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1991/04/05

「わたしは、本当は、アメリカに行きたくない」
「……はあ?」
「だから、わたしが行きたいのはアメリカなんぞのクソ研究所などではなく、承太郎がこれから生活するのだろう、狭っ苦しいアパートだったのだ、とこのDIOは、このDIOはー!」
「おい無茶するなじじい咽るぞ!」
「ぐぁっぼぁ!!」
「ほれ言わんこっちゃない!!」
勢いよく気管に侵入したビールにDIOが咽る。ごふごふとえづくDIOの背を叩くように撫でてやりながら、ジョセフはオウジーザス、とぐったりした顔で天を仰いだのだった。
その内はあはあと零される荒い息と共に、DIOは気だるげにジョセフを見る。真っ赤な頬に、潤んだ瞳。化け物じみた美貌には、なにやら男の下半身に優しくない表情が張り付けられている。これは酔っ払いだ、今さっきも盛大にビールを噴出した大馬鹿者だ、と脳裏で冷静に唱えてみるも、勝手に上がってゆく心拍数に歯止めをかけることはできなかった。目の前のDIOの如何ともしがたいいやらしさが死ぬほど、本当に死ぬほど苛立たしかったので、ジョセフは適当に引っ掴んだタオルをDIOの顔へと押し付ける。ふげっと情けない声を漏らしながら、DIOは慣性が働くままころりと畳に転がった。
「なにをするこの老いぼれ!」
「いいからそのみっともない顔を拭け死にぞこない!」
「むっ、おいおい顔が赤いじゃあないかジョセフゥ!なにか!貴様あれか!このDIOにむらっときたのかいやらしんぼめ!いい年こいてお盛んなことだなぁクソ老いぼっぅううWRYYYY!!?」
「いい!から!さっさと!顔を!拭け!と言っとるんじゃ!!みっともないったらありゃせんわ!!」
「むぐっ、ゃ、やめ、ぁふぅっ」
「変な声出すなエロじじい!!」
「エロいことを想像する方がエロいのだぞえろじじっふぐぅぅぅ!!」
拭う。拭う。ひたすらに拭う。最早汗も涙もビールの残滓もすべて綺麗に拭われてしまっていたのだが、ジョセフの手は止まらなかった。日頃の鬱憤を晴らす、という意味は大いにあった。加えて本日4月5日、アメリカへの出発を翌日に控え、なにやらヤケ酒に勤しんでいるDIOは5分に1度心配になってしまう程無防備で、そしてそうした心配などは3秒後に跡形もなく吹き飛ばしてしまう程に憎ったらしいったらなかったのだ。
「ぅ……うぐぅぅ……じょ、じょせふに汚された……乱暴された……殺してやる一滴たりとも残さず血を吸い尽くしてくれるぅ……」
ジョセフの気が一応は済んだ後、タオルの下から現れたDIOの頬や目元にはうっすらと紅が差していて、なにやら暴行前よりも数段卑猥である。このクソ淫魔。しゃっくりと共に湧き上がってきた一言を飲み下し、ジョセフはぺしりとDIOの額を叩く。そして座椅子に座り直し、缶に半分ほど残った少々ぬるいビールを一息に呷ったのだった。
「ジョセフ。おいくそじじい」
「なんじゃくそじじい」
「わたしにも1本寄越せ」
「飲みすぎじゃ。明日は長距離の移動もある。そん辺でやめとくのが賢い選択、っちゅうもんじゃ」
「知るか飲むぞわたしは飲むぞ!酒っ!飲まずにはいられない!!」
「ああ~……ったくこの大馬鹿者め」
ぷし、と勢いよくプルタブを起こした缶ビールを、DIOは喉を鳴らしながらぐびぐびと嚥下してゆく。ヤケ以外の何ものでもない。ジョセフの呆れかえった視線などは、知ったことではないのだろう。
「……承太郎と一緒に出ていきたかったなら、連れて行けとでも言えばよかったのだろうに」
クラッカーを齧りながら呟かれたジョセフの声は平坦なようでいて、よく聞けばその実DIOへの労り、或いは憐みのような色が滲んでいる。腹ばいに寝そべったまま、DIOはじっとジョセフを見る。その視線は鋭かった。
「言えって?頼み込めと?お前と一緒にいたいから、どうかわたしを連れて行ってはくれないかと、このDIOが?ふん、冗談ではない」
「じゃ、お前が後悔しながらヤケ酒をかっ食らう羽目になったこの結末は必然だったのだ~ってわけなんじゃな。おめでとさん、くそじじい。どうやらお前は、己の意志を貫き通せたようじゃあないか」
「……」
「おい、睨むなよ」
「……ぅぅぅ……」
「……ん?おい……DIO?」
「ぅぅうう……ううううー!!」
「ゥイッチッ!!?」
神速で繰り出されたDIOの正拳突きが、ジョセフの太腿にめり込んだ。
「なっ――ぁにをするんじゃあこのろくでなし!!年よりは大切にするもんだ!!」
「うるさいわたしのほうが半世紀年上だくそジョセフ!わたしは、このDIOは……ぅぅうううー!!」
「おいやめろくそじじい!また咽たいのかお前は!!」
「ごへっ!!」
「そら見たことか!!」
開けたての缶がDIOの口元で天を突かんばかりの高度に傾げられた数秒後、予定調和のようにDIOは咽た。はくはくと上下する背中を、今度は叩くように、ではなく本当にばんばんと叩いてやりながら、やはりジョセフは途方に暮れる。――どうしようこの酔っ払い死ぬほど面倒くさい。とは思えども、この厄介者の世話を可愛いホリィに丸投げできるわけもない。こんなことならわざわざ迎えに来てやるのではなかった、と遅れた後悔を胸に、ジョセフは手元のビールをぐいと呷った。
「わ……わたしは……わたしはだな……!」
「無理して喋るなよ」
「どうやらあれを、承太郎をっ、わたしにとって『特別』の存在であると定めてしまっているようで……!」
「涎拭け、涎」
「きっとわたしは、わたしは、あれのことが、す、す、す、す、すす、すぅ、す!!」
「き」
「そうっ、それだ、それなのだ!くっそ忌々しいことに、わたしはあの男にそうした感情を抱いてしまっているようなのだ!こんなにも!こんなにも腹の立つ話が、あったものだろうか!あれはわたしの中から、わたしには全く必要ではない感情を無遠慮に引き摺り出した!しかし、それだけだ!わたしにいらぬ煩悶を与えるだけ与えて、さっさとどこかへ消えてしまった!」
「あーあー人の可愛い孫をあれあれ言わんでくれ。そしてわしはお前の事情なんぞにはとんと興味がない!ほら、水だ、水。そろそろこっちにしておくべきじゃ、酔っ払いめ」
くったりと持ち上がったDIOの顔は、口の端から垂れる唾液、じんわりと目元を濡らす涙でぐずぐずに蕩けてしまっている。やはりどうしようもなく、いやらしいのだった。またも乱暴に顔を拭ってやりながら、ジョセフはミネラルウォーターのペットボトルを差し出した。大人しく受け取ったDIOは、酒を寄越せと喚くこともなく、ぐびぐびと水を呷る。上下する喉仏すらも、やたらにふしだらだ。自分があと20歳若かったら、いくら相手が男だとはいえ、DIOであるとはいえ、ちょっとまずいことになっていたのかもしれない――そう考えてしまった一瞬後には、腹の底からオエッとえづくジョセフであった。

「承太郎……承太郎と、セックスがしたい……このDIOは……このDIOは……」

壁掛け時計をぼうっと見上げながら、DIOがぽつりと呟いた。先程までの喧々とした様子が嘘のような、儚げな声だった。
「……」
ジョセフは聞かなかったことにした。やたらとか細く、これでもかと庇護欲を擽ってゆくDIOの声を、その言葉を、丸っきり聞かなかったことにした。ごくりと嚥下したビールは既に、不愉快に生暖かい。
「一度風呂場で鉢合わせたときに、見たのだがな……なんというか、貴様の孫の息子、凄いなあれ……あんなものをぶち込まれようものなら、わたし、わたしは……はぁぁん……承太郎ぅぅー……」
「…………」
「天国にまで飛んでいけるような気がする……あれで正体がなくなるまでぐずぐずにとろけてしまいたい、このDIOは……ああ、なにやらちょっと勃ってきた……」
ぽってりと赤いDIOの唇が、病的に白い自らの指、真っ赤なマニキュアの塗られた人差し指を、はむはむと甘噛みする。どこに焦点があるのかも分からない双眸には、厚い涙の膜が張っている。
金属質の、甲高い音が鳴った。ジョセフの大きな掌の中で、今しがた空になったばかりのビール缶がいびつな形でひしゃげていた。そして楕円になった缶の底は、
「――くらえ!!!」
「うげぇっ!!?」
ヒュンッ!!と空を切りながら強かに、DIOの額へと打ち付けられたのだった。
「なっ、なにをするのだこの老いぼれは!!このDIOにッ、このDIOに、なんという雑な攻撃を!!」
「どこの世界に『わたしはお前の孫に欲情していますやりてぇやりてぇ勃起する!』なんてことを聞かされて真顔でいられるじじいがおるっつーんじゃ!思うだけなら勝手だが――いいや、可愛い承太郎がお前みたいなくそ淫魔に欲情されとるってだけでも卒倒したくなるってなもんだが、せめてその分厚い胸ん中に秘めておけ!恥ずかし気も漏らすな、そんなことを!!」
「だってわたしが承太郎とセックスしたくてしたくてたまらないのは純然たる事実であって、」
「オラァァ!!」
「いたい!!!」
「結局体目当てなんじゃあないか、くそ野郎!!」
散々にDIOへと向かって叩きつけた空き缶を畳の上に放りやり、ジョセフは新しい缶ビールを乱暴に手繰り寄せた。そして勢いよくタブを起こし、ぐびぐび喉を鳴らしながら温い炭酸を嚥下する。承太郎と一緒にいたい、承太郎が好きだ、そう呟いたDIOが妙に妙に儚く切実に見えて、うっかり同情心などを抱いてしまった自分が馬鹿だった、結局これはとんでもないくそあばずれのろくでなしだったのだ。後悔と苛立ちは天井知らずで量を増す一方である。
そんなジョセフの右手首を、DIOはぐいと掴み寄せた。そして俯せに寝そべったまま、掬い上げるようにジョセフを見上げる。咽るジョセフにも、畳に零れたビールにも、お構いなしである。濡れた赤い双眸は、じっとりと座っていた。
「このDIOが思うにだな。下手に慣れぬ言葉を弄しようとするものだから、馬鹿馬鹿しい煩悶に身を捩る羽目になってしまうのだ。ならば体を繋げる方が手っ取り早く、ずっとずっと、楽なのではないか。人間とはおかしな生き物で、一旦そうした関係を持ってしまった者には情を抱いてしまうものだ。わたしは承太郎という男の頭の中を征服したいのだ。わたしへの情で埋め尽くし、わたしのことだけを考えていさせたい。だから、わたしは……わたしはだな」
「はん、んなもん『わたしを抱け承太郎!』とかなんとかのたった一言も言えんかった時点でお前の負けじゃ。一時の性欲で着火した感情なんぞじゃあ満足できんから、お前は承太郎に置いてかれてえぐえぐとなさけなぁく泣く羽目になっとるんだろ。ふっふふふ、恋とは辛いものだなぁ!いい年こいて純愛に目覚めたくそあばずれよ!」
「うるさい死ねくそじじい!!」
勢いよく伸ばされたDIOの手が、ジョセフから缶ビールを奪い取ってゆく。そして一息に残りの全てを飲みつくし、空き缶をぽいと無造作に放り捨てた。据わり切ったDIOの双眸は、とっくにジョセフを見ていない。未だ頼りなく涙を垂れ流しながら、どこでもない場所を見つめている。
「……承太郎は、わたしを否定することもなければ肯定することもなかった。その目に映るままのわたしを、そのままに受け止めようと努めていたのだな。見た目の割に律儀な男だ。馬鹿馬鹿しいったらないことだ。しかしわたしには、それが、心地よかった。ジョースターとわたしの因縁とは別の場所で築かれてゆく、わたしと承太郎だけの関係が心地よかった。ジョジョとの間には築けなかったものだ。あれとは色々なことがありすぎた。……別にわたしは、承太郎をジョジョの代わりだとは思っていないし……というかジョジョと、そういう意味でどうにかなりたいと思ったことはなかったのだが……だからこそ、わたしにこんな感情を抱かせた承太郎はわたしにとっての『特別』であるのであって……ああ、違う、違うのだ、こんな理屈などはどうでもいい、愛の理由などは、長ったらしく並べてみるものではない。それくらいは、わたしにだって分かる。無粋というものなのだろう。つまりわたしはだな――」
崩れ落ちるように、DIOの頭が伏せってゆく。青い畳に鼻先を埋め、酷く籠った声で、DIOはぽつりと呟いた。
「……どうしようもなく承太郎がす――すきで、すきで、欲しくてたまらんのだ、とても、とても……」
そして沈黙である。身じろぎひとつしやしない。ずびずびと鼻をすする音はひっきりなしに鳴っているので、眠ってはいないようだった。
ジョセフは嘆息する。オウシット。呟きながら、天を仰ぐ。本日何回目かは分からない。雪だるまのような形をした天井の端の染みが、放っておけばいいのにそうしないお前が悪いんだぜバーカバーカ、と言わんばかりにジョセフを見下ろしている――と、ジョセフは思った。被害妄想である。
「ったく、なんつー手のかかるじじいじゃ、お前って奴は!わしより半世紀年上なのではなかったのか!」
「このDIOは、永遠の20歳であるー」
「都合のいいこと言うなくそじじい!――ほれ!まったく手のかかる、どこまでも、どこまでも!!」
「む?」
耳元でがちゃり、と鳴った音に呼応するように、DIOはのろのろと顔を上げた。両目いっぱいに飛び込んできたのは、逆光を背負ったジョセフの顔だ。物凄くめんどくさそうな、顰め面である。一分たりとも嫌々な表情を崩さずに、ジョセフはくいと顎をしゃくる。その先、DIOの顔の真横には、コードが限界まで伸ばされた電話がどんと鎮座していたのだった。
「……なんのつもりだ」
「掛けてみりゃあいいんじゃ、電話。承太郎も余裕で起きとるような時間じゃろう」
「ででっ、でんっ、電話を、こ、このDIOがッ、承太郎に!」
「わし相手にくだ撒いとるより億倍建設的~ってなもんだ」
「なにをしている!」
「お前承太郎の連絡先なんて知らんだろ?ほれほれわしがちゃあんと繋げてやったからな!お前はただ承太郎と話すだけでいい!グッドラックくそじじい!」
「うっ、うぐぅ……!!」
意地の悪い顔をしたジョセフがむにむにと頬へと押し付けてくる受話器を、DIOはぎこちなく受け取った。単調な呼び出し音と、早まる一方のDIOの鼓動、最早どちらの音量が勝っているのか分かったものではない。
今すぐ切ってしまいたい、と思う。けれど反面、期待をしている自分がいたのも確かだったのだ。承太郎が出たその時には、その時には――今すぐわたしを迎えにこい。今ならば泥酔していることを理由に、その一言を承太郎へ叩きつけることができるのではないのかと――眉を顰め、ぎゅっと目を瞑りながら、頭の中で何度もシュミレートを繰り返す。
承太郎、承太郎。
わたしを迎えに来い。
わたしを一緒に連れて行け。
わたしを、わたしを――

「…………、」

静かな音を立てて受話器が置かれると同時に、DIOの両目がすっと開く。そしてジョセフがどうした、と問いかける前に、べしゃりと畳に突っ伏した。傾けられた美貌には、とても、とてもつまらなそうな表情が張り付いている。
「留守なのだと」
「ああ……」
――現在、留守にしております。
脈拍が今にも臨界を突破しようとしたその瞬間、燃え盛る熱に冷水を浴びせかけるが如く、その平坦な音声はDIOの鼓膜を震わせたのだった。
「メッセージでも残しとけばよかったじゃあないか」
「いい」
「何を意地になっとるんじゃ」
「わたしはそれなりの覚悟を決めて受話器を握った。しかし承太郎は出なかった。つまりはわたしと承太郎の間には、引き合うものがなかったということだ。もういい、潔く諦める。あんな男1人に囚われるなど馬鹿馬鹿しい、好きに生きるさ、わたしは。承太郎なぞはも忘れて。もう、会うこともなかろうし」
「だから、何をそんなに意地になっとるんじゃ、くそじじい」
「意地になどなっていないッ!」
DIOがばっと顔を上げる。射殺さんばかりにジョセフを睨みつける双眸からはしかし、ばたばたと熱い涙が零れてゆく。そのたびごしごしと目元を拭うDIOの姿の、如何ともしがたい幼さに、ああこれは情緒の成長が実年齢にちっとも追いついてはいないガキなのだなと、ジョセフは深く深く嘆息した。
「ま、お前がそこまで言うならわしはもう、協力なんぞはしてやらんからな。精々せっかくのチャンスを棒に振ったことを悔やむといい」
「そもそもわたしが、一体何を頼んだというのだ!このおせっかいめ!そんなところだけ、ジョジョに似て!」
いや知らんし、と零すジョセフの声などは聞こえていないのだろう。DIOは再び、畳に鼻先を埋めた。

「愛など、愛など、馬鹿馬鹿しい……見苦しく必死になる価値のある感情であるものか、このようなものが……」

酷くくぐもったその一言を最後に、沈黙である。少々の躊躇の後に、ジョセフはそっと、DIOの頭に手を置いた。がしがしと撫で繰り回す動作は酷く乱暴なようでいて、その実DIOへの労わり、或いは親愛とも呼べるものに満ちている。
億劫そうに顔を上げたDIOは、胡乱な目でジョセフを見る。そしてか細い声で、もっと優しくしろわたしを労われくそじじい、と吐き捨てた。

「おお安心した。悪態をつけるだけの元気はあるんじゃあないか、くそじじい」
「わたしを誰だと思っているのだ、くそジョセフ!」


そうしてさしたる現状の変化もなく、1991年春の夜は更けてゆくばかりである。




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