺とDIOがいつまで共に在れるのかということを、保障してくれるものは何もない。
「俺はな、DIO」
「ああ」
とんでもない奇跡の末に『今』がある。そう思えば思うだけ、もしかすると『そうならなかった世界』がどこかにあるのではないか、どこかの世界にはDIOを灰にした俺がいたのではないか――そんな、益体のないことばかりを考えてしまって、仕方がなかった。幸せなのだと。思えば、思うほどに。

「――幸せすぎるのが、怖かったんだ」
「――なんともまあ、幸せな悩みがあったものだ」

俺を抱きこむDIOの力がふっと緩む。上半身を起こしてみれば、そこにはやはり愛しげに俺を見つめるDIOがいる。衝動的にキスをした。応えてくれるように傾げられたDIOの首が愛おしかった。突っ込んだまま忘れっ放しになっていた性器へと、再び熱が集まるほどに。
「若いな」
「知ってるだろ」
笑い合いながら手を繋ぐ。10本の指をしっかりと、絡め合う。そうしてゆっくりと抽挿を再開させた。3度放った精のおかげで、そこは酷く滑りがいい。DIOも痛みの類はちっとも感じていないようで、ただ深く快楽に感じ入るようにうっとりと目を細めている。
「じょー、たろぉー」
嬌声交じりの、甘い甘い声である。
「ぁ、ふ、ふふ……もしこの現実が、ま、幻、で、あったとしたら……?」
「――嫌だ」
「~~あっ、あ、ぁあっ!?」
「嫌に、決まっている……!!」
「あ、ひぃっ、あ、ああっ、あ……――!!」
一際奥の奥へと突き入れれば、肉のぶつかる音がする。DIOの声が甘く上擦ってゆく。その勢いで、何度も何度も責め立てた。がたがたとソファーが揺れ、何度もDIOの体はずり落ちそうになる。そのたびに、繋いだ手を引き寄せた。もう二度と離れることがないのではないかというほどに、固く繋ぎ合った2つの手を。
「俺は、俺には――」
すぐそこまでやってきている絶頂の気配に追い立てられるよう、俺は喚くような声を絞り出した。

「――お前が、必要だ!必要になってしまった!だから消えるな、責任もって俺が死ぬまで傍にいろ、なにがあっても離れるな、お前はここに居る、ここにいる!」

見開かれたDIOの両目がぱちりと瞬く。

「――ならばしかと、わたしを抱き締めていることだ、承太郎!」

そうしてDIOは、笑った。得意げな顔である。あまりにも暖かな表情だった。――俺がよく知る、俺の日常に棲むDIOが浮かべる表情だった。
ああDIOだ、俺のDIOがここに居る。
そう酷く安堵をした瞬間に、全身から力が抜けてゆく。そして俺の意識は、電池が切れたかのようにぷちりと途切れたのだった。



気付けば俺は、いつかのエジプトの橋の上に立っていた。足元には縦半分に割れるように砕けたDIOの破片が転がっている。
17歳の記憶が蘇る。
俺は、ばらばらに千切れた吸血鬼の哀れに確かな同情を抱いたのだ。あの男が胸の内に抱えた飢えというものは、命をすり減らして何もかもがむき出しになるまで殴り合った自分にしか理解ができないものなのではないか。そんな気が、している。
あいつの餌になったのだという、顔も見たことのない人間の数々の無念に同調してやれるほど、俺はできた人間ではなかった。そこまで懐の広い男にはなれなかった。自分でも、ろくでもないとは思う。けれど俺は、端正な顔を正視できない邪悪に歪め、ほしいのだ、ほしいのだと渇望を訴える男の方が放っておけなかった。お前は望めば何でも手に入れることができるのだろうに、一体何があってそんなに飢えているのだと、一体お前は何が欲しいのだ、もしかするとお前は自分でも自分が何を欲しがっているのかということが、もう分からなくなっているのではないかと――
吸血鬼の破片の前で抱いたそんな感慨こそが、最終的に俺があいつに愛情なるものを抱くようになるまでの起点であったのだろう。放っておけなかったのだ。きっと、それだけのことだったのだ。
――ああ、俺はどうしてDIOに愛情を抱く羽目になったのか分からない、なんてことを考えていたものだったが、結局その答えはちゃんと俺の中にあったのではないか。こうして並べ立ててみれば、現実のどこにでもありふれた、つまらなくも愛おしい感情があっただけだったのではないか。
思わず笑みを零してみれば、どこか遠くから俺を嘲るように笑うDIOの声が聞こえたような気がした。




「――、」
夢から覚めると同時に、点けっ放しになっていたた蛍光灯の眩さに目が眩んだ。瞬きを繰り返せば、じっとりと涙が溢れてくる。不快な感覚である。
「おはよう、承太郎」
未だ寝起きで鈍い聴覚が、俺ではない他人の声を拾い上げる。億劫ではあったが、そちらへと顔を向けた。するとそこには、ゴミ袋を片手に持った花京院がいた。寝転びながら相手をするのもあれなので、体を起こす。どうやら俺は、リビングのフローリングの上に転がっていたらしい。どうりで背中が痛いはずだ。
「……どうしてお前がここに」
「え?」
「電話しても繋がらなかったじゃあねェか」
「さては寝惚けているな、承太郎。珍しいこともあるものだな。さっと顔洗ってきたら?」
くすくすと笑い声を漏らしながら、花京院はテーブルの上に広がったゴミを片っ端から袋の中に放りやってゆく。ほとんどが、酒のつまみの殻である。よくよく見てみれば、缶や瓶の類は整然とテーブルの端に並べられていた。
「…………」
どうやら眠る前は花京院と酒盛りをしていたようであるが、俺にそんな記憶はない。心配そうに俺を構うじじいを拒絶して、不貞寝を決め込んだはずなのだ。それに部屋だって、いつのまにか片付いている。いや、確かに酒盛りのあれやこれやで散らかってはいるのだが、眠る前は俺が蹴り倒したカラーボックスやら電話台やらで大変な有様になっていた筈で、しかしどこにもそんな痕跡は残っていない。
「……DIOは」
「DIO?」
がんがんと頭が痛い。酷く思考が鈍っている。今ならば、DIOなどはもうこの世に存在しないのだと聞かされても深く思い悩まずに済むのかもしれない。口が動くままに、俺は花京院に問いかけた。
「DIOはここに、いないのか」
「何を言ってるんだ、承太郎?いるわけが、ないじゃあないか」
絶望すらも、酷く鈍い。それでも、いくらかの虚脱感に襲われたことは確かである。背後のソファーにもたれ、息をついた。そんな俺を見て、花京院は呆れたように苦笑した。

「だって喧嘩してるんだろう、君たち。DIO、あいつ今君の実家にいるんだって?実家に帰らせてもらいますってやつ?君の実家がDIOの実家、ってのもなにか、おかしな話のような気がするけどね」

そうして花京院はまた、ぽいぽいとプラスチックのトレイをゴミ袋の中にしまってゆく。
「子機握り締めたまま寝るくらいなら、電話の一本くらいしてみればいいのに」
そんなことを言い残して、花京院はゴミ袋を引きずってどこかに消えた。数秒たったのちには玄関のドアが開閉する音が聞こえてくる。ゴミを捨てにでも行ったのだろうか。人の家のゴミを。知ってはいたが、変に律儀な男である。
「……」
手元に目を落とせば、確かにそこには電話の子機が握られている。5指の関節は酷く強張っていて、どうにも本当に一晩握りしめていたらしいということが分かる。少々悩んだ後に、6ケタの数字をプッシュした。そして耳に受話口を押し付ける。単調な呼び出し音が、数秒続く。前触れなくそれが途切れた拍子に、

『ん、ええと……そう、空条だ、空条。こちら、空条の家であるー』

何とも眠たげで投げやりな――DIOの、声が。この耳に、飛び込んできたのだった。

「DIO」
『……なんだ、わたしとの約束を破った承太郎ではないか』
呼びかけた途端に、DIOの声はよりぞんざいになり、なにやら敵意さえもが滲んですらいる。喧嘩をした記憶などはないので、DIOが何に腹を立てているのか分からない。が、どうせ何度も繰り返してきたありふれた喧嘩だ。俺がちゃんと足を使ってあいつを迎えに行ってやれば、なあなあのままに解決してしまうことなど知っている。
「ああ、悪かった。日が落ちたら迎えに行く。それまでちゃんと、大人しく寝てるんだぜ」
『またお前はそうやって、このDIOを小さな子供か何かのように!』
「おい、DIO」
『……なんだ、改まって』
電話の向こうでDIOが戸惑っている気配がする。そんなに改まった声を出したつもりはないのだが。苦笑しながら寝転がる。冷えたフローリングの感触が、心地よい。
「もしだ、もしもの話だ。お前と俺が、馬鹿馬鹿しくも愛情なんて繋がりを持ってしまったことが全くの幻であるとして、喧嘩したりだとか本屋に行ったりだとか、そういうのが本当は全部なかったことだったのだとしたら、お前はどうする。発狂の1つでもしてくれるのか」
『……半月ほど前にわたしが同じことを聞いた時には、貴様承太郎、デコぱっちんで誤魔化しやがったではないか』
「今は今で、半月前は半月前だ」
『……なにやら承太郎が、わたしのような口の利き方をしている……』
自分がろくでもないことを言っている自覚はあったのか。苦笑は深まってゆくばかりだった。
『――そうだなぁ』
ぼんやりとした声だった。きっとあいつも布団なり畳の上に寝転んで、だらだらと足を延ばしながら通話を続けているのだろう。
『別に、わたしはな、発狂などは。わたしとお前のあれやこれやが夢や幻であったとして、それが覚めてしまったということは、結局わたしには承太郎という男が必用がなかったというだけの話だ。いつまでも執着する価値もない』
声色は素っ気なく、言っている内容だってあまりにも薄情だ。なのにどうしたことか、耳を通じて伝わってくるのはどうしようもない、DIOからの親愛の情なのである。

『ただ――承太郎とわたしの間にあったことは、幻であってほしくはないとは思う』
ほら、見たことか。

「そうか」
『今のでわたしへの愛しさが募ったというのなら、早くわたしを迎えに来い』
「ああ。早めに行って、お前が起きるのを待ってる」
『それでいい』
「DIO」
『うん?』
「愛してる」
『知ってるぞ。わたしも愛している。ではな承太郎。今から寝る』
「ああ。おやすみ」
『ん』

通話を切ると同時に、シャワーだとか着替えだとか食事だとかの算段を立てながら立ちあがる。とにもかくにも、一刻も早くDIOの顔を見たかったのだ。
――きっとこれからも、俺の不安は昇華されない不安のままでこの胸に留まり続けるのだろう。けれどもう、あんな恐ろしい夢を見る羽目にはならないような気がしている。なんとなく、なんとなくではあるが――このDIOとの繋がりには、俺が思っていた以上の愛が溢れていたことを、知ったような気になってしまっているものだから。
俺次第だ。DIOが俺の元に留まり続けてくれるかどうかということは、結局は俺次第の話なのだ。ならば俺は、あいつが離れがたくなるような立派な男になればいい。――この現実世界に於いて、立派に身を立てればいい。
それだけの、たったそれだけの簡単なことを、どうしてもっと早く気付けなかったのだろう。愛というものは、時に人を馬鹿にする。そういうことを身をもって知れたということは、俺もちょっとは大人というものになれたということなのだろうか。








ああ見えてちょいちょい不安になったりもする割と年相応な若者の承太郎を、ああ見えて包容力とかがないこともないDIO様御年約120歳が子供だ子供だからかいながらも抱き締めてあげればいいんですよ


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