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1991/04/03

「……む」
「……お」
新生活へ向けた荷造りも済み、一先ず眠る前に風呂に入ってしまおうと部屋から出た承太郎が、廊下で鉢合わせをしたのはDIOだった。承太郎の着古したジャージを身にまとい、濡れた髪をガシガシと拭っている。どうやら風呂から上がってきたばかりであるらしい。目が合った瞬間、2人の間に流れたのは如何ともしがたい、気まずい空気である。承太郎の緑の瞳は咄嗟にあさっての方向へ逸れてゆき、DIOの赤い瞳は所在無く泳いでいた。
「空いたぞ、風呂」
「ああ、今から行くところだった」
「入浴剤がなくなった」
「俺じゃあなくてお袋に言ってくれ」
目が合わない。
「お前、どうするんだ、これから」
「……これから?」
「これから――っつうのはつまり……そう、朝までだ」
承太郎の視界の外で、DIOの肩が3ミリばかり、がくりと下がる。承太郎は、気付かない。
「どうもなにも、いつも通り適当に過ごすつもりだが」
「ああ……そうか」
そしてDIOの視界の外では、承太郎の太い眉毛がもどかし気に顰められている。ついに首ごとふいとそっぽを向いてしまったDIOには、その表情筋の動きに乗せられた感情の機微などは全く察せたものではない。
「そ――それだけか」
「そ――そうだな、それだけだ」
「それじゃあわたしは、部屋に戻るが」
「ああ、ちゃんと暖かくしてろよ。湯冷めするんじゃあねぇぞ」
「う、うむ……まだ少々、冷えるからな……」
「ああ、そうだ……」
「うむ……」
DIOはぎこちなく、横目で承太郎を窺った。時を同じく承太郎も、目線の動きだけでDIOを見る。ぱちり、と音を立てて視線がぶつかった瞬間に、DIOは着込んだジャージの袖口を握り、承太郎は、右手の親指を握りしめた。そして、互いの瞳を見つめ合う。双方眼輪筋がぴくぴくと震えている。傍から見ればでかい男2人がメンチを切り合っている光景でしかなかったが、本人たちの胸中を席巻する感情とくれば、それはもう泣きたくなるほどに切実なものだったのである。

「(――言え!言え!!俺について来いと言え!!むしろわたしの手を引っ張って連れて行け!!俺にはてめーが必要だと、死ぬまで俺の傍にいろと!!言え!叫べ!!このわたしを力ずくで承太郎だけのDIOにしてみせろ!!わたしを求めろ承太郎!!!)」
「(――言え!!言っちまえ!!わたしを連れて行け、このDIOを置いていくつもりか大馬鹿者、だとかなんとか、泣きながら喚いてみろ!!お前の人生をわたしに寄越せくらいのことを言ってみろ!!わたしには承太郎が必要なのだと!)」

さながら肉食獣の睨み合いである。がるがると牙を剥かんばかりにガンを飛ばし合う2人ではあるが、互いの根底にあるのはつまり、ただただ恋をした男に必要とされたいというだけの、やたらと健気な感情だ。
しかし言えなかった。承太郎にしてもDIOにしてみても、初対面のエジプトを皮切りに数えきれないほどの喧嘩、そして互いの人格を貶めるまでの罵り合いをしてきた相手に今更甘ったるい愛を囁くには、生まれ持った自尊心があまりに巨大すぎたのだ。
承太郎は明日、これから12時間も経たない未来に空条の家を去り、いくらか離れた土地で独り暮らしを始めることになっている。DIOは承太郎の出発から2日遅れ、アメリカのSPW財団の研究室へと送られる予定である。1年近く前、スタンドはおろか吸血鬼としての力さえも殆どを失ってしまったDIOを、半ば押し付けられるようにして引き取ったことから始まった共同生活は、承太郎の進学というどうしようもない理由によって明日、あっさりと終わりを迎えようとしているのだった。

「(DIO――DIO……!ああくそッ、好きだ、好きでたまらん、なんだこいつ!!)」
DIOの先々のことについての不安は、承太郎にはない。承太郎が進学をするのなら、とDIOを引き取ることを申し出てきたのは研究所の方からだった。1年前、持て余したDIOを押し付けてしまったことの罪滅ぼしのつもりらしい。DIOが妙な実験に付き合わされる羽目になるのでは、なんて不安もないではなかったが、向こうには祖父のジョセフがいる。DIOの移送が決まってからは、あいつをよろしく頼むと頭を下げて頼みこんでみたりもした。祖父はきっと、DIOを悪いようにはしないだろう。
だから、不安はない、心配もない。離れがたいと思うのは、ただただ承太郎の気持ちの問題だ。
それでも言えなかったのだ。俺について来い。その一言で承太郎の煩悶は一応の終着を迎えるし、DIOの焦燥感だって解消される。なのにどうしても言えなかった。承太郎の頭から爪先までを満たすDIOへの恋慕は、あまりにも重すぎた。軽々しくDIOを求めることを許さぬほどに、途方もなく重苦しい。
――同性で、それも人間でない相手へ抱くこの恋慕は、他ならぬ自分の中から生まれたものであるのだと。
道ならぬ恋、なるものに該当する感情をすっと認められない程度には、承太郎も健全な青年だ。それでも煩悶するなりに、DIOが必死こいて自分を求めてくれたなら、それを言い訳にDIOの手を取ることはできるような気はしているのだ。しかし能動的にその手を掴み上げることには躊躇があったし、加えてどうしようもなく、怖かった。拒絶をされて、自尊心を傷つけられるのが怖かった。DIOとの間にようやくできた、生暖かく穏やかな繋がりを、壊してしまうことが怖かった。ここで別れてしまえばもう2度とDIOの手を掴む機会などはやってこないかもしれないと察していても、二十歳を目前に控えた青年である承太郎にはどうしても、一歩先にあるかも分からない幸福へと爪先を踏み出すことができなかったのだ。

「(承太郎……!くそ、くそっ、どうしてわたしは、こんな男が、こんなにも、こんなにも!!)」
身の丈に合わない恋慕にもんどりを打つのはDIOも同じである。普段の調子で『わたしを連れて行け』、『貴様は死ぬまでわたしの面倒を見るべきだ』、そう承太郎に指を突きつけてやれないほどに、DIOが承太郎に抱く感情だって果てしなく重々しい。
承太郎が空条の家から出ることが決まってからのこの1ヶ月弱、美貌の吸血鬼の胸の内では『承太郎がいなくなる、どうしよう、どうしよう!』なんて頼りない煩悶が行き場なくぐるぐると巡り続けている。こんなにも、他人を求めたことなどなかった。かつてジョナサン・ジョースターに抱いた、相手を食い尽くさねば気が済まぬなどという執着とは全く違ったのだ。ただただ、一緒にいたいのだと。執着未満の、生温い、慕情である。
取るに足らない人間相手にそうした感情を抱いてしまった己を、DIOは恥じた。言葉になどできたものではなかった。承太郎によって変わってしまう自分というものが許せなかったし、変わってしまうことが恐ろしかった。だから言えない。連れて行けなど死んでも言えない。自分から承太郎を求めることなど、100余年を掛けて築かれた自尊心が許さない。
けれど承太郎が、どうしてもというのなら。どうしてもこのDIOが欲しいのだというのなら、その時は、仕方がないからその手を取ってやろう、承太郎がどうしてもって言うなら仕方なく、だからわたしを欲しがれ、求めるのだ承太郎――尊大にもほどがある態度の裏で、DIOはずっと、承太郎から伸ばされる手を待っていたのだった。

「じょ……承太郎……」
「……DIO……」
承太郎も、DIOも、知らなかった。自分の感情の処理に必死になって、相手が自分をどれほどまでに思っているのか、自分はどれほどまでに求められているのかということを、知らなかった。
せめて、出会いがもう少し平凡なものであったのならよかったのかもしれない。
もしくはどちらかの自尊心が、もう1メモリ分ほど小さなものであったのなら。
或いは互いに『他人を真剣に愛した』経験というものがあったなら、何かを察せるだけの余裕が持てたのかもしれない――今更、どうにもならないことばかりである。
未だ本気の愛なるものに遭遇したことのない10代の青年と、愛なるものを拒絶してここまできた1世紀の吸血鬼は、心臓が焦げ落ちんばかりの感情への処方を知らなかった。その結果が、草原で対峙するジャガーの如く牙を剥いて睨み合う裏で、『察せ!察せ!』と絶叫を続ける日々である。酷く、不器用に。
こくり、とDIOの喉が上下する。つられて承太郎も、音を立てて生唾を飲み込んだ。そして睨み合う。察せ、察してくれ、わたしは俺はお前が好きでたまらんのだと、細めた両目で訴えかける。木目の床に縛り付けられたかのように、2人は動かない、動けなかった。時計の音さえ聞こえない静寂の世界では、衣擦れの音たった一つが大音響となり空気を揺らし、現実を震わせに掛かってくる。つまりは変化である。DIOも、承太郎も、何よりも変化という現象を恐れている。関係が変わってしまうことを。自分自身が変わってしまうことを、それはもうとてつもなく。
そうして、永遠と思える時間――現実には1分程度がたった頃合いである。

「――承太郎、承太郎ー?お風呂、入ったの?まだ?お母さん先に入っちゃってもいいのー?」

DIOの背後、廊下のずっと向こうから聞こえてきたホリィの声に、停滞した世界の時計は急速に動き始めたのだった。
目を見開いたDIOが、ぎこちなく笑う。ひるむように喉を鳴らした承太郎が、おざなりに口の端を持ち上げる。互いの情けない表情を揶揄する余裕などは皆無である。再びホリィの「承太郎ー?」という声が聞こえた瞬間、2人の肩がびくりと跳ねる。そして、

「~~そっ――それでは、わたしは、部屋に戻ろうと思うのだが!構わんのだな、承太郎!!?」
「っ、俺ももういい加減寝ないとやべぇから、風呂行くが、いいんだな、DIO!?」
「いいもなにも!子供はさっさと風呂に入って寝るものだ!ではな承太郎、おやすみ!」
「子供扱いするんじゃあねぇよ、じじい!ああ、おやすみ!!」

おやすみ、おやすみと怒号のような声を飛ばし合いながらゆっくりとすれ違い、一瞬視線を交わらせたのちに、見計らったような同じタイミングで廊下の反対方向に駆けていったのだった。


これが承太郎とDIOの記憶のよるところの、1990年代における2人の最後の会話である。





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