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非実在吸血鬼

「――、」
瞼を開いた途端、眩い朝日の光線に襲われる。カーテンが開きっぱなしになった窓から燦々と降り注いでいるようだった。狭い寝室が、隅から隅までがうっとおしい程に明るい。我が物顔の日照がどうにも傲慢で腹が立ったというか、或いは二度寝を決め込みたいだけなのかもしれないが、俺は太陽から逃れるように寝返りを打ち、眩い窓辺に背を向けた。
そこではたと脳裏にぼんやりと浮かんだのは、隣で寝ているはずのDIOである。
たちどころに目が覚めた。掛布団を跳ね飛ばし、1も2もなく窓辺へ向かう。そしてレールがいかれちまう勢いでカーテンを引き、日差しの一切を拒絶した。
DIOは、吸血鬼だ。太陽の日差しはあの男の体を粒の粒にまで崩してしまう。なので日照については、日頃から気を払っていたつもりだったのだ。だというのに、昨日の俺は一体何をしていたのだ、どうしてカーテンを引いていないのだ――押し寄せるのは多大なる後悔と、不安である。後ろを向くのが怖かった。灰になったDIOなどは想像したくもない。心臓が、張り裂けそうに高鳴っている。
そうして数秒、息がつまりそうな躊躇と共に振り返った寝台には果たして――

「……ああ……?」
DIOが寝ているわけでもなく、かといって灰の山が積まれているわけでもなく――俺が飛び出した寝台の有り様が、そっくりそのままに残っていたのだった。

しばし呆然としていれば、ドアを隔てた向こうのリビングから足音が聞こえてくる。次にはどっかりとソファーに腰を下ろす音。どうやら俺を放って1人さっさと寝室から脱出してしまっていたらしい。そこで漸く胸を撫で下ろすも――妙な違和感が寒気となって、背筋に張り付いている気配がある。
例えば、あれだけがっちりと抱き込んだまま寝ていたはずなのに、どうやってDIOは俺に一切気配を感じさせずに抜け出すことができたのだろうとか――先に起きたなら『わたしが起きているのだから承太郎もさっさと起きるべきだ』とかなんとか言いながら俺の肩を揺すったり鼻を摘まんだりしてくるあいつが、どうして今朝に限ってはそれをしなかったのだろうとか――
「……」
考えても仕方のないことである。床に落ちた布団を拾い上げ、その下から現れた服を適当に羽織った。そして、リビングへ――DIOがいるはずの、リビングへ、向かった。
「……おい、DIO……?お前、先に起きたんなら一言くらい……」
「おっそいお目覚めじゃのー、承太郎。寝る子は育つというが、それ以上育ってどうするっていうんじゃ、お前って奴は」
「…………じじい?」
「ん?」
そっとドアを開いた先にあるリビングで、俺を出迎えたのはDIOではなかった。湯気の立つマグカップを片手にした祖父が、鷹揚に笑いながら2人掛けのソファーのど真ん中を陣取っている。
「……いつからいた?」
「はあ?昨日からおっただろ」
「……そうだったか?」
そんな記憶は、ないのだが。
「わしより先にぼけんでくれよ、承太郎」
「……危ねぇかもしれねぇなぁ。マジでまったく覚えてねー」
「はは、寝ぼけとるんじゃろうなぁ。さっさと顔洗ってこい」
本当に、じじいがいつ家に来たのかという記憶がない。覚えはないのだが、ここにじじいがいるという事実は事実であるので――つまりは俺が、じじいの来訪というイベントを忘れているだけなのだろうか。――どうにも釈然としないのだが。
「……そういやなんか、静かだな」
蟹股に開かれた脚の側面を軽く蹴りつけてやれば、じじいはのっそりと端に寄り俺の座るスペースを開ける。遠慮なく腰を下ろす。2人分の体重に、ソファーがぎいと嫌な軋みを上げた。
「おお、言われてみればのう。昨日は夜中まで雨が降っとったんじゃがなぁ」
「……そうだったか?ああいや、そうじゃあなくてだな、じじいもあいつも、いつまでたっても顔合わせりゃ下らねー喧嘩しては騒ぐだろう。だから今日は珍しいなと思ってな」
「……あいつ?」
「――、」
じじいがきょとんとした顔で首を傾げた瞬間に、ぐにゃり、と現実が歪んだ気配がした。どこからかやってきた根拠のない不安が心拍数を早め、呼吸を浅くしてしまっている。見開かれた視界の中心で、じじいの口がゆっくりと動き出す。やめてくれ。やめてくれ。じじいが声を出すより早く、俺は早口で捲し立てた。
「DIOだよ、DIO。何回も言ってるだろ、別に俺は洗脳されたわけじゃあなくて自分であいつを選んだっつーのに、いやまあ誑かされたっつーのは否定しねぇが、それから先は俺が自分で、」
「――DIOだと!!?」
血相を変えたじじいが、立ち上がる。その拍子に傾いたマグカップからコーヒーが零れ、カーペットに濃い染みが広がってゆく。まるでこの頭の中をじわりじわりと侵食してゆく、得体の知れぬ真っ黒な絶望のように。3段ばかりトーンの落ちた狭い視界の中、片手で顔を覆ったじじいは俯きながら、唸るように呟いた。
「い――いや、そんなはずはない。あの悪鬼が再び復活を果たしただなどと、そんことがあるわけがない……」
悪鬼。復活。何の話だ。一体何の話をしているのだ。
「おい、さっきから何言ってやがるんだ?あいつならもう、何年も俺が面倒見てるだろ?一時期は、実家の方にもいた。お袋も知ってる」
今更、そんな言葉が出てくる必要はないはずだ。確かにあれは大変な悪鬼であったが、近頃はずいぶん棘が抜けてしまったもので、いい所ちょっとした悪魔の範囲に収まってしまっている。復活を果たしたのだって、随分昔の話だ。いいや、時間に直せば2年弱、昔と呼ぶには未だ真新しい出来事であるのかもしれないが、少なくとも俺にとってのあいつと過ごしてきた時間はあまりにも濃密で、本当はもっと昔からあいつと一緒にいたのではないかと勘違いをしてしまう程に、当たり前も当たり前な日常となっていたのである。いつの間にか、いつの間にか。

だから――DIOは、ここにいた、確かに俺の傍にいた。
今更主張するのも馬鹿らしくなる程の『現実』である、俺は、間違ったことを言っているつもりはない。

立ちあがって、真正面からじじいを見据える。もしかすると睨んですらいるのかもしれない。じじいは、不思議そうに瞬いた。その目の奥には、なにやら俺を労わっているらしい気配が漂っている。
「……何を言っとるんじゃ、承太郎?」
小さな子供の小さな間違いを正してやるかのような、優しげな声。
やめろ、やめてくれ。

「DIOはあの日、わしとお前で確かに灰に還したんじゃあないか――」

柔らかな陽光の差す朝のリビング、開け放たれた窓から吹き込む穏やかな風――ひらひらと揺れるモスグリーンのカーテンは、遮光用にするにはあまりにも薄く、頼りない。この部屋はまったく、DIOが生活を送るに適した環境ではない。
違和感に塗れた部屋の片隅で、ついに俺の膝は折れた。倒れ込むようにソファーに腰を下ろせば、承太郎、どうした承太郎と声を荒げたじじいが心の底から俺を案じている様子で、この顔を覗きこんでくる。見開かれた目に強張った頬。この、あまりにもみっともない俺の顔を。
そんな俺を指さして笑うDIOは、どうやらここにはいないようなのだ。




おかしなことを言っているのはお前だ、とうとうボケちまったのかくそじじい――咄嗟にそんな文句が出てこなかったのは、じじいのあまりに真剣な面だとか、現実として日光が燦々と降り注ぐリビングの有り様を見てだとか、いくつかの理由はある。決定的なとどめとなったのは、いつだって背中に寄り添うようにまとわりつくDIOの気配が一切感じ取れなくなったことだった。
DIO曰く、首の付け根の痣を通して引き合う因縁、俺とDIOの最初の繋がり。そいつのおかげでDIOの居場所はどこにいたって常々把握できていたものだし、傍に居ればひりつくような甘い痺れでDIOが『ここ』にいるのだという現実を強烈に実感できたものだった。顔も知らないじじいのじじい由来の繋がりだ、ということにはいささか、複雑な気分を覚えようものではあるのだが。しかし俺は、俺とDIOが確かに繋がっていることを証明してくれる星の形をした痣が、どうしようもなく愛おしかったのだ。
――今はもう、何も感じない。気付かないようにはしていたが、もしかするとDIOのいない寝室で目を覚ましたその瞬間から、世界中のどこからもDIOの存在を感じ取ることができないのだ。

『――DIO、さん?ええと……ううん、名前は聞いたことがある気はするんだけど……ごめんね承太郎、お母さんちょっと分からないわ。家に、その人が?そんなことあったかしら……?』

実家から帰ってきてみれば、散らばった衣服と家具で荒れに荒れたリビングが物々しく俺を出迎える。ソファーに寝転んで本を読むDIOの姿はない。おざなりな『おかえり』の一言もない。閉め忘れた窓の向こうには、巨大な赤い夕陽が浮かんでいる。

あれから1日。訝しがるじじいに部屋から出て行ってもらったのち、俺は部屋の隅から隅までをひっくり返し、DIOの痕跡を探した。
あいつが使っていたグラスや皿、未だ使い方が覚束ない箸、その内飲ませてやろうと思って戸棚の奥に隠しておいた、少々値が張ったワイン――跡形もなく存在しない。
近頃は適当に俺の服を拾って着ることが多くなってきたので、タンスの奥にしまいっぱなしになっていた、よく分からんセンスのあいつの服――そもそもそんなタンスすらも、どこにも見当たらない。
部屋中のあちこちで読み捨てられた本もなければ、あいつ用に買っておいた冷凍庫のアイスも見当たらなかった。いい加減『DIOがここにいないこと』を証明するのにも疲れ、コーヒーの染みの残るカーペットに座り込んだ頃合いには、外はすっかり夜になっていた。眠たげに目を擦りながら起き出してくるDIOがいなかったから、気付かなかったのだ。
昨日はそのまま、気絶をするように眠った。そして目が覚めると朝一で実家に戻り、そこでもDIOの痕跡を探してみたのだが、やはり何も見つけることはできなかった。お袋は、数ヶ月の間DIOが家にいたことを全く知らないようだった。
移動の途中に共通の知人――というのもなにかおかしな感じもするのだが、とりあえずDIOが俺の元にいることを知っている花京院にも連絡を取ってみた。しかし電話は繋がらなかった。それどころか受話口から流れてくるのは単調な呼び出し音ではなく、『この電話番号は現在使われていません』と繰り返す無機質な女の声だった。
何もかもが、おかしい。
俺を取り巻くすべては『DIOがここにいた』ことを全力で否定しに掛かってきているのに、俺の頭の中に焼付くDIOの記憶はあまりにも鮮烈だ。ソファーに仰向けに横たわり、目を閉じる。そうすれば、確かに『ここにいた』はずのDIOとの記憶は容易く目蓋の裏に浮かび上がるのだ。なのにここにDIOはいない、DIOは、いない。

『おい帰るのが遅いぞ承太郎。さっさと血を寄越せ腹が減った!』――これは確か、1ヶ月ほど前の玄関口でのこと。他、似たようなことが数えきれないほど。
『ふふふん、どうだどうだ承太郎、料理の腕も一流であるのだぞこのDIOは!さ、そこにひれ伏して涙を流しながら喜ぶがいい。そして今度の休みには、わたしを本屋に連れて行け』――これが2ヶ月半ほど前、やたらに豪勢な食事が並べられたテーブルの前でのこと。ちょいと見ただけでも果てしなく手が込んでいることが分かるのに、そうした食事を用意した見返りがただ『本屋に連れて行くこと』だったDIOを「なんだこいつ可愛い奴だな」と改めて思ったことを覚えている。
『承太郎!承太郎!水しか出てこないのだがっ!』――シャワーのぶっ壊れた浴室から、血相を変えたDIOがタオル一枚を肩に羽織って出てきたのが半月ほど前。
『承太郎、したい、するぞ』――そして夜も更けた頃合いに、欲情が塗りたくられた白い指先でDIOが俺の手首を掴んだのは――もう似たようなことがありすぎて、いつのことだったか覚えていない。

『わたしが愛しくてたまらんのか、承太郎?』
そうに違いない、なんて確信と共に投げかけられた、質問にもなっていない質問である。正直にはいそうです、と答えてやるのも癪なので黙り込んではみたものの、あんな沈黙などは肯定しているも同然だ。DIOのいやらしい笑顔は深まってゆくばかりだった。
『おかしな話もあったものだな、承太郎。わたしはお前のルーツたるジョナサン・ジョースターを殺したし、お前は一度わたしを殺した。なのにこの夜わたしはお前の腹の下で嬌声を上げ、お前はそれしかできぬ阿呆のように散々わたしの腹の中を犯し尽くした。しかも、同意の上での行為ときている。ふふふ、これはちょっとした狂気だぞ、承太郎。無から有が生まれてしまった。その上わたしたちは、いつ消えるともわからんそんなものを必死こいて維持しようとしている始末である。愛だ、愛。そんな、馬鹿馬鹿しい繋がりが生まれてしまった』
微睡みの気配が残る、どこか甘ったるい声である。思わせぶりな口調ではあるが、決して中身のあることを言っているわけではない。つまりはまともに取り合って、誑かされてやることほど馬鹿馬鹿しいことはないのだった。溜息と共に目を反らし、洗い立てのスウェットを手繰り寄せた。視界の端では、DIOが夢見がちに笑んでいた。
『なに気色悪いこと言ってんだ、てめーは。オラ、腕上げろ』
『んー』
蒸しタオルで拭ったばかりの体はどこかしこもがほんのりと赤い。何某かのよこしまな情動を引き摺り出される前に、くたびれた衣服を被せてその肌を隠してしまおうと試みた。しかし俺が健気にもせっせとDIOに着せようとしているのは、元をただせば俺が部屋着にしていたものだ。一旦そう思えば意識してしまって仕方がないもので、ぼんやりと満たされた征服欲に、俺はかっと赤面した。
『ん?何故赤くなる、承太郎。今更わたしの肌などは、見慣れたものだろうに』
小憎らしい面の額をぺしりと叩いてやれば、DIOはうりぃと呻きながら仰け反った。
『不安なのか?』
『なんのことだ』
『由来のねェ繋がりが消えちまうのが怖いんだと。そう聞こえたんだが』
みっともない赤面を誤魔化すために、DIOの戯言に乗ってやることにした。恨めし気に額を擦りながら、DIOは気だるげに呟いた。
『――もしもの話だ、承太郎』
『ああ』
『『お前とわたしがここに居る』。この現実が、まったくの幻であったとしたら――お前には、発狂するだけの可愛げがあるのだろうか』
『……はあ?』
きぃ、と小さくスプリングが鳴った。DIOがシーツに両手をついて、掬い上げるように俺の顔を見上げるのだ。相変わらず、うっとりと笑んでいた。
DIOのそうした態度にも、唐突な質問自体にも、据わりの悪いむず痒さを感じて仕方がなかった。愛だ恋だ繋がりだ、を語るには、恐らく俺はまだ若すぎるのだ。真面目に答えてやるのは、むしろそうしたことを考えること自体が気恥ずかしかったので、誤魔化すように目を反らしながら、DIOの頭を抱き込んだ。
『したらもクソも、現実は現実だ。お前がここに居て俺だってここに居る。どうやったって変わりようのねぇ事実なんだぜ』
『つまらんことしか言えん男だなぁ』
DIOが強引に俺の腕を振り払う。中途半端にめくれ上がった服の裾からは、仄かな熱の気配の冷めやらぬ白い肌が覗いていた。思わず飲み込んだ生唾の音を掻き消すように、それとなく裾を整えてやった。拗ねたようにそっぽを向いているDIOは、俺がじわじわとよこしまな情動を募らせていることに気付いていた様子はない。
『俺に妙な期待はするな。よし……ったく、服くらい自分で着ろよ、このぐうたら吸血鬼』
『だって承太郎は、わたしの世話を焼くことこそが至上の喜びである奴隷気質の変態なのではないか。だからわたしはだなぁ、あえてぐうたらを装って承太郎を喜ばせようと――うりぃっ!?』
『しおらしいこと言い出したと思ったらすぐこれだ。やれやれだぜ』
『その!額をぱっちんする攻撃はやたら腹が立つからもうするなと!何度も言っているだろうがこのDIOはッ』
『一々うるせぇなぁ』
指先で弾いてやったDIOの額は赤くなっていた。妙に間抜けで、滑稽で、やたらと愛おしかった。
『まったく!わたしはだな承太郎、お前がこのDIOと少しでも長く過ごしたいのであれば、もっとわたしを労われ、わたしに尽くせと言いたかったのだ!お前との関係などはなァ、わたしがちょいと心変わりをすればたちどころに切れてしまう程度の、死ぬほど薄っぺらい縁でしかないのだからな、承太郎よ!』
『――、』
思わせぶりな雰囲気を取り繕ってみたところで、結局DIOが訴えたかったのは『もっと自分を大事にしろ』ということでしかなかったのだろう。この半月ばかりはなにかと忙しく、少々DIOのことがないがしろになっていたことには気付いていた。毎朝瞼が半分下りた目を擦りながら『今日はいつ帰ってくるのか』と問いかけてきたDIOの声に、日毎に切実さが増していたことも知っていた。
けれど結局俺はDIOに構ってやる時間を惜しみ、いつだっておざなりな返事を残してDIOを置き去りに玄関を出るのだ。だってそんなのは今だけだ。ほんのしばらくの繁忙期が過ぎ去ってしまえば、何もかもが元に戻る。家に帰ればDIOがいて、会えなかった時間を埋め立てるように俺に絡んでくるあいつを、俺は少々のうっとおしさと多大なる愛しさを胸に抱きしめて――それから、それから、腹が減ったと喚けば血を寄越してやったり、風呂から上がったと言われれば髪を乾かしてやったりだとか、そういう、あまりにも平和な日常が待っていることを知っていた。俺があいつを大事にしたいと思っていて、あいつが俺の傍に居たいと思ってくれている限り、そうした日常はどこまでも続いてゆくのだということも。
当たり前に、当たり前に。

『分かっているのか承太郎!』

――あたり、まえに。

『だから――必死こいて維持しようとしてるんじゃあねぇのか、俺も、お前も』

考えるより先に、口が動いていた。言葉だけでは足りない分を補うべく、無防備なDIOを抱き寄せて、よれたシーツに転がった。大げさにスプリングが軋んだ、DIOが戸惑ったように息を詰めた、静まり返った夜に、俺の心臓の音だけが場違いにうるさかった。なにやら世界から見放されたような気分になって、俺は一心にDIOを抱き締めた。つむじの辺りにキスをしてやれば、DIOはうりぃと呻きながらむずがるように首を振った。
『……承太郎という男は、なにやらときたま、酷くずるいことを言うな』
『下らん話はいいから、さっさと寝るぞ。明日も早ぇんだ』
DIOの額を胸元に押し付けた。抵抗はない。
『承太郎』
『なんだ』
『多分わたしは、お前を愛している』
『なにが多分だ、馬鹿』
『本当だぞ』
ごそごそと顔を上げたDIOが、上目で俺を見つめていた。瞬間俺の頭の中で爆発したDIOへの愛しさは、深い溜息としてこの口から漏れていった。
DIO、ああ、DIOよ。お前とくればあの手この手でひとの腸を混ぜくりかえしてゆくくせに、時たま見せるその、お前の為ならなんだってしたくなるような可愛げは何なのだ。それでお前の傍若無人の全てが帳消しになると思っていやがるのか馬鹿野郎、なっちまうんだよ馬鹿野郎。
『……疑ってるわけじゃあねェよ、ああ、ったく』
『おい苦しいぞ承太郎』
腕枕の要領で奴の首の下に回した腕で金の頭を抱き込んで、もう片方の腕で広い背中を抱き寄せた。DIOの指先は、くいくいと俺の服の裾を引いていた。もっとしろ、と言っているのだ。なのでより一層の力を込めて抱き締めてやれば、DIOは満足げにうりうりと俺の胸元に額を押し付けた。
DIOが求めていることなどは、今更言葉にされなくても理解ができる。どれだけの時間を共に過ごしてきたと思っているのだ。どれだけの時間をかけて、そういう関係を築いてきたと思っているのだ。この現実世界に於いて、俺とDIOが、どれほどまでに。
『そりゃあ、幻なんかじゃあなくて現実だからな。抱きしめられりゃあ苦しい思いもするだろう』
『お、もしや承太郎、わたしのいじらしさが爆発した今の流れにきゅううんときてしまったのだな?ふふ、可愛い奴!』
『うっせぇ黙れ』
抱き込んだ金髪を掌で乱してやれば、DIOは仕返しをするように俺の脛を蹴りつけた。痛くはなかった。じゃれられているだけなのだ。俺たちがただ血脈の因縁で繋がっているというだけの間柄でしかなかったのも、DIOが俺を殺しに掛かってきたのも、俺だって本気でDIOを××すつもりでいたのだって、とっくに昔の話である。もう俺たちが血を血で洗う命の取り合いをすることなど二度とない、そんな必要はどこにもない。
そういう――現実だ。
俺がここに居て、DIOもここに居てくれる。それだけの事実があれば充分ではないか、他に何が必要だというのだ。先の保障などはなくとも何も、何も、問題はない。
俺の現実には、DIOがいる。

――ベッドの中でそうした会話を交わしたのは、一体いつのことだったのだろうか。


どれだけ記憶を手繰り寄せようとも、現実この世界にDIOはいない。寝返りを打ってクッションに顔を埋めれば、どっとやってきた疲労感に全身が重くなる。もう何も考えたくはなかった、なにも。考えれば考えるほどに、DIOの存在が希薄になっていくような気がしてならなかったのだ。

「――承太郎、おい、承太郎」

リビングのドアが開く音と、重い足音。労わるように呼びかけられた俺の名前。誰がそこにいるのかなんて、顔を上げなくても分かっている。沈み込むように、一層深くクッションに額を擦り付ける。そいつは、まっすぐ俺を目指してやってくる。
「なんじゃこの有り様は」
「ちょいと、探し物をしていただけだ」
「ホリィも心配しておったぞ。おい、何か食ったのか、承太郎」
「腹が減らない」
「承太郎」
隣に立ったじじいはきっと、途方に暮れたような顔をして俺を見下ろしているのだろう。心配をさせてしまって申し訳ないという気持ちはあった。しかし、もう顔を上げる気力もない。
「――あの日、エジプトで」
「ああ」
「一体何があった。俺は何をしたっていうんだ」
「お前は――お前こそが、我らが血脈の宿敵であるDIOにとどめを刺し、太陽のもとに引き摺り出して灰にした。……本当に覚えとらんのか、承太郎」
「…………」
当たり前のことのように言ってのけられれば、本当にそういう出来事があったような気分にもなってくる。実際、俺がDIOの体を縦半分に断ち割ってやったのは現実にあったことなのだ。それから俺は、半分に別れたDIOの体を財団の施設に運び込み、それからなんとはなしに毎日様子を見に行って、気付けば目覚めたあいつを引き取る羽目になっていて、それから、それから――ああ、駄目だ。なんだというのだ、この違和感は。
DIOを灰にしなかった所までは、まだ分かる。簡単に死なせるよりも、生きて償わせる方がこいつにとってはしんどいことなのだろうと思ったのだろう。自分にそういうところがあるのは分かっている。しかし、それから先だ。何故、眠りこけるあいつの顔を毎日毎日見に行く必要があったのだ?どうして、家に連れて帰らなければならなかった?なにがどうあって――同性であるあの男との間に、愛情なんてものが生まれてしまったのだ。
――俺はDIOを倒して綺麗さっぱり灰にした。一言でそうまとめてしまった方が、聞こえも良く納得も出来るのではないか。なげやりに、そう思う。もうだるい。
「承太郎」
じじいが俺を呼んでいる。
「ひと眠りしたらなにか食いに行かんか」
ああ、ああ、分かったから、今は少し寝かせてくれ。

「おやすみ、承太郎」
ああ――おやすみ。







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