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2013/06/29

「ろくでもねぇ所ばかりが似ちまった」
「ふぅん?」
「嫁もガキも放り出しては世界中飛び回る親父のことが、どうしたって好きにはなれなかった。別に嫌っちゃいねぇ。好きにはなれなかったというだけだ。あいつ自体は悪い人間じゃあなかったし、俺のことも、お袋のことも、あいつなりに想ってくれてはいたんだろう。ただ、年に数えるほどしか家に寄りつこうとしなかった。ただそれだけのことが、どうしても許せなかったんだな。口が裂けても『父を尊敬しています』とは言えなかった」
「ああ、そっくりそのまま、今の君だねぇ、それは」
「ああ――気付いた時には愕然としたぜ。親父の唯一気に入らなかった所だけが、そっくりそのまま似ちまった。男がどれだけ仕事に打ち込もうとも、連れ合いは家を守って待ってくれているんだろう、だなんて傲慢な、思い上がりだ。俺の母親は、それができる女だった。だから錯覚しちまった。俺が選んだ女も、当然、それができるのだろうと。申し訳のないことをした。何度も喧嘩をしては、うるさいことを、馬鹿なことを言うなと思ったものだったが、馬鹿は俺だ。俺だったんだ」
息をつく承太郎が、くいとジョッキを傾ける。きんきんに冷えたビールの喉ごしの良さに一瞬、ぶわりと気分は爽快になるも、全てを嚥下する頃合いには苦々しい後味と共に頭は重くなってゆく一方だ。1秒1秒深まってゆく承太郎の眉間の皺に、花京院は苦笑した。
「まあ、お疲れ様。注ぐよ。ほら、ジョッキ」
「ああ」
「なんだか思い出すなぁ。もう15年も前だっけ?君が、こんな時間に家に転がり込んできて」
「……」
「DIOが好きでたまらないとかなんとか」
「おいやめろ」
「らしくもなくじわっと泣いてみたりなんかして」
「やめろっつってんだろ毟るぞ」
「はは、ごめんごめん」
軽やかに笑う花京院に正面で、再びぐいとビールを呷る承太郎の顔は恐ろしい。小さな子供が余裕で泣き出すレベルである。そんな承太郎の顰め面ではあるが、由来は単純に照れ隠しであるのだということを、花京院は知っている。
『あの時』とよく似ている。20年と少し前。ある夜ふらりと花京院の部屋に転がり込んできた承太郎が、ヤケを起こしたように次々ビールを呷りながら、自分は如何ほどDIOなる吸血鬼を愛しているのかということをしこたま吐露した4月の上旬。あまりにも強烈な出来事であったので、花京院は20年もの時が経った今になってもそれなりに鮮明に覚えている。

(DIOが好きだ、好きで好きでたまらない――いいや、欲しくて欲しくてたまらない、男で、しかもとんでもねぇ化け物相手にこんなことを思ってしまっていること自体に困惑しているし、怖い、怖い、深みに嵌ろうものならば俺の人生丸ごとあいつに食われちまうような気がしている、破滅しかないと分かっていてあいつの手を引こうってのは馬鹿のすることだ、それでもあいつが俺を必要としてくれるなら俺は、俺は――ああくそめんどくせぇ一発やりてぇなんであんなえろいんだあいつ)

思わず『結局体目当てだってことを誤魔化すために小難しい理屈をつけているだけじゃあないか』と突っ込んだ花京院に、『体目当てだってことにしておいた方が、ずっと気が楽だ』と、とんでもない顰め面で零した承太郎である。その数秒後には気まずげに机に突っ伏してしまった巨体を見て、花京院はああ、彼は体だけでは決して満足できないと分かっているから、手を出すことができなかったのだなぁと、20年後の今と同じように苦笑をしたのだった。
「承太郎はさ」
「なんだよ」
「DIOの何が、そんなに好きだったんだい」
自分のジョッキにもなみなみとビールを注ぎながら、花京院が問いかける。机を挟んだ向かい側で、承太郎は小さくふっと溜息を吐いた。
「俺のことを受け入れようとも、拒絶しようともしなかったからな、あいつ」
「へえ?」
「先祖代々の因縁だとか、あいつのろくでもねぇ野望云々だとか、そういうもんを全部取っ払っちまったところでの俺は、あいつにとっての何者でもなかったんだって話だ。俺はあいつのことを何も知らなかったし、あいつだって俺を知らない。知ろうとも、しなかった。それがどうしようもなく、許せなかったんだ、俺は。うっかりあいつにやられちまったからそう思ったのか、もしくはそう思ってしまったことがあいつにやられちまうきっかけだったのかはもう、覚えちゃあいない。ただ気付いた時には、どうしようもなくあいつが欲しかった。俺だけのDIOが、欲しかったんだ」
「今日の承太郎は、許せないことばかりだね」
「許せないことばかりだ、生きていれば、そんなものは」
凝り固まりかけていた承太郎の表情筋が、不意に緩む。承太郎らしくはない、どことなく情けない苦笑には、40年近くに及ぶ人生の疲労が滲んでいるようだった。お疲れ様。花京院は、手にしたジョッキを軽く掲げる。呼応するように承太郎もジョッキを持ち上げ、4分の1ほど残っていた中身を一息に飲み干した。
「承太郎も、変わったよね」
「自分ではよう分からん」
「変わった。変わったよ。落ち着いたよね、物凄く。まあ君、学生の頃からやたらと肝が据わった奴だったけど」
「妻子に逃げられた情けねー男にもなっちまった」
「自虐までできるようになってしまったのかい、承太郎。ふふ、なんていうか、学生の頃のぼくにとっての君は大切な友人だったけど、心のどこかではぼくを引っ張り上げてくれたヒーローみたいなものだと思ってた。そんな君も、結婚して、父親になって、結局上手くいかなくて離婚して、だとかありふれたイベントを経験して、色々、変わっちゃうっていうのがさ。ああ、承太郎も血生臭い世界に関わらない場所では、ただの男でしかなかったんだなって、今更そういうことに気付いたような気がしてる。おかしいね。ぼくは一体君を、なんだと思っていたんだろう」
「本当だぜ。勘弁してくれよ」
「ごめん、ごめん」
軽い調子で謝りながら、花京院は承太郎のジョッキにビールを注ぐ。なみなみと注がれてゆくビールを前に、承太郎はやれやれだぜ、と笑み交じりの声で呟いた。
「――22年も経ったわけだけれど。君、その間一回も会わなかったのか?きっとあの時から何も変っちゃいないんだろう、ひとでなしに」
「会ってない。一回も」
「へぇ」
「色々あったからな、俺にも」
「でもそろそろ、会いたくなってきているんだろう、承太郎?」
「したり顔すんな」
顔を背けてチッと舌を打った承太郎の、再び恐ろしく顰められてゆく横顔に、花京院は己の見立てが間違ってはいなかったことの確信を得る。1991年の春に花京院宅で『好きだ、好きだ、好き過ぎて上手くいかない』と嘆き喚いた夜を最後に、この22年、承太郎は一度たりとも花京院との会話に於いてDIOの名前を出さなかった。しかしこの2013年の夏、ふらりと花京院の元を訪れた承太郎は、22年前の春を思い起こさせる切実さで以て、ぎこちなくDIOの名前を口にする。まるで、本人の前でその名を呼ぶ練習をするように。今夜の承太郎の来訪について、彼はDIOと顔を合わせる直前に、22年を掛けて貯め込んできた鬱屈をここに吐き出しに来たのだろう、と花京院は思うのだ。
――承太郎自体は変わったけれど、DIOに対するやたらと不器用な承太郎というものは、20年経とうが人の親になろうがちっとも変わらないものなのだなぁ。承太郎の視界の外で、花京院はふっと微笑んだ。目ざとく察した承太郎はすぐさま花京院を睨みつけ、やはり気まずげにぐびぐびとビールを呷るのだった。
「22年。22年なぁ。今更どうして、会おうだなんて思ったんだ」
「今なら会えると思ったからだ」
「今?」
「今年の春にはずっと拗れちまってた娘との仲もなんとなく、なんとなくではあるが、これから上手く修復できていけるんじゃあねぇか、なんてことがあって、俺の身辺もすっかり落ち着いて、ついでに花京院曰く、俺自体もなにやら若い時分――DIOといた頃よりも、落ち着いているらしい。だから今なら、言えるんじゃあねぇのかと思ったわけだ。できるんじゃあねぇかと、思ったわけだ」
「俺にはお前が必要だ。なんてことを言いながら、DIOの手を引っ張り寄せるつもりなんだな、承太郎」
「人の台詞取るんじゃあねぇよ」
「まだるっこしい君が悪い」
殻になった承太郎のジョッキが、ずい、と花京院の胸元に突き付けられる。飲みすぎだよ、と苦笑しながら花京院が傾けたビール瓶は、水滴を2、3粒吐き出したのちに沈黙した。本当に飲みすぎだな、こりゃ。今夜の相棒だったジョッキを机の上に放り出し、承太郎は背後のソファーにもたれるようにぐいと大きく背伸びをする。顰め面はとっくの前に、疲れた40男の苦笑へと緩んでいた。
「あれ、でもぼくに言われてどうこうってことは、もしかしてそこまで具体的に会うとかって考えてなかったのか、君」
「…………あいつのことを考え出すとだな」
「うん」
「どうにもあの頃の、DIOを引っ張り寄せるどころか触ることすらできなかった自分に戻っちまうっつーか、まあ、そういうあれでだな。居場所は知ってるんだが、結局まだ一度も、会いに行けたことはない」
「今どこにいるんだ、あいつ」
「イタリアだ。息子に面倒見させてるんだと」
「ふぅん、イタリアねぇ……ん?」
――息子?誰の?DIOの?あのろくでなしでひとでなしで人の腹に穴開けやがったくそ野ryが人の親?
瞬間的に花京院の脳裏を駆け巡った質問の羅列は、しかしすんでのところで言葉になることはなかった。不器用に本心の吐露をする承太郎の、話の腰を折りたくなかったのだ。なので花京院は、口先を衝きかかった質問ごと、ジョッキに少しばかり残った最後のビールを、くい、と一息に嚥下する。如何ともしがたい煮え切らなさは、簡単に拭えるものではなかったが。
「なんだ変な顔して」
「なんでもないよ」
承太郎が訝しげに花京院を見る。君のせいだろう。そんな言葉も一緒くたに呑みこんで、花京院は空のジョッキを、承太郎の眼前に突き付けた。
「言いたいことあるなら口で言えよ、花京院」
「外堀だ」
「は?」
「どうしても踏ん切りが付けられないってなら、外堀を埋めて、会いに行かざるを得なくなる状況まで自分を追い込んでしまえばいい。そうすれば何もかもがすっきりするんじゃあないか。女々しい自分とおさらばするチャンスだぞ、承太郎!」
「女々っ……」
密かにショックを受ける承太郎など知ったこっちゃないと言わんばかりに、花京院は勢いよく立ちあがる。そして寝室と思わしき部屋に入ったと思えば、片手に携帯電話を携えて帰還する。呆然とする承太郎の前に、それはずいと突きだされた。
「どうせちゃんと把握してるんだろ、連絡先くらい」
「……あいつの息子の方とは、何回かやりとりを」
「じゃあ、そっちに掛けてみればいい。来週にでも君のお父さんに会いに行こうと思うから、言伝を頼むとかなんとかさ」
「…………」
「会いに行く。たったの一言だ。愛を語るよりずっと簡単だろ?」
「……ああくそ、まったく!てめーも随分うっとおしい大人になっちまったもんだなぁ、花京院!」
「あ、今のちょっと昔の君っぽかったぞ、承太郎!」
花京院の手から携帯電話をひったくった承太郎は、記憶にある11ケタの番号を、ボタンを壊しかねない勢いでプッシュした。ヤケ酒が引き起こした自棄である。傍目では素面の状態となんら変わりがないように見える承太郎ではあるが、中身はすっかり泥酔と呼んでも差し支えがないほどまでにアルコールにやられている。
今しがた打ったばかりの番号、それから『呼び出し中』の一言が表示されているディスプレイを親の仇のように睨みつけ、承太郎はふぅぅ、と腹の底から息を吐き出した。そして受話口を耳に、押し当てる。単調な呼び出し音がぷちりと途切れたのは、それから3秒が経ってからのことだった。

「ああ、ジョルノ君か、俺だ、空条……いや、別にそういうこっちゃあない――いやだから違うんだと…………あー……ああ、そうか……ああいや、気にしないでくれ。逆に腹を決められたような気がしてる。……明日にでもまた、電話する。その時にな……ああ、忙しい所悪かったな、それじゃあ、また」

通話終了のボタンを押す指先は、先程の猛プッシュがなにかの冗談であったかのようにやたらと繊細なものだった。シンプルな待ち受け画面が表示された電話を、承太郎は花京院に突き返す。その顔には、どこかエジプトを旅していた頃の荒々しさを彷彿させる、ちょっとばかし凶悪な笑顔が張り付いていた。電話をするようにとけしかけたくせ、緊張した面持ちで所在無く立ち尽くす花京院の様子が愉快だったのだ、というだけのことだったのだが、花京院にしてみればたまったものではない。フローリングに座り込みながら、震える声でどうだった?と問いかける花京院である。承太郎は、空のジョッキの持ち手を指先で撫でながら、穏やかにふっと、笑った。
「でたくないんだと」
「DIOが?」
「ああ。いい、っつってんのに、ジョルノ君――ああ、あいつの息子な。彼がまあ、気を利かせてあいつに電話を替わろうとしてくれたわけだ。が、でたくない、承太郎なんぞわたしは知らん、と突っぱねたんだと。つーかちょっと聞こえた、その声。ちっとも変わっちゃいなかった。電話の向こうには、22年前そのままのDIOが確かにいたんだぜっつーわけだ」
「じゃあ、腹を決めたっていうのは」
「観念して会いに行くぜ。来週中に。てめーが電話に出ねーのが悪かったんだぜって言ってやらなけりゃ、気がすまねーよ」
「あー、ああ、もう、ふふ。どうして一々、へそ曲がりな理由を付けたがるかな。声を聞いて、会いたくなった。それだけで充分だろう?」
「もうそんなに若かねぇよ」
そしてぼんやりとした沈黙である。承太郎は、彼らしくもなく緩んだ顔で天井を見つめ、花京院はそんな承太郎の横顔を見つめていた。そうやって5分ばかりは経っただろう頃合いに、酒買いに行くか、と持ちかけたのは承太郎である。苦笑と共にああ、と答えながら、花京院はソファーの上に財布を拾い上げた。

「あんまり飲みすぎるなよ。君も、若くはないそうだから」
「あいつじゃあねぇんだ。自制くらいできる」


晴れ渡る2013年の夜に浮かぶ三日月が、憑き物の落ちたような承太郎の横顔を燦々と照らしている。






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